J.S.バッハ平均律第2巻、全曲演奏会を聴いて

 自分はこの文を書いている今48歳だが、少なくても30年前の18歳の時は将来の進路として音楽を志していた。クラシック音楽の分野で。

 そのときの自分にとって、チケットを買って生の演奏を聴きに行くコンサートは貴重な機会だった。

 どのコンサートにいくかの選択の根拠に、例えば、出演する演奏家が、マスメディアを通してその活躍がよくわかるか、ということなどが、基準になる。

 事前に、活躍がよくわかっているアーティストほど、値段も高く、演奏内容も素晴らしい、ということは、ある程度は言えるかもしれない。

 しかし、ある程度以上のことは、言えないかもしれない。ライヴというのはあくまでもライヴだからだ。ライヴの面白さ、奥深さは、事前情報の濃さ、とは別のところにもある。のではないか。

 さて、2018年4月1日、京都のアルティでJ.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲演奏会、24人24色を、聴いた。

 http://bach24.web.fc2.com/index.html

素晴らしかった。そして、この演奏会の素晴らしさの質を支えているものの、ひとつは、誤解を恐れずいうならば、マスメディアを通した評価とは、別のところにも、音楽家演奏家としてのプロフェッショナルな意識が根付くことの、ある種の職人的なあり方である。それを、まさにライヴの演奏を通して感じさせられた。

 ピアノの演奏で完成度が高い、演奏に傷がない、音楽表現に集中していてすばらしい、ということは、それなりに難しい。プロでも。自分にとってラヴェルの「夜のギャスパール」を最初に聴いた演奏は、FMラジオの放送でチャイコフスキーコンクールの上位入賞者として紹介されたウラジーミル・オフチニコフによるものだが、その演奏は、その後カセットテープに録音したものを何度も聴くようになる当時のお気に入りの演奏だった。ラヴェルは当時著作権の切れていない作曲家で、楽譜は、洋書を扱ってる楽譜コーナーでなければなかなか入手できないものだった。オフチニコフの演奏で、2曲目の、絞首台のある箇所の2度でぶつかる音が、ミスタッチだときづいたのは、録音したカセットテープの演奏を何度も聴くようになった以降、数年後である。またそのFMで流れた演奏にはスクリャービンエチュードもあったが、夜のギャスパールも、スクリャービンも、オフチニコフは、演奏の質も高いものだと感じていたが、スクリャービンは曲集の途中、明らかに暗譜を見失っている部分があった。

 自分が10代だった1980年代、もっとも熱狂的にマスメディア的に受け入れられたピアニストは、スタニスラフ・ブーニンである。彼がリサイタルでドビュッシーのベルガマスク組曲を取り上げた演奏はテレビでも放映された。自分は、そのとき人前でベルガマスク組曲を演奏したことがあったので、その曲は特に頭に入っている曲だった。ブーニンの演奏は、完成度に疑問がある、傷がある、音楽的にも集中力を欠くものだった。録画をあとから繰り返し聞くことはなかった。録画したかもしれないが、消したのかもしれない。

 自分が30歳を過ぎて、40も過ぎていくなかで、この人はすごい、と心がもっていかれるピアニストがいて、生演奏で5回、リリースされているCDはほぼもっていて、そのどれにもサインがあるが、自分が客席で聴いた直近のオールショパンのプログラムは、傷が多かった。おおよそその人らしくない演奏で、ああ、こんなこともあるんだ、と変な感心のさせられかたをした。仮に、その演奏会の録音をプレゼントするといわれたとしても、自分は要らない、と答えるだろう。その人の演奏会はチャンスがあれば、また足を運ぶだろうにしても。

 京都バッハ平均律を弾く会の、24人のピアニストによる2巻全曲演奏会は、掛け値なしにまたこの全曲演奏会があるなら、是非、聴きにいきたいと思わせる、質の高い音楽に満ちたコンサートだった。

 年末の第9が恒例になる、日本のクラシック音楽の文化・風習があるなら、バッハの平均律全曲を、24人のピアニストで演奏するというのも、是非加わってはいかないだろうか。

 一人が弾けば、負担も大きい。もちろんそれは偉業であるのだが、それをあえて24人のリレーにする面白みや、奥行きは、確かにある。他の曲集でこのような分業はなかなかありえないと、バッハの平均律全曲を24人でリレーする演奏会を聴いて思う。バッハ、だからだよな。平均律だからだよな。面白い。途中15分の休憩をはさんでの約3時間が、あっという間だった。まるでこんな風な演奏会で演奏されることを想定しているかのような、奇跡の曲集ではないか、そんなことすら思ってしまうような演奏会だった。

