「絶頂」サイコーだった!

「絶頂」最高でした。すばらしかったです。これちゃんとペイしてるのかな、と心配になりました。企画の言いだしっぺの誰かが、赤字を被ったりしてないかな、と。自分は絶頂のチケットを10枚買うべきだったと。それは言い過ぎです。自分の自由になるお金、小遣いの範囲では、それはさすがに厳しい。申し訳ない、想いの話です。しかし、すくなくても、習い事として弦楽器をやってる高校生の息子を、たとえ試験期間中であれ、つれていくべきだった。そうすれば、チケットが自分の分だけではなく、もう一枚の売り上げには貢献できた。

「絶頂」コンサートのチラシを見たときに、自分はなんだかヒステリックにディスってしまいました。その文章はこちらです→( http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20180820/1534763095 )。地元新聞に「絶頂」コンサートの記事がでたときに、仙台がまるでいままで現代音楽不毛の地みたいになってて、そこに新しい風を吹かせたいみたいな、ものを自分が勝手に感じ取ってしまい、またしてもイライラしてしまいました。

その、ディスりや、イライラは、正直今も、本質としては自分のなかから、無くなっていません。それは自分のなかの嫉妬心や、劣等感に由来する部分も多々あるなあ、とは振り返ることができるものだから、です。でも、それゆえに、逆に、自分のディスりや、イライラが、「絶頂」コンサートに起因するとは、考えにくい、という見方もある。

演奏の質が最高だったのですよ。一流。だから有無を言わせない。それは美人だったら、礼装が求められている場に、ジャージで来てたとしても様になってしまう、みたいな、有無を言わせなさでした。自分はそれが美人であるかどうかわかる前に(つまり演奏を聞く前に)、そこジャージじゃないでしょう、ジャージはおかしいでしょう、と、わーわーわーわー言ってしまったようなものです。いま思うとかなり恥ずかしい。

さらにしかも、そのジャージのたとえだって、おかしな自分の勘違いのたとえかもしれない。なぜなら、それは「場」を前提としたの話なので。つまり、クラシック音楽とか、現代音楽を、どうとらえるかという前提は、ある人にとっては、礼装を求められる会場か、全天候型の陸上競技場なのか、ぐらいの差がある話でありますから。

演奏の質が一流ということは、どういうことか。やはりプロオケに就職できるレヴェルというのは半端じゃないなと。はんぱねー、ですよ。ドラフト1位ですよ。野球と違って、募集は1名とかの場合があるから、(っていうかほとんど?)ドラフト1位しか入団できないオーディションです。全国コンクールで優勝したぐらいでは、それは、プロオケの、必要条件の一つになるかもしれないけれど、まだまだ十分条件ではない。楽器がうまいだけでは、その楽器のプロ中のプロとして生き残っていけない。楽器がうまくて、さらに、金の取れるパフォーマンス(演奏)が、プロフェッショナルなレヴェルで、提供できるとの信頼を得て、入団募集の1名とかに、その楽器のエキスパートが多数しのぎを削って、そして選ばれたひとだけが、プロのオーケストラに入団できる。

そうしたレヴェルのカルテットが奏でる、シュニトケリゲティは、すばらしく至福な時間を提供してくれました。まいった。すばらしい。ブラボウ。これは確かにいままで仙台になかった新しい風かもしれない。自分が仙台、「これが現代音楽」だと思っているものとは、ある意味一線を画す、洗練や、質の高さや、志や、熱量がある。

だから、演奏を聴いたいま、「絶頂」について紹介していた地元の新聞の記事に、今まで納得できなかった納得が、心に湧き上がってくる。なるほどね。

絶頂に携わった方からすると、演奏家や作曲家の方々からすると、それは、まあ、今まで仙台は現代音楽不毛の地、もしくは、それはさすがに卑下しすぎというか、極端な物言いに針がふった言い換えを自分はしてるけど、でも少なくとも、「絶頂」を通して「これから」、「仙台」に、「現代音楽」という文脈はあるのだな、ということを改めておもい、自分の中にある、嫉妬心や劣等感や、イライラを差し引いたところで、もう一度、クラシック音楽を祖先とした20世紀の音楽、21世紀の音楽、新作初演の、あり方について、整理整頓して、俺も音楽に携わるものとして、背筋をのばしなおさなければ、という気持ちにはなっている。

学校教育の場で、合唱や吹奏楽のコンクールの場で、「現代音楽」は、もう、ある。あるのだ。

そして、自分の文脈では、仙台の今までにも、今も「現代音楽」は、あったし、ある。そしてこれからもあるだろう。

でも俺の、あったし、ある、ということと、「絶頂」を通して「これから」、「仙台」に、「現代音楽」という文脈には、おそらく多少なりから、決定的の、どのくらいかは分からないが、なにかの、断絶がある。その断絶のひとつは、その表現が、どれほどプロフェッショナルなものであるのか、という厳しい自問も含む。自分は唸り、頭を垂れてしまう。

自分はこの「絶頂」コンサートが行われた、エルパークのまさに、ここの場所で、1990年代のことだったと記憶しているが、高橋悠治の「寝物語」を、ライブで聴いている。地元の音楽家のパフォーマンスで。

1980年代には、自分が高校生の時だったが、湯浅譲二本人が、音源を持ってきた「ホワイトノイズによるイコン」「ヴォイセスカミング」などを、本人のレクチャー付きで、仙台市内のホールで初めて耳にした。「絶頂」を記事にした地元の新聞の人に、そのとき高校生だった自分は、その湯浅譲二の個展を聴きにきた観客の一人としてインタビューを受けた。「興味深かったけど、果たしてこれが音楽といえるのか」という、いま考えると糞つまんない感想を述べてしまい、まんまと新聞に掲載された。俺の黒歴史である。

新聞は、現代音楽が、いままでなかったもの、あたらしいもの、と語られる文脈を、安易に採用してはいないか。現代音楽が、かつて現代音楽だったものが、その時代の音楽に変移する経年変化を、きちっと抑えることのできるジャーナリズムを持ち合わせはしないのか。歴史に照らした重層的なものを、微塵も意識しない表現は、いつまでも現代音楽を現代音楽としか呼ばせず、奇をてらったもの、ゲテモノ、異物、としか認識されないことから、脱しないのではないか。ベートーヴェンは、当時の、ものすごく攻めた、気鋭の、とんがりまくった、現代音楽ではなかったではないか?違うか?