 24人のピアニスト一人一人は当然ながら個性が違う。それが統一感を損なう方向ではなく、曲集を通しで聴かせるにあたって、逆に飽きさせない方向に、良く働く。

 ピアノという楽器の大きな特徴であるダンパーペダルに足すらおかない、ペダルを一切使わないピアニスト、もいた。それがその人だけの演奏会ではなかったからこその際立ち、や、演奏家としての解釈や意志が、過不足なくそこにたち現れる。

 また同じピアノなのに、鳴る音が全くちがう、ということも、ピアノと楽器のおもしろさ、ひいては演奏するということの奥深さが分かる話の一つだが、この日の演奏会ならではのことの一つでもあった。

 客演のA.ロトー氏の演奏がこの日の、その点の白眉だった。自分は氏の演奏に触れたのはこの日が初めてであるが、こんな演奏家もいるのだ、と驚嘆させられた。ルプーの生演奏に触れた時を少し思い起こさせた。それは座奏時の重心をやや後ろめにとり、上半身の理想的な脱力を引き出しているようにも見えるフォルムと、ポリフォニーにおいても、決して混濁させることはない磨かれた音色の美しさ、から、そんなことを感じたのかもしれない。自分が大西愛子氏からバッハの平均律のレッスンを受けたときに、ハイフェッツの話になり「ハイフェッツは本当に自由よ」ということを大西先生は仰せだったが、バッハにおいて、自由とはどういうことかを、A.ロトー氏の演奏もまた、体現していた。ああ、これがバッハを本当に自由に演奏するということか、と以前よりそのことが自分の中で腑に落ちた。腑に落ちたという言葉の語感とは裏腹に、自分は聴衆のひとりとして気持ちが高揚していた。すごい演奏家だ、ロトー氏は。

 ピアニストの誰しもが事務所と契約したり、CDを何枚もリリースしたり、毎年のように日本国内や世界でツアーを組んだりするわけではない。それは、いうまでもなくほんの一握りであり、さらにいうならピアニストとしてのその人のキャリアのある一定期間、一時期である。そして多くのひとにとってピアニストを目指すということは、コンクールの受賞歴を重ねるなどキャリアを積み、その地点を目指すということだ。そこから導かれるかもしれない一つの結論があるなら、ピアニストはそんなには要らない、ということだ。多くのピアニストを志す人は、その数少ない席を巡って競っている世界もある。自分はそうした世界がピアニストをピアニストたらしめるほとんどすべてだと、しばらくの間は思っていた。意識的に、というよりもしくは無意識に、ピアニストという職業を巡る環境やメディアのつくるイメージによって。

 では、その数少ない席に座れなかったひとは、ピアニストではなくなるのか。

 音楽を志すことの本質は、席を巡る争奪戦ではない。

 ほんの少し冷静になれば、気づくことだがその、ほんの少しの冷静さを、クラシック音楽を取り巻く環境は、いとも簡単に奪って行き、すぐに簡単に本質を歪めてしまう。見えなくしてしまう。

 人間には生活がある。具体的には子育てがあったりする。くうねるところにすむところを、維持しなければならない。誰かに食わせてもらうか、自ら食っていかなければならない。

 食うことの確保と音楽家であることの両立が難しければ、後者をあきらめなければならない厳しさ。

 自分は暗黙にその前提を受け入れることから、音楽を志す道の入り口にたったこともある気がするのだが、

 48歳になったいま、そこ、本当にそうだろうか。と、ふと実感と、自分の思考停止を思う。 

 音楽を志すということは、美に奉仕するために、自らを捧げる、ということだ。時間と才能を。謙虚さに裏打ちされた努力を。少ない席を取り合うことではない。

 「京都バッハ平均律を弾く会」のメンバーのピアニストとしてのプロフェッショナルな質は、華やかな席をめぐる争奪戦の結果とは、別なところにある気がする。そしてまた、たとえばメンバーの全員誰しもが、国内外のプロのオーケストラに所属する弦楽器奏者、管楽器奏者、打楽器奏者と、演奏会で共演するに不足のないピアノを弾く技術と音楽性を持ち合わせている。これは少なくとも、だ。さらにいうなら、急遽のコンチェルトの代役ということも、こなすメンバーは相当いるだろう。

 無論、平均律の一曲程度で、ピアニストの力量を決断することはできない。しかし、逆も言えるのではないか?平均律の一曲を人前で、恥ずかしくない完成度をもって表現できない人が、ピアニストを名乗っていいのだろうか。と。この文章を読む方が何人いて、どこにお住まいかは分からないけれど、あなたの住む町のピアニストは、当然のようにそれができるか、といったら、自分は少なくても自分の住む地域に関しては、残念ながら、疑問、である。それは自分自身のおかれた立場からすると、無責任な言い方になるので、言い直す。それは、発展途上である。京都はそれができるピアニストが少なくても48人揃う。1・2巻全48曲の48人による連続演奏会も実績がある。