俺にとって仙台という街は、現代音楽と出会わせてくれた街だ。J・ケージの「4分33秒」を、仙台で、ライブで聴くのも、今回の「絶頂」で二回目だ。一回目は仙台フィルの打楽器奏者の方が、スネアドラムを構えて演奏したものだった。また、それ以外にも、J・ケージのCredo in Us は、地元の人たちと一緒にステージで演奏した。

自分が大学で混声合唱団の演奏会のピアノの客演をしたときの演目は間宮芳生コンポジション第10番で、その演奏会の録音を間宮芳生本人に聞いてもらったことは、自分の中のかけがえのない音楽経験の一つとなっている。

だから、自分と「現代音楽」を、いろいろな形で、複数回出会わせてくれた「仙台」の街で、なんというか、繰り返すけど、「絶頂」を通して「これから」、「仙台」に、「現代音楽」という文脈があったとき、そこに自分が勝手に感じてしまう、断絶に、違和感が、あったのだ。今もある。

でも、その「違和感」をもちながら、「絶頂」コンサートを聴きにいったら、感動したのだ。演奏の質が高くて。そして、「絶頂」を通して「これから」、「仙台」に、「現代音楽」という文脈について、こころから、「そうそう!そうだね!」とはなれないまでも、その、演奏の質や、こころざしや、熱量で、その文脈に圧倒された。

すばらしかったです。

さて、それでも、言いたいことがある。つづける。絶頂のコンサートの賛辞が、つぎつぎSNSで拾われているながれに、心苦しくてはずかしくて、水を差してるかもしれないことを重々わかりたいとはおもいつつ、しょーがねー万年永年中2病のおっさんの言説をつづける。

振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ相手はパーだ: (枡野浩一/「てのりくじら」より)

という、歌人の、枡野浩一さんの短歌の一首がありますが、俺はいま、まさにそんな心境だけど、つづける。

現代音楽が、不協和音に象徴される難解さ、聞きづらさを根底に備えてる、そのようなものを紹介するのか、そのようなものと思わせつつ、そうじゃないものもあるということを紹介しようとするのか、そのどっちもなのか、チラシもパンフレットも、司会の秀作さんと演奏者の方のやりとりも、ぐるぐる、ぐるぐる、回っていた。

おれは、そのように感じた。

リゲティシュニトケと、大久保さんの新作と、ライヒは、表現のアプローチとして、違うし、そこを、その、表現のアプローチの違いを、どう際立たせるかといったところに、今回の第1回の絶頂コンサートの妙があったのではないか。

リゲティシュニトケは、吹奏楽部の中学生がアンサンブルコンテストの参考に聴きにきても、ものすごく参考になる演奏だった。というか、こういう演奏を生(なま)できいて、豊かな音楽経験を、音楽を志す10代の若者は積んでほしい。そういう意味では、この日のちょうど一週間前の、仙台フィルの定期に足りないものが、この「絶頂」にはあったとおもう。仙台フィルの定期も素晴らしかったけれど、「絶頂」のコンサートを聴くと、仙台フィルの定期は、あんなものでいいのですか、と憎まれ口をたたきたくなる。話題がそれた。本題に戻ります、ただ、大久保さんのウエブ上での発言に何回かキーワード的にでてくるように「拡張」がある。リゲティにもシュニトケにも。そして、その「拡張」はやがて歴史に回収されていく。それは時の流れの醍醐味であろう。リゲティシュニトケが、不協和音に象徴される難解さを兼ね備えたまさに、現代音楽というなら、ドビュッシーラヴェルにだって、同じように不協和音があり、難解さがある。というのは暴論だけど、おれはそこまで暴論ではないとおもっている。オール現代演奏会です!と銘打って中身がドビュッシーラヴェルのみ、だったら違和感がある。そして、今や、ショスタコービッチとストラビンスキーと、武満徹でプログラムを組んで、オール現代というのも、もはや、若干、違和感があるような21世紀ではないのか。1970年なら、それはまさにオール現代だっただろうけれど。そこまでではないにせよ、チラシもパンフレットも、司会の秀作さんと演奏者の方のやりとりに、感じた、ぐるぐるには、そうした違和感の、微量なものが混じっているように、おれは感じた。

司会の秀作さんがおっしゃっていた、だから、「今日の演奏会には、ベートーヴェンとかがなくて」、「全部デザートみたいな」というのには、違和感があった。ベートーヴェンは、当時の現代音楽だ。そして、リゲティも、シュニトケも、その作品が発表された当時は、ベートーヴェンが当時そうであったのに、拮抗するように(これはものすごいことだ)、時代やそれまでの表現に対して「拡張」があった。しかし、シュニトケも、リゲティも、21世紀には、現代音楽というより、20世紀の音楽になっていくだろう。というか、そうなるべきだと自分は考えている。

大久保さんの新作も、興味深く視聴させていただいた。ナム・ジュン・パイク、だったか誰だったかは、忘れた。曲名もセレナータ第2番だったかも、定かではないが、ステージに出てきて、ついたてになっている壁にパンツを掲げて、ステージから去るといったパフォーマンスが20世紀の作品にあったと記憶しているが、今回の演奏会で、一番そうしたコンセプチュアルな要素の高い作品に思った。

演奏者はこの曲の楽譜を完璧には再現できない。演奏の再現性の100パーセントの可能性を、最初っから一部放棄しているところに、この作品の魅力を感じた。示される楽譜に人間の反応がどうしても追いつかない瞬間が、はさまる。演奏は楽譜を、忠実に再現できないことが、もう予め準備されているかのようだ。これを人間が演奏せず、電子回路に音を出させるなら、楽譜の完璧な再現になるだろう。しかし、楽譜を完璧に再現することは、この作品は、志向しない。あくまでも、人間程度の処理速度による、電子回路による正確な再現はさせない、ということだ。クレタ人のウソみたいな、なんという、この曲の仕掛けだろう。音楽の著作権が問われるときに、演奏の再現性が問題になることがある。勝手なアレンジをするな、である。そうしたことにも、若干問題提起をしつつ、人間がこの作品にかかわるところに、ミソをもってくるところに、たとえばライヒへのオマージュを感じた。電子回路がシミュレートするアルゴリズムによってランダムに示される音も、おそらく作曲家のセンスによるセレクトが働いていると感じさせるものだ。つまり半音階のすべて、とかではない。それが、この曲のサウンドの核となっている。これは、ある意味、演奏家の、演奏技術としての、従来の習熟を必要としない。これは真面目な弦楽四重奏なのか。つまり、サウンド面は、作曲家がセレクトしたいくつかの音の組み合わせが、ふわわわーんと鳴り響いているだけにすぎないのだ。作曲家ならずとも、鍵盤楽器の鍵盤の、黒鍵の音だけを、ランダムにバンバンならしてみると、あらふしぎ、なんだかある国の民族音楽(たとえば、漠然と中国の、)みたいに聞こえる、みたいなのと、似ている。この曲は、サウンド面は、ある選ばれた音が、ランダムにバンバンならされるだけだ。そこにプロの演奏家としての演奏技術を感じさせる場面は、表面的には、ない。

ここでも、ライヒ作品のオマージュを感じさせるシステムの共通さ、を自分は思った。ライヒの初期の代表作である「ピアノ・フェイズ」は、前半「ミ ファ# シ ド# レ 」の5つの音しか使わない。後半にはそこに「ラ」と最初の「ミ」とオクターブ違いの、オクターブ上の「ミ」が加わり、最初の「ミ」と、「ファ#、ド#」が削られる。。サウンド的には、それらがランダムにバンバンならされたような混濁と、示されてくりかえされる音型の、ルールに従った厳密な反復と変化、があるだけである。ルールに従った厳密な反復と変化の実現にのみ、演奏者の技術は注がれる。

大久保さんの新作の弦楽四重奏が真面目な弦楽四重奏でないならば、ライヒにのピアノ・フェイズも、真面目なピアノデュオ作品ではない。それを裏替えせば、大久保さんの新作の弦楽四重奏曲は、ライヒのピアノ・フェイズのように、まっとうなシステムとサウンドのあり方があり、そこに、電子回路がシミュレートするアルゴリズムを映像で提示するという「拡張」がある。大久保さん、俺の言ってること、あってますかね。

さて。ライヒの「ディファレント・トレインズ」。生で聴いたのは初めてだ。最高だった。ありがとう。この曲を生で聴ける日がくるなんて。悔しいし恥ずかしいけど、これは今まで仙台にはなかった志や、熱量だ。まいった。ごめん、ありがとう。すごいよ。これ。

俺が一番最初に購入したCDは、ライヒである。ライヒの初期作品集がそうだ。それまでクラシックのレコードはそれなりにもっていたけど、時代の録音物がレコードからCDに変わっていった時代が、自分の10代だ。そんな中の俺のファーストCDがライヒ。なんでこんなにはっきり覚えているか。家にCDを再生できる機械・機材がなかったのにCDを購入したからだ。高校の同じクラスのいかにももうCDプレーヤーを持っているクラスメイトに、カセットテープと、セロファンの封も開封してないライヒのCDを渡してダビングをお願いした。

そのくらい俺にとって、ライヒは衝撃的な作曲家だった。名前が似ているから、当時、好きな果物のはライチになったくらいだ。今日、昼食にビックボーイでサラダバーを頼んだとき、ライチをみて、ひさしぶりにそのことを思い出した。ライヒもライチも、なんだかごめんよ。

ディファレント・トレインズも、CDが出たてぐらいの時期に、購入した。大学のとき、作曲家の間宮芳生先生が夏期集中講義の講師として、おれが通っていた大学にきてくださり、講座を持っていただいたが、間宮先生の著書で、(ライヒをはじめとする)ミニマル・ミュージックは造花のようだ、と否定的に書かれていたが、そんな間宮先生が紹介したライヒの作品が「ディファレント・トレインズ」であった。間宮先生に、ミニマルミュージックは造花とおっしゃっていたのに、なぜ、と直接きいてみたところ、この曲は、違う、とのことだった。

今回、ディファレント・トレインズを生で聴いてみて、ああ、これはAR(オーギュメンテッド・リアリティー)なんじゃないか、と思った。全部音源で再生してもいい。でもそれは、CDなどによる録音を聴いているのと同じ状態である。複数のカルテット、インタビューの断片、汽笛、サイレン、鐘の音、などをパートとすると、生のカルテットが担当するのは、そのうちの一つである。それらが、あらかじめ録音された音源と一緒に演奏される。そこに意味がある。大久保作品との、作品ありようで、通じるものを、ひしひしと感じる。

秀作さんのMCもすごくよかった。「30分近い作品なんですけど、ずっと鳥肌が立ちっぱなし」。うん。ですよね。ですよね。だから、今回の演奏会、全部がデザートじゃないです。ライヒがメインディッシュとして明確に構成されてるように、自分は思いました。アンコールがデザートの4分33秒。これは、演奏者が何もしなくても、聞こえてくる音は必ずある、その音に耳を澄ます、という作品。会場から、演奏者が何もしないと、かすかに、道路からのクラクションが聞こえてきて、まさに4分33秒。お腹の鳴る音も、咳払いも、4分33秒がシステマティックというよりはあまりにも根源的に哲学的に提示した結果の、この曲のサウンドそのものです。楽譜もちゃんとあって、4分33秒で画像検索してみてください。たどりつきます。そして3楽章構成になっていることがわかります。この日の4分33秒は、ちゃんと楽章間を、アタッカにせず演奏されました。前菜がシュニトケと、リゲティ。なんてこりこりの前菜でしょう。全部デザートじゃないですよ。

秀作さんのMCに答えた川又さん、瀧村さんのインタビューもよかった。ライヒのディファレント・トレインズについて。「この曲、曲としては悲しいとか暗いとかは、全然ないんですが、演奏し終わったあとに、ずどーん、としたものが残る」「音楽の力を感じる」

1stヴァイオリンの川又さん。ヴァイオリン激ウマでした、すごい。しかもインタビューに答えてるときは、気風のいいシャキシャキのお姉さん風なルックスですが、楽器を構えて横からみると、美しさがスーパーサイヤ人。何度か見とれてしまいまいした。すみません。
ディファレント・トレインズのときは、ヴィオラの飯野さんが突出してノリノリだったように感じました。ヴァイオリンの女性のお二人は、シュニトケリゲティの時に比べると、ディファレント・トレインズでは、すこし表現を抑えているように。自分は飯野さんのように、全員がノリノリになる感じが好みだなって思ったりしたり。

あと、カルテットすべてを通して、1stヴァイオリンに対して2ndヴァイオリンが、バランスを取っているように感じました。そのような様式美、ということかもしれないですが、これも自分の好みとしては、ときに1stの存在を脅かしてしまうような2ndヴァイオリンというバランスのとり方も、あってもいいのでは、と思ったりも、また、したり。

あと、「絶頂」というネーミングとか、これが今日のカルテットの名前なのか。せっかくこんなに素晴らしいのなので、ヴァイオリンの女性のお二人の意見的にどうなのか、自分はカルテットに名前があって、そのほうが紹介しやすかったら、そういうのもあってもいいのかな。と。

あと、漢字の二次の熟語のかっこよさは確かにあるので、第二回は「拡張」とかでもありかなと。そしてカルテットには名前を。旅にでるときはほほえみを。すべての鳥に鳥の名を。(←この2つの文章は、敬愛する歌人の正岡豊さんのマネです。)

第二回もぜひ。ぜひ開催してください。

9月22日に仙台で、お薦めの演奏会があります!

それは弦楽四重奏の演奏会です。

弦楽四重奏クラシック音楽の演奏形態の一つとして知られているものですが、

この演奏会は、きっと既成のクラシック音楽の概念を打ち破るものでしょう!

演奏会名:「絶頂」

演奏形態:弦楽四重奏

演奏曲目:スティーブ・ライヒ     ディファレント・トレインズ(1988)
     ジェルジュ・リゲティ    カルテット1番「夜の変容」(1954)
     アルフレート・シュニトケ  カルテット3番(1983)
     大久保雅基         新作初演(2018)

公演日時:
      2018.9.22 |土| 2回公演
      14:00開演(13:30開場) 
      18:00開演(17:30開場) 

会場  :エル・パーク仙台 ギャラリーホール

この演奏会についての詳しいリンクはこちら!チケットもサイトから買えるぜ!

http://zetcho-sendai.com/

作曲家の大久保さんが語る記事もおすすめ。

http://hash.interim-report.org/Introduction/02.html (#Introduction Interim Reportをとおしてアウトプットする人や組織にインタビュー。活動内容やその背景、制作環境について聞く。 )

http://hash.interim-report.org/backstage/02.html (「フォーマット化する音楽」を型破れ)

「絶頂」のツイッターはこちら https://twitter.com/zetchosendai

ヴィオラの飯野さんのツイッターはこちら https://twitter.com/kAzUhIdE6318

作曲の大久保さんのツイッターはこちら https://twitter.com/motokiohkubo


で、俺はこの「絶頂」コンサートのチラシについて、この記事のひとつ前の記事の中で(http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20180820/1534763095)でむっちゃディスってるので、よろしかったらそちらも未読で興味があってお暇な方は是非ご一読ください。

たとえスマホを片手にもっていたとしても咳をしても一人(「緋国民楽派 作品演奏会」を聴く)

2018年6月17日 
祝30周年 緋国民楽派 作品演奏会[仙台公演]「トランペットとコントラバスが出会うことき」
を聴く。

プログラムは以下。

萩 京子:
DANCE OF ACCORDANCE and DISCORDANCE
コントラバス・ソロのための(2001)仙台初演

萩 京子:
夏の花
〜トランペットとコントラバスのための(2017)仙台初演

寺島陸也:
《M.へのオマージュ》
トランペット、コントラバスとピアノのために(2017)仙台初演

――休憩――

「ファンファーレ」

林 光:
幻想風ソナタ「はんの木の歌」
コントラバスとピアノのための(2011)