 選挙結果が開票率が一桁のうちから分かるように、いや、選挙を引き合いに出さずとも、コンクールを予選から聴いていて、通るか通らないかは、冒頭数小節で、ある程度分かってしまうことがある。京都では、プロフェッショナルな安定した演奏技術と、音楽家としての志をもつピアニストが、競争意識で淘汰される形ではなく、その地域の音楽的豊かさの、一端を確実に担っている。プロオケの弦楽器、管打楽器奏者と十二分にわたりあえるピアノ弾きが、地域のコーラスの活動や、吹奏楽をやる若いひとが、ソロに挑戦するとき、また、音楽専攻の学生を、廉価で共演するというバックアップができるとしたら、それはどんなに豊かなことだろう。

 この点も、自分の住む地域に関していえば、発展途上である。

 音楽を志す努力に、謙虚さがどれだけ大事か、ということは自分はなかなか気づくのが難しかったことだ。そして今なお難しいことだ。華やかな席を巡る争奪戦においては、いかに他人よりも抜きんでることが大事かということが、まず目の前に迫るからだ。

 「京都バッハ平均律を弾く会」は、これだけの質をそろえながら、A.ロトー氏をはじめとした3人の客演のピアニストを迎える。その客演のピアニストたちを迎えることによる、磁場は、この会による演奏会をさらにグレードアップさせる。会全体、演奏会全体を。それは相乗効果といっても差し支えないものだとおもう。そこに音楽を志すことの謙虚さについて、あらためて深く考えさせられる姿勢が確かにある。

 日本国内のトップレベルのクラシック音楽のコンクールが特定の大学出身者や、在学の学生、特定の門下で、偏って占められる、ということは、よくある。だから、誰先生に習うとか、どの大学に進学するか、ということは、その点では、重要だ。

 しかし。

 そうではなく。

 京都では平均律の全曲演奏会が、行われる、だから京都で音楽を専攻したい、という進路。憧れ。そういう音楽を志す道についても、自分は、いまとても考えさせれている。自分は、過去のどこ地点に戻ってやり直したいということを、ほとんど思ったことがないのだが、10代の自分にアドヴァイスがあるとしたら、京都で学ぶ道を検討したらどうか、とは、今思う。そして、そう思うからこそ、現在の自分自身は、自分が住む地域を、そこで学びたいと、もっとより多くのひとに、あるいは、より深く考えてもらう、そしてその結果として、実際、この地域にかかわる人の数や深さが、増すように、自分は尽力したい。

 コンクールや、プロオケの定期に呼ばれることや、CDをリリースすることや、事務所と契約すること以外にもある、あるだろう、いや、むしろ本質としては、あんなところにはなく、それ以外のどこかにしかない、音楽家としての道。

 それは、保護者や師事する先生が示したから、ではなく、自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を引き受け、その都度の結果を受け止めていかなくてはならない道。あなたが歩みをやめたところで、職業音楽家としての社会全体のなかでの需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もない。だから、そういうことではない。そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのか。

 自分は、それが分かった。

 それが分かったから、第2巻の1番のハ長調のプレリュードから全曲演奏会が始まったとき、その演奏を聴いて、心がふるえ、涙がにじんできた。音楽に、演奏に、感動し心を打たれた。トップバッターをつとめる緊張感と、朗々と歌う健康的な音色、安定した演奏技術。そして、なにより、そのピアニストが自らの選択で、そこで演奏する、ゆるぎない、強い、意志と、それまでのその人の生きてきたこと、音楽とかかわってきたこと。

 それがこの会のメンバーの全員の統一している根本だと自分は感じた。出演者の全員に、揺るぎない音楽家としての意志がある。
 
 自分は仙台国際音楽コンクールの予選をはじめ、いままでコンクールの舞台での演奏ということにも、それなりに接してきた。吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストには自らの出演も含めれば、20年近く関わっている。

 揺るぎない音楽家としての意志、の、これほどの充実は、コンクールの舞台では、なかなか出会えないものだな、ということを、多数の出演者が演奏する舞台、という点での比較でも感じた。

 京都で音楽を志しても、コンクールの入賞や、プロオケの定期に呼ばれるかどうかや、事務所と契約して、ツアーをくんでもらうこと、CDが多数リリースされることとは、直接には有利ではないかもしれない。厳密にいえば、有利かもしれないし、関係ないかもしれないし、年度によって違うだろうし、誰がどの学校で教えている時期なのかによっても、違うだろう。