吉川和夫:
アンティフォニーVII(2017/18)改定初演

*演奏
曽我部清典(トランペット)
助川 龍(コントラバス
寺島陸也(ピアノ)

14時開演@仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール

洒脱で繊細で心地よく緊張感のある演奏会だった。音を、音楽を存分に楽しめ、余韻の深みのある演奏会だった。

そして何より耳が洗われた。内的な意味での聴覚意識、聴覚を中心とした自分ある部分の総体がブラッシュアップされるような感覚に沈んでいった。

新作初演を含む、邦人の作曲家の、作品による、プロの、クラシックを中心として活動している演奏家が演奏する演奏会は、「現代音楽」ということの劣等感という意味でのコンプレックスをどうしても抱えてきているようにおもう。「こんな(むずかしい、耳慣れない、特殊な編成の)演奏に、よくもまあ来てくださいました。ありがとうございます」といった謙遜がどこかしら空気感として、漂っていて、払拭できていない。

でも、この日の演奏会を最初から最後まで、聞いて、確信した。そんな謙遜や、コンプレックスはもはや不要なのではないか。と感じた。

「ジャズももちろん、クラシックは当然、あらゆるジャンルを俯瞰した、最先端の室内楽」というたとえば、ダサいけど、そんなキャッチコピーで「どや顔」でアピールしても、おつりがくるくらいの、内容も、ある。それがすべてじゃないけど。

この日の演奏会に挟まれたチラシの一枚が、まさにその辺の混迷の余韻を物語っていた。

オール20世紀以降の作曲作品でのプログラムで、新作初演を含む弦楽四重奏の演奏会。プログラムの一曲目がS.ライヒの「デファレント・トレインズ」

おおおおおおお!!!なんってセンスのいい選曲なんだ!すばらしい。
つべのリンクはっとく

https://www.youtube.com/watch?v=DY014O_sWkE

https://www.youtube.com/watch?v=RaYvMwQd3cs

これも貼っておく。6台のマリンバライヒいいよね。

そして、続くのはリゲティのSQ1番。

https://www.youtube.com/watch?v=UYiec4ajEMU

これね。ライヒリゲティですよ。わかってるじゃん。みたいな

ニコニコしてきつつ、そして次は!

https://www.youtube.com/watch?v=36fPvCBYXL8

シュニトケですよ。閉鎖されたソビエト連邦にのなかで他国の音楽が禁止されていたような環境にあって、西側(この言葉のニュアンス!)の音楽は、まさに、未聴感の弾丸だったにちがいない、ロックも後期ロマン派もタンゴもサンバも、シュニトケにとってはもしかしたら等距離くらいに遠い、異国の民族音楽だったのかもしれない、みたいなことを解説したくなる作曲なんだが、ライヒリゲティシュニトケ。非常に興味深い意志のあるプログラミングだ。おすすめですこの演奏会!

あ。でもさ、ここまで全部、ネットで視聴できんじゃん。

プログラムの最後は、若い(基準は現在48歳の俺とくらべて。おおお18歳下だ)作曲家の新作初演。

20世紀以降の作品を取りそろえたプログラムとしてはオーソドックスなんじゃない?ちがうか?

さて。

そのチラシに書いているタイトルは「第一回 絶頂」
うーむ。おれはそのセンス微妙だ。

手に取ったひとが直感的にわかんないじゃん。これフォントもデザインも同じでいいので「絶頂 弦楽四重奏 第一回演奏会」じゃだめなのか。

それからチラシに写ってるのが二人の男性。ひとりが楽器のケースを開けた状態でもっていて、もう一人が楽器。メンバー全員写せよ。弦楽四重奏の演奏会なんでしょ?わかんないよ。

中央にうつってるのは、力士像。タイトルは第1回「絶頂」。ねらってはずしてるけどセンスない。みたいな感じに自分はおもってしまう。チラシの裏側をみれば、演奏家のプロフィールがわりと通常の長い分量で。○○に師事。〇○卒業、〇○コンクール入賞が。だだだだだっと書いてる。

表が「絶頂」と力士像だったら、裏これはねーじゃん、っておもう。

いや、わかりやすければいいっていうもんじゃないけど、このチラシをめぐセンスその他が醸し出す雰囲気に、独りよがりの自己満足を、俺は感じて勿体なく、また、こうしたチラシに出会ったのが、自分がどんな場所でどんなタイミングだったかが、すごく象徴的で。

司会はクラシック好きのよしもとの芸人さん。ちょっと緋国民楽派の演奏会のこととはなれてきたけど、つづける。

おれなら、さっきも言ったけど、フォントもデザインも同じでいいので「絶頂 弦楽四重奏 第一回演奏会」にする。力士像一緒にうつしてもいいけど、センターははずす。演奏会にかかわるひと?をチラシの写真のメインに力士像一緒に写してもいいけど、弦楽四重奏のメンバーは全員うつってもらう。それで裏の顔写真はカット。

裏のプロフィールはすべて数行程度に絞る。
1stヴァイオリン 第2回仙台国際音楽コンクール審査員特別賞。2015年に演奏したコンチェルトは全世界に中継され絶賛を博す。
2ndヴァイオリン コンクール入賞多数、ソリストストとしてオーケストラと共演多数。現在、読売日本交響楽団首席。
ヴィオラ コンクール入賞多数。現在仙台フィルハーモニー管弦楽団ヴィオラ副主席。
チェロ コンクール入賞多数。国内の様々なオーケストラの客演首席奏者を務めつつ、現在仙台フィルハーモニー管弦楽団チェロ首席。
程度で。

公演概要とプログラムとチケットについてでっかくかく。

そうそう、現在配布されているチラシにはこんなことも書いてある。

「チケットは〇○もしくは□□まで、直接予約のみとさせていただきます。」

のみ?って書いてありながらチケット金額の設定が前売りと当日の二種類あるのも、ちょっとわからない。当日券あるのに、予約しなければならないってこと?

このあたりの説明不足感も、デザインのユニークさの印象を悪くしてるとおもう。

そして、言及したいのが、企画者による口上。以下引用

「 現代音楽は難しい。コンサートに足を運び、プログラムに書かれた作曲家のよく分からない解説文を流し見し、曲が始まると不協和音が演奏される。静寂が訪れ、展開が変わったかと思うとまたもや不況和音が続く。演奏家達はノリノリで演奏しているが、楽譜を見ていない私たちにとっては曲が終わるのを待つ修行でしかない。演奏が終わった。残念、フェイクだ。もう1分ほど演奏してやっと終わった。もう現代音楽は聞きたくない。皆さんもそのような経験とかがあるのではないだろうか?
 このようにして現代音楽は人々から嫌われクラシック音楽に演奏される機会を奪われていった。なんて勿体ないんだ。現代音楽ほど創造的で、音楽の聴き方を広げる音楽はない。現代音楽の魅力を伝えるために、仙台在住の作曲家 大久保雅基とヴィオラ奏者 飯野和英は立ち上がりコンサート・シリーズ「絶頂」を企画した。このコンサートでは、単なる音楽体験にとどまらない、体からこみあげる絶頂をお届けする。今回は弦楽四重奏をテーマに選曲し、近現代の名曲と大久保による新作を演奏する。」

いわんとしてることはわからないでもない。

しかし、だ。

「このようにして現代音楽は人々から嫌われクラシック音楽に演奏される機会を奪われていった。なんて勿体無いんだ。現代音楽ほど創造的で、音楽の聴き方を広げる音楽はない。」