 繰り返すけれど、道を歩んでいくことの本質の大事な側面は、「自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を、その都度の結果を、正面からごまかさず受け止めること。あなたが歩みをやめたところで、社会全体のなかでの職業の需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もないということ。だから、そういうことではない、そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのかどうかということ。」だ。そういう歩みを誘発する磁場や、歩んできたことが、都度、何かの機会に、美しい結晶となること、を「京都バッハ平均律を弾く会」による、平均律全曲演奏会に感じた。そのことが、演奏会の高い質の根底にある気がした。

 そこに、音楽に限らず、学んでいくこと、道を歩んでいくことに対する主体性、自主自律の精神について、自分が育った宮城県が東京の方を向いているそれとは、違うものを感じた。山形にないものが仙台にある、仙台にないものが東京にある、東京にないものがパリやニューヨークにある、とするのは一つ価値観である。それは競争を生む。競争のなかで純化されていくものもあれば淘汰されるものもある。
 
 しかし、学んでいくこと、道を歩んでいくことの主体性、自主自律の精神は等しく誰にでもそれを目指すことができるものである。競争において、淘汰される側が、その機会すら奪われていくということは決してない。本質がみえなくなり、無意識・有意識に、放棄してしまうことはあったとしても。

 また、平均律の全曲を一曲ずつリレーすることが、地域に根差していく方向性で、一人で全曲に挑むのが、競争がもたらす純度の追求という、単純なことでもない。京都の磁場は、平均律全曲に一人で挑むピアニストもまた生み出す。平均律全曲だけではない。クセナキスの鍵盤作品全曲なども、である。やはりそこに見るのは、主体性と自主自律の精神である。

 何年か前に、自分が思った悩み・疑問について、ウエブログに書きしるしたことがある。

http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20111110/1320939462

 8年近く前だ。8年近く前の自分の疑問に今、自分で答える。そう。

いま、自分はそれに、その時よりも、答えることができる。お金や時間について、学んでいくことや道を歩んでいくことにどれくらい費やせばいいのか。それは美に奉仕する自分自身の覚悟によって、決定されることだ。覚悟よりも欲望が上回れば、オーバーコストで破綻する。覚悟が足りなければ、道は潰える。覚悟にちょうど良さがあるのか、ということではない。混じりけのない、腹をくくった覚悟は、ちょうどよいコストを自然に引き寄せる。どれくらいお金をかければいいのか、という悩みにつきあたった時点で、なにかの認識を間違っている。本質を見誤っている。

 道、ということについて、吉本ばななの小説の一節を思い起こす。いまは、今までとはまた違った気持ちで、読み返すことができる。いままでよりも、なんというか味わい深く、読み返すことができる。

「(前略)でもそれで知ったのは、この世にはもっともっと、もっともっとすごいことを毎日毎日してしまいには死んでしまうようひとが本当に実際に大勢いて、陶器とかパンを焼くとか、バイオリンを奏でるとかそういうことのように、ありとあらゆく特定のジャンルに素人からプロまでいろんな人が心を傾けていて、ありとあらゆる奥深さがあり、高尚な気持ちからすごい下品さまですべてがふくまれていて、その気になれば人間は、それにかかりっきりになって人生のすべてを使うことができる……ということだ。
 それが「道」というものなんだろう。
 みんな、なにかの「道」を通って行きたくて、だから、生きているのかもしれない。(以下略)」

 湾岸ミッドナイトという漫画のネームも、よく思い起こす。

「近道は裏切る。オレはずっとそう思っている」

(「深く関わってゆく。その裏側で、それまでの人とズレてゆく。流れが変わるのがわかるけど、どうすればいいかわからない。全長20.8km世界一過酷なコース、ニュルブルクリンク。その道を知るGT-Rは、やはり限界が“太い”と思う。だから首都高でもFDにはできない走りがGT-Rはできる。究極の首都高SPL。いちばんの近道はGT-Rだろう。GT- Rならいちばん早く着く。でも近道はとおらない。近道は裏切る。オレはずっと、そう思っている(Vol.40,pp65-67)」)

 「深く関わってゆく。その裏側で、それまでの人とズレてゆく。流れが変わるのがわかるけど、どうすればいいかわからない。平均律全2巻全曲演奏会。6時間。個人のコンサートとしては最も過酷なものとなるだろう。しかしコンクールの受賞歴もない無名のピアノ弾きの、マニアックなプログラムを、いったい誰がプロデュースするというのだ。まずは日本音楽コンクール第1位。そのあとショパン国際で上位入賞。日本人初の1位という結果が手に入るのであれば、それは“太い”。○×▽音楽事務所の所属アーティストとなりサントリーホールでリサイタルをやるのが、一番早く着く。究極のピアニストデビューだ。でも近道はとおらない(というか、実際にはできない俺ごときが。もう年齢制限もとうに過ぎたし)。近道は裏切る。オレはずっと、そう思っている」って俺がいうと、勝手に思ってろ、とか突っ込みを入れたくなる間抜けさがあるものの。

 近道を選ばないということはどういうことか。今ならいえる。だから、繰り返しをここにもう一度記する。この文章において、3度目。「自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を、その都度の結果を、正面からごまかさず受け止めること。あなたが歩みをやめたところで、社会全体のなかでの職業の需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もないということ。だから、そういうことではない、そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのかどうかということ。」。これは、近道を選ばない、ということだ。

 この文章、まもなく最後。自分が音楽を志し、おもにピアノという楽器を演奏することを通して考えてきたことが、角幡唯介に突き当たるとはおもわなかった。リンクいつまで残っているかわからないけれど、リンク貼っておきます。

 https://news.yahoo.co.jp/feature/921

リンク先の動画から以下引用。

「のんびりした生活が物足りなくなるということは、ありますけどね。」
―なぜ冒険をするのか
「慣れ親しんでいる常識とか 時代的なものとか 
 システムの外側に出るっていうのが 冒険の本質だとおもうんですよね。」
「どれだけ 主体的に 自分の行為に関わることができるか っていう」
「例えばソリをつくって 自分でつくったソリが壊れたら 自己責任というか
 自分の身に跳ね返ってくるじゃないですか」
「世界に対して自分がすごく関わっている」
「外側からの反応があって」
「何か確信できる」
「誰もやってないことをどうやって発想するかとか」
「それはやっぱり今までの自分の蓄積があって思いつく」
「30歳の時の方が強かったかもしれないけど やっぱり40歳の時のほうが
 認識の地平線がひろがっているから『俺はたぶんここまでできる』とか
 『この世界ならやれる』とか やっぱりそれが広がっていくので
 どんどん大きなことができていくのだと思うんですよ」

角幡の話から、「将来探検家になるならやっぱり早稲田(大学)がいいよ」とか「〇×は、何歳でセブンサミットのすべての無酸素登頂を成功させた」とか、そういう話の気配すら、ない。
 
自分はピアノ弾きとしてコンクールやオーディションを通して喜怒哀楽や自尊心やスポットライトもそれなりには享受してきた。また吹奏楽の指導者・指揮者としては、毎年コンクールに関わらなければならない生活も十何年も続いている。

 「蜜蜂と遠雷」も夢中になって読んだ。いい小説で感動的だった。でも塵君のピアノを彷彿とさせるのは、平野弦が一柳を弾いたもの、とかではないか、とオレは言いたい。知らない?ネットで検索すれば出てくる程度のものを、知らないとかは、ピアノ弾きなら恥ずかしいのでは?とかも言いたい。一柳慧が知らなくてもいい作曲家でないのなら、ピアノ弾きにとって、平野弦を知らないのは、おかしい。いや何を隠そう、自分も最近まで平野弦を知らなかったのだが。衝撃です。塵君です。キャラクターじゃなくて演奏の方が。ちなみに、第5回浜松国際ピアノコンクールの二次予選の課題曲は、一柳の委嘱の新作でしたよ。

第4回の高松国際ピアノコンクールで栄えある第1位の栄冠を収めた日本人の若き女性ピアニストは、まさに新しい才能の登場として、称賛されるべきことだ。真面目に思いますよ。そういう自分も第2回の高松国際ピアノコンクールに年齢制限ギリギリで応募して、予備審査で落選した。予備審査用の音源をネットで公開しているので(つまり落選音源)リンク貼り付けておく。

 http://musictrack.jp/musics/14574

でもですね、ピアニストにとってのラスボスが国際コンクールというのはいくらなんでも、とは思います。茂木健一郎さんが、国際コンクールをラスボスという、高松の?、地元のピアニスト?かピアノ関係者のツイートをリツイートしてて自分がそれにつっかかったことがあるので、いま思い出しているのですが。

  角幡の姿勢が、身に染みる。

角幡の話は、チューバ奏者の舟越道郎さんのワークショップ形式のグループレッスンを聴講させてもらった時の、舟越さんの言葉に、また、直結していく。この文章は以上。ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃるなら、深く感謝いたします。長文駄文申し訳ありません。でも熱を入れて書きました。ごきげんよう