ここに、プロ意識をもってこの文章を書いたとすれば、それはちょっと問題なのではないか、と思うくらいの、意図的だろうとは決して思えない飛躍がある。「魚に火を通さないで食するなんて、とんでもない!しかしなんて勿体無いんだ。寿司ほどおいしものはない。」って言っているような文章だ。

致命的なのは、現代音楽の問題点を指摘しているのが、まさに同じ問題点を指摘されるような足場から書いていることだ。つまりわかる人にはわかる文章でしかない。この演奏会が届いてほしい、と、おそらくおもっている人々に対してどこまでも上から目線だ。だいたい「楽譜を見ていない私達にとって」って、誰のことだよ。楽譜をみればある程度わかる人たちのことかよ。これは、そういう人たちに向けた、会員制クラブみたいな、演奏会なのですかね。楽譜をみようが、楽譜をみまいが、音楽はそこにあるわけで。楽譜を読めるひとだけが聴衆ではないはずだ。ちがう?いったいこの文章はだれを向いているのか。

狭い。意識も狭いし、見えてる世界も狭い。

「現代音楽がクラシック音楽に演奏する機会を奪われた?」なにをおめでたいことをいってるんだ、お坊ちゃんお嬢ちゃんたちは。俺が中学生の息子に、「いまって、どんな音楽流行ってるの?」ときけば、息子の答えは「音楽が流行ってないよ。音楽そのものが流行ってない。」である。ここで半分衝撃が来てほしい。ニュアンスがつたわってほしい。そして俺と息子の次のやりとりに注目してほしい。俺「じゃ、何が流行ってるの?」、息子「動画とか」。

ここで残りの衝撃を感じることができるのであれば、話題を進められる。問題を共有できる。つまり、クラシック音楽も現代音楽もポップス音楽も、「動画とか」に、存在そのものを奪われ始めているのである。そして、仙台フィルの定期も、アニメ「君の名は」の主題歌を担当したRADWIMPSも、芥川作曲賞も、危機意識として共通するものとして、存在そのものを奪われるかもしれないと、物事をみることも、同時にできないのであれば、「音楽そのものが流行っていない」という中学生に対して、クラシック音楽が、現代音楽が、ポップスが、なにになにを奪われるとか、夫婦げんかの痴話げんかみたいなものでしかないのか、と。

現代音楽が難しいのであればJ.S.バッハや、ベートーヴェンは難しくないのか。簡単なのか。聞きなれればわかってくる、ということであれば、50歩100歩とは言わないまでも、20歩100歩じゃないのか。映画のアマデウスは、サリエリが登場したのが見応えのしかけだ。サリエリの曲、みんな口ずさめるのか。20世紀に作曲された芸術音楽の大部分はサリエリ化すらしないだろう。サリエリ化すらしないものを、十把一絡げにしてもう聞きたくないとは暴論ではないのか。もうサリエリなんて聞きたくない。いいよ聞かなくて。なんて勿体無いんだ。モーツァルトほど天衣無縫で、音楽の根本の魅力を備えている音楽はない。みたいな論理展開に思う。上記に引用した口上は。

 俺なら上記に引用した口上を以下のように書き直す。

「 クラシック音楽は20世紀に入ってどうなったのかというと、現代音楽といわれて、作曲家がそれまでの表現方法を更新することに腐心するあまり、聴衆との関係において、どんどん、どんどん、聴衆から作曲家の意識や作曲作品が遠ざかっていった時代だった、そういう側面は確実にあったとはいえないか。確かに19世紀末から20世紀初頭にかけての、クラシック音楽の爛熟ぶりは、本当にいきつくところまでいって、いったいどうなってしまうのか、と、(現代音楽というひとつの状態を、過去のものとして、知った今でも)その歴史を追うと、胸がドキドキしてくる。
  さて、20世紀のクラシック音楽を先祖とする現代音楽は、とうとう一切音を出さない作品や、雑音だけでできた作品というものも、生み出した。しかし、(クラシック)音楽の歴史において、先人の(劣化コピー程度でしかない)模倣ではない、という点もふまえつつ、方法論の袋小路に陥ることもない、ぎりぎりの、名曲も、実は、思っているよりずっと豊穣に存在する。
  21世紀はもう、現代音楽であることを言い訳につべこべ言う時代ではない。まず、今日の演奏会の音に耳を傾けてほしい。そしてステージそのものを、その目でみて、体全体で、感じ取ってほしい。このコンサートは21世紀が再び音楽を聴衆のもとに取りもどす時代でもあることに祈もこめつつ、体からこみあげる衝動にフォーカスする。“絶頂”は、その一つのあらわれである。」

 さて、緋国民楽派、仙台公演。

プログラム中、一番、こころが「ああああ!!!」となったのは、後半の最初のコーナー、「ファンファーレ」である。緋国民楽派の三人の作曲家による数十秒、1分にならないくらいのファンファーレから後半がスタートした。

吉川先生のファンファーレには、吉川先生の作曲家としてのとびぬけた資質と、吉川先生にしか立てない立ち位置とをすべて凝縮したようなファンファーレだった。一番ファンファーレらしい、あかるく輝かしいファンファーレなんだけど、ちゃんと吉川先生にしかかけない吉川先生の曲だった。胸がしめつけられた。自分は、自分にとっては一気になにかが「ユリイカ!」

国民楽派の吉川先生以外のお二人も、緋国民楽派の作品演奏会全体のテイストがそうであるように、コンテンポラリーな作曲であることの前衛性や実験性、そういったものを背負わされる空気圧からは遠かったり自由であったりするだろうと自分は感じてるんだけど、けど、吉川先生がああも直球なファンファーレを書くと、ほかのお二人がファンファーレと聞いてファンファーレらしからぬ曲をかかなければみたいな呪縛の、根深さを、逆に強調されたように感じてしまう。

国民楽派としても活動している作曲家の吉川和夫氏は、自分にとっては大学時代の恩師である。だから吉川先生と呼ぶ。出会いからもう20年以上になる。間宮芳生門下の秘蔵っ子として非常に実力のある若手作曲家として、宮城教育大学に迎えられたときは、自分は大学の4年生だった。吉川先生はまだ30代の後半という若さであった。自分は吉川先生に「宮教大からすぐにいなくならないでください」と強烈にいった。吉川先生もそのことを覚えててくださり、時折話題にだして、思い出してくれる。

自分には東北の田舎に生まれ、東京都内の大学を受験するも不合格になるなど、田舎者としてのコンプレックスの根は深い人生だ。東北新幹線の上りの最初の終点の駅が大宮駅だったことは、いまだに少年時の強烈な記憶で、それはつまり、直接は乗り入れるな、ってことですか、と屈折した受け取りがある。

吉川先生のような若手で実力のある人が大学教官として、自分の学ぶ大学に赴任するのはとても喜ばしいことだ。しかし、そういう実力者が、実力者であるがゆえに、教育大学ではなく、音楽大学とか、芸術大学に、今後、呼ばれていってしまう、そういうのは、自分はほんとうに、たまらなかった。前述の理由で。

自分のそのたまらなさとは、おそらく全く関係がなく、吉川先生は、ずーっと宮城教育大学で教鞭をとりながら、作曲家としても一線で活躍されている。

吉川先生は、一時期、吉松隆とともに論じられがちだったこともある、とご本人と話題にしたこともある。演奏会場で吉松氏と、吉川先生は、あうと、あいさつを交わす間柄だったとも、聞く。なぜ吉川先生と、吉松隆吉松隆は、前述の現代音楽に対して、「反現代音楽」ということを標榜に挙げる邦人唯一無二の作曲家である。

これに対し、吉川先生の立ち位置を、本人の言葉から、今一度引用したい。

 吉川先生は1980年代に出版された、'83音楽の友・音楽芸術別冊「日本の作曲家」の石田一志が執筆した吉川和夫の項目の記事で、「<前衛>だから正当的な現代音楽、<調性>だから非<前衛>で大時代的、とりあえずもういい加減に、こういう馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう。歴史に寄与するために作曲するのではない。言いたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要かを大命題としよう」という発言が紹介されている。

 このことについて自分はかつて、以下のように書いた。
【1980年代、現代音楽というのは、19世紀までの作曲の方法論をいかに更新するのか、それがまず前提に色濃くあったとおもう。それこそ、「もういい加減にしましょう、」と言いたいくらい、の空気感があったのではなかったか。現代音楽の文脈で、もしくは、その関わりを背景としながら、はっきりと調性を方法論の中心に据えて作曲していた人は、「反現代音楽」を標榜に掲げる吉松隆くらいしか思い当たらない。多くの現代音楽の作曲家は無調をはじめ19世紀とは袂をいかにして分かつようにしているか、な20世紀の方法論を模索しながら作曲行為に向き合っていたと自分は考える。新しい旋法のシステムを編み出したり、偶然性や、具体音、ノイズ、を導入したり、図形楽譜を採用したりなど。もちろん調性で音楽を書くことはあっても、それは商業ベースからの要請としてであって、そこと、自分のメインとなる実験性、前衛性は、きっぱりと分かれていることが時代の趨勢であったと実感している。

 そういう時代の空気を背景として「馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう」という当たり前のことを、きっぱりといえるのは、なんというか、逆に外連味を感じるほどの鮮烈さだった。

 調性は汎用性がありとても便利なシステムである。しかし、作曲家が未聴感を求めるなら、調性というシステムは使い尽くされており、選びづらい。】

 吉川先生のファンファーレを聴いて、ある意味ますます吉川先生について、確信し、そして、自分の物事のとらえが、ずーっと浅いことを思いしらされる。

 吉川先生がそういうひとではなく、ファンファーレもそういう曲ではなかったけれど、という書き出しから始まる話をしたい。

20世紀という時代があって、現代音楽と呼ばれるスタイルがあったとき、吉川先生の「いいたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要か」ということで、吉川先生は書き続けた。

 それは、野球の試合において投手がほぼ100パーセント変化球しか投げない状況で(そんな時代が未来にきてしまうことをSF的に予想してみて、という仮定の話で)、変化球に織り交ぜて、直球を投げる投手がいるようなものだ。

 投手が変化球しか投げない時代に、直球勝負できる投手がいたとしたら、その投手がそういうひとではなく、その直球になんの性格の悪さもないのだけれど、結果的に、その存在が「みんなコントロールがわるいんだよ」といっているようにも見えるかもしれない。

 もう一度、文の書き出しを改めて繰り返して述べると、吉川先生がそういうひとではなく、ファンファーレもそういう曲ではなかったけれど、「いいたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要か」ということを誰よりも重心をおいて、ぶれずに来た吉川先生の書く曲は、いわゆる現代音楽の総体を向こうに回して全員に「未聴感とかって何?結局みんな、耳がわるいんじゃないの?」といっているようにも見える。

 そんな吉川先生は、「反現代音楽」とわざわざいう必要もない。

国民楽派の仙台公演の中で、吉川先生の曲を聴いていて思ったことは、そういう音、そういうスタイルの部分も曲調のひとつとして、それなりな割合、重心をしめているのに、そういう書き方をすれば、聞く側に媚びるようなことになりがちなのに、よく吉川先生は、久石譲にもならず、坂本龍一にもなっていないな。と。自分が中学校で吹奏楽の指導や指揮や吹奏楽コンクールに携わっている立場からいえば、福島弘和にもならないし、八木澤にも樽谷にも当然ならない。何かとってもバランスが難しく綱渡りみたいなところを、冷静と情熱の両方を手にもって、すーっとすすんでいく。ど真ん中の直球を、コントロールさえ完璧なら、変化球はいらない、といわんばかりに投げるごとく。

代筆事件で一躍名がしられた作曲家の新垣隆さんは「歴史の延長線上で勝負できる作曲をしたい」といったことをインタビューか何かにこたえていっていた気がする。これと、先の吉川先生の「歴史に寄与するために作曲するのではない」ということと対立するのだろうか。

吉川先生が作曲家としてほんとうに言いたいことのためにどんな音が、どんなスタイルが必要か、ということと、これ以上ないほど正面から取り組んだ結果、吉川先生の曲は、商業音楽風であることにその傾向を感じがちになる聴衆への聴きやすさや、喚起させられる抒情に奉仕してしまうような、といったニュアンスをいってしまいたくなる妥協などとは、きちっと一線を画し、結果吉川先生の曲も、本人にその意識があるかどうかは、いったんおいておいて、歴史の延長線上でも勝負できる曲を書いていると、自分は考える。

 演奏会場で吉川先生の作曲作品が収められているCDを購入することができた。演奏会以降、毎日聞いている。ここのところ、自家用車で聞く音楽がなかったので。というか、自分は中学校の音楽の教員だか、音楽にかかわる職業にあるひとは、おしなべて、趣味や興味で音楽を聴く状態、時間の作り方は難しくなる時も、少なくないのではないか。

 吉川先生のCDをここの所毎日聴きながら思うのは、耳が洗われてくるような感覚である。バロックから近現代にいたるまでの音の使われかた、スタイルはもちろんのこと、日本の伝統音楽、諸民族の音楽、ジャズ、ポップスといったものまで、吉川先生の幅広い音楽体験音楽経験から、作曲家の言葉どおり、作曲家が言いたいことを言うために、音やスタイルの外枠がまず選ばれる。そして外枠は外枠そして、そこには吉川先生でしかない、魂が、だるまのめが入れられるように、入ってくる。結果、ふしぎな未聴感に満ちた作品集がそこにある。本人はもしかしたら「未聴感」って何?と思っているかもしれないにかかわらず。

 邦人の作曲家であるけれど、そこに邦楽が使われるときですら、選ばれる音やスタイルのひとつでしかないようなクールさもある。このことについて、CD「竹田惠子 オペラひとりぼっち にごりえ 作曲:吉川和夫」のブックレットに掲載された、音楽評論家の池田逸子氏による解説から以下引用する。

 「 「初めて文楽を見たときの衝撃は今も忘れられない」と吉川和夫は記している。「緩・中庸・急、さまざまなスピードで語られ、うたわれることで変幻自在に、しかも強烈なリアリティをもって息づきながら迫ってくる日本語。言いたいこと、言わずにはいられないことを力づくでも言いきってしまう感情の表出。そしてそのために仕掛けられた綿密な計算」(吉川和夫/オペラ「金壺親父恋逢引」初演プログラム、1981年)。また、国立劇場雅楽を研修して演奏団体「東京楽所」に所属し、武満徹一柳慧、石井眞木らの新作雅楽の初演にも参加した。それらの貴重な音楽経験で習得したことは、師・間宮芳生から学んだことも含めて、列島の南(沖縄)から北(アイヌ)まで、さらにはジャズ、アフリカ、アメリカ大陸先住民などの音楽にまで関心を広げて、吉川和夫の諸作品(器楽曲、声楽曲を問わず)にさまざまな形で投影されている。 」

 吉川先生に先行する日本の伝統音楽にもとづいた作曲作品は、上記の引用に登場する作曲家たちによっても書かれているが、吉川先生のそれは、自国の、自分の文化の、伝統音楽であるにかかわらず、他の作曲家よりも、さらに、一定の距離感があるように思う。それは自分の作曲する作品に、説得力を持たせるための、方法論として、でもあるかもしれないし、そもそも日本の伝統音楽は、明治維新以後、ドレミファソラシドが輸入され義務教育の音楽教育もドレミファソラシドが今現在もベースとなっていることから、自国の伝統音楽自体が、地理的なことによってではなく歴史的に分断された向こう側にあるという面も、濃いという、現状のリアリティーに即して、かもしれない。
 
 その結果、たとえ自国の伝統音楽にもとづき、素材として作曲しても、自国の民謡や民族音楽の音楽語法、形式を重視した楽派が国民楽派と呼ばれるような、それとは、まるで違う。

 あ。

J.S.バッハ平均律第2巻、全曲演奏会を聴いて

 自分はこの文を書いている今48歳だが、少なくても30年前の18歳の時は将来の進路として音楽を志していた。クラシック音楽の分野で。

 そのときの自分にとって、チケットを買って生の演奏を聴きに行くコンサートは貴重な機会だった。

 どのコンサートにいくかの選択の根拠に、例えば、出演する演奏家が、マスメディアを通してその活躍がよくわかるか、ということなどが、基準になる。

 事前に、活躍がよくわかっているアーティストほど、値段も高く、演奏内容も素晴らしい、ということは、ある程度は言えるかもしれない。

 しかし、ある程度以上のことは、言えないかもしれない。ライヴというのはあくまでもライヴだからだ。ライヴの面白さ、奥深さは、事前情報の濃さ、とは別のところにもある。のではないか。

 さて、2018年4月1日、京都のアルティでJ.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲演奏会、24人24色を、聴いた。

 http://bach24.web.fc2.com/index.html

素晴らしかった。そして、この演奏会の素晴らしさの質を支えているものの、ひとつは、誤解を恐れずいうならば、マスメディアを通した評価とは、別のところにも、音楽家演奏家としてのプロフェッショナルな意識が根付くことの、ある種の職人的なあり方である。それを、まさにライヴの演奏を通して感じさせられた。

 ピアノの演奏で完成度が高い、演奏に傷がない、音楽表現に集中していてすばらしい、ということは、それなりに難しい。プロでも。自分にとってラヴェルの「夜のギャスパール」を最初に聴いた演奏は、FMラジオの放送でチャイコフスキーコンクールの上位入賞者として紹介されたウラジーミル・オフチニコフによるものだが、その演奏は、その後カセットテープに録音したものを何度も聴くようになる当時のお気に入りの演奏だった。ラヴェルは当時著作権の切れていない作曲家で、楽譜は、洋書を扱ってる楽譜コーナーでなければなかなか入手できないものだった。オフチニコフの演奏で、2曲目の、絞首台のある箇所の2度でぶつかる音が、ミスタッチだときづいたのは、録音したカセットテープの演奏を何度も聴くようになった以降、数年後である。またそのFMで流れた演奏にはスクリャービンエチュードもあったが、夜のギャスパールも、スクリャービンも、オフチニコフは、演奏の質も高いものだと感じていたが、スクリャービンは曲集の途中、明らかに暗譜を見失っている部分があった。

 自分が10代だった1980年代、もっとも熱狂的にマスメディア的に受け入れられたピアニストは、スタニスラフ・ブーニンである。彼がリサイタルでドビュッシーのベルガマスク組曲を取り上げた演奏はテレビでも放映された。自分は、そのとき人前でベルガマスク組曲を演奏したことがあったので、その曲は特に頭に入っている曲だった。ブーニンの演奏は、完成度に疑問がある、傷がある、音楽的にも集中力を欠くものだった。録画をあとから繰り返し聞くことはなかった。録画したかもしれないが、消したのかもしれない。

 自分が30歳を過ぎて、40も過ぎていくなかで、この人はすごい、と心がもっていかれるピアニストがいて、生演奏で5回、リリースされているCDはほぼもっていて、そのどれにもサインがあるが、自分が客席で聴いた直近のオールショパンのプログラムは、傷が多かった。おおよそその人らしくない演奏で、ああ、こんなこともあるんだ、と変な感心のさせられかたをした。仮に、その演奏会の録音をプレゼントするといわれたとしても、自分は要らない、と答えるだろう。その人の演奏会はチャンスがあれば、また足を運ぶだろうにしても。

 京都バッハ平均律を弾く会の、24人のピアニストによる2巻全曲演奏会は、掛け値なしにまたこの全曲演奏会があるなら、是非、聴きにいきたいと思わせる、質の高い音楽に満ちたコンサートだった。

 年末の第9が恒例になる、日本のクラシック音楽の文化・風習があるなら、バッハの平均律全曲を、24人のピアニストで演奏するというのも、是非加わってはいかないだろうか。

 一人が弾けば、負担も大きい。もちろんそれは偉業であるのだが、それをあえて24人のリレーにする面白みや、奥行きは、確かにある。他の曲集でこのような分業はなかなかありえないと、バッハの平均律全曲を24人でリレーする演奏会を聴いて思う。バッハ、だからだよな。平均律だからだよな。面白い。途中15分の休憩をはさんでの約3時間が、あっという間だった。まるでこんな風な演奏会で演奏されることを想定しているかのような、奇跡の曲集ではないか、そんなことすら思ってしまうような演奏会だった。

 24人のピアニスト一人一人は当然ながら個性が違う。それが統一感を損なう方向ではなく、曲集を通しで聴かせるにあたって、逆に飽きさせない方向に、良く働く。

 ピアノという楽器の大きな特徴であるダンパーペダルに足すらおかない、ペダルを一切使わないピアニスト、もいた。それがその人だけの演奏会ではなかったからこその際立ち、や、演奏家としての解釈や意志が、過不足なくそこにたち現れる。

 また同じピアノなのに、鳴る音が全くちがう、ということも、ピアノと楽器のおもしろさ、ひいては演奏するということの奥深さが分かる話の一つだが、この日の演奏会ならではのことの一つでもあった。

 客演のA.ロトー氏の演奏がこの日の、その点の白眉だった。自分は氏の演奏に触れたのはこの日が初めてであるが、こんな演奏家もいるのだ、と驚嘆させられた。ルプーの生演奏に触れた時を少し思い起こさせた。それは座奏時の重心をやや後ろめにとり、上半身の理想的な脱力を引き出しているようにも見えるフォルムと、ポリフォニーにおいても、決して混濁させることはない磨かれた音色の美しさ、から、そんなことを感じたのかもしれない。自分が大西愛子氏からバッハの平均律のレッスンを受けたときに、ハイフェッツの話になり「ハイフェッツは本当に自由よ」ということを大西先生は仰せだったが、バッハにおいて、自由とはどういうことかを、A.ロトー氏の演奏もまた、体現していた。ああ、これがバッハを本当に自由に演奏するということか、と以前よりそのことが自分の中で腑に落ちた。腑に落ちたという言葉の語感とは裏腹に、自分は聴衆のひとりとして気持ちが高揚していた。すごい演奏家だ、ロトー氏は。

 ピアニストの誰しもが事務所と契約したり、CDを何枚もリリースしたり、毎年のように日本国内や世界でツアーを組んだりするわけではない。それは、いうまでもなくほんの一握りであり、さらにいうならピアニストとしてのその人のキャリアのある一定期間、一時期である。そして多くのひとにとってピアニストを目指すということは、コンクールの受賞歴を重ねるなどキャリアを積み、その地点を目指すということだ。そこから導かれるかもしれない一つの結論があるなら、ピアニストはそんなには要らない、ということだ。多くのピアニストを志す人は、その数少ない席を巡って競っている世界もある。自分はそうした世界がピアニストをピアニストたらしめるほとんどすべてだと、しばらくの間は思っていた。意識的に、というよりもしくは無意識に、ピアニストという職業を巡る環境やメディアのつくるイメージによって。

 では、その数少ない席に座れなかったひとは、ピアニストではなくなるのか。

 音楽を志すことの本質は、席を巡る争奪戦ではない。

 ほんの少し冷静になれば、気づくことだがその、ほんの少しの冷静さを、クラシック音楽を取り巻く環境は、いとも簡単に奪って行き、すぐに簡単に本質を歪めてしまう。見えなくしてしまう。

 人間には生活がある。具体的には子育てがあったりする。くうねるところにすむところを、維持しなければならない。誰かに食わせてもらうか、自ら食っていかなければならない。

 食うことの確保と音楽家であることの両立が難しければ、後者をあきらめなければならない厳しさ。

 自分は暗黙にその前提を受け入れることから、音楽を志す道の入り口にたったこともある気がするのだが、

 48歳になったいま、そこ、本当にそうだろうか。と、ふと実感と、自分の思考停止を思う。 

 音楽を志すということは、美に奉仕するために、自らを捧げる、ということだ。時間と才能を。謙虚さに裏打ちされた努力を。少ない席を取り合うことではない。

 「京都バッハ平均律を弾く会」のメンバーのピアニストとしてのプロフェッショナルな質は、華やかな席をめぐる争奪戦の結果とは、別なところにある気がする。そしてまた、たとえばメンバーの全員誰しもが、国内外のプロのオーケストラに所属する弦楽器奏者、管楽器奏者、打楽器奏者と、演奏会で共演するに不足のないピアノを弾く技術と音楽性を持ち合わせている。これは少なくとも、だ。さらにいうなら、急遽のコンチェルトの代役ということも、こなすメンバーは相当いるだろう。

 無論、平均律の一曲程度で、ピアニストの力量を決断することはできない。しかし、逆も言えるのではないか?平均律の一曲を人前で、恥ずかしくない完成度をもって表現できない人が、ピアニストを名乗っていいのだろうか。と。この文章を読む方が何人いて、どこにお住まいかは分からないけれど、あなたの住む町のピアニストは、当然のようにそれができるか、といったら、自分は少なくても自分の住む地域に関しては、残念ながら、疑問、である。それは自分自身のおかれた立場からすると、無責任な言い方になるので、言い直す。それは、発展途上である。京都はそれができるピアニストが少なくても48人揃う。1・2巻全48曲の48人による連続演奏会も実績がある。

 選挙結果が開票率が一桁のうちから分かるように、いや、選挙を引き合いに出さずとも、コンクールを予選から聴いていて、通るか通らないかは、冒頭数小節で、ある程度分かってしまうことがある。京都では、プロフェッショナルな安定した演奏技術と、音楽家としての志をもつピアニストが、競争意識で淘汰される形ではなく、その地域の音楽的豊かさの、一端を確実に担っている。プロオケの弦楽器、管打楽器奏者と十二分にわたりあえるピアノ弾きが、地域のコーラスの活動や、吹奏楽をやる若いひとが、ソロに挑戦するとき、また、音楽専攻の学生を、廉価で共演するというバックアップができるとしたら、それはどんなに豊かなことだろう。

 この点も、自分の住む地域に関していえば、発展途上である。

 音楽を志す努力に、謙虚さがどれだけ大事か、ということは自分はなかなか気づくのが難しかったことだ。そして今なお難しいことだ。華やかな席を巡る争奪戦においては、いかに他人よりも抜きんでることが大事かということが、まず目の前に迫るからだ。

 「京都バッハ平均律を弾く会」は、これだけの質をそろえながら、A.ロトー氏をはじめとした3人の客演のピアニストを迎える。その客演のピアニストたちを迎えることによる、磁場は、この会による演奏会をさらにグレードアップさせる。会全体、演奏会全体を。それは相乗効果といっても差し支えないものだとおもう。そこに音楽を志すことの謙虚さについて、あらためて深く考えさせられる姿勢が確かにある。

 日本国内のトップレベルのクラシック音楽のコンクールが特定の大学出身者や、在学の学生、特定の門下で、偏って占められる、ということは、よくある。だから、誰先生に習うとか、どの大学に進学するか、ということは、その点では、重要だ。

 しかし。

 そうではなく。

 京都では平均律の全曲演奏会が、行われる、だから京都で音楽を専攻したい、という進路。憧れ。そういう音楽を志す道についても、自分は、いまとても考えさせれている。自分は、過去のどこ地点に戻ってやり直したいということを、ほとんど思ったことがないのだが、10代の自分にアドヴァイスがあるとしたら、京都で学ぶ道を検討したらどうか、とは、今思う。そして、そう思うからこそ、現在の自分自身は、自分が住む地域を、そこで学びたいと、もっとより多くのひとに、あるいは、より深く考えてもらう、そしてその結果として、実際、この地域にかかわる人の数や深さが、増すように、自分は尽力したい。

 コンクールや、プロオケの定期に呼ばれることや、CDをリリースすることや、事務所と契約すること以外にもある、あるだろう、いや、むしろ本質としては、あんなところにはなく、それ以外のどこかにしかない、音楽家としての道。

 それは、保護者や師事する先生が示したから、ではなく、自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を引き受け、その都度の結果を受け止めていかなくてはならない道。あなたが歩みをやめたところで、職業音楽家としての社会全体のなかでの需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もない。だから、そういうことではない。そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのか。

 自分は、それが分かった。

 それが分かったから、第2巻の1番のハ長調のプレリュードから全曲演奏会が始まったとき、その演奏を聴いて、心がふるえ、涙がにじんできた。音楽に、演奏に、感動し心を打たれた。トップバッターをつとめる緊張感と、朗々と歌う健康的な音色、安定した演奏技術。そして、なにより、そのピアニストが自らの選択で、そこで演奏する、ゆるぎない、強い、意志と、それまでのその人の生きてきたこと、音楽とかかわってきたこと。

 それがこの会のメンバーの全員の統一している根本だと自分は感じた。出演者の全員に、揺るぎない音楽家としての意志がある。
 
 自分は仙台国際音楽コンクールの予選をはじめ、いままでコンクールの舞台での演奏ということにも、それなりに接してきた。吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストには自らの出演も含めれば、20年近く関わっている。

 揺るぎない音楽家としての意志、の、これほどの充実は、コンクールの舞台では、なかなか出会えないものだな、ということを、多数の出演者が演奏する舞台、という点での比較でも感じた。

 京都で音楽を志しても、コンクールの入賞や、プロオケの定期に呼ばれるかどうかや、事務所と契約して、ツアーをくんでもらうこと、CDが多数リリースされることとは、直接には有利ではないかもしれない。厳密にいえば、有利かもしれないし、関係ないかもしれないし、年度によって違うだろうし、誰がどの学校で教えている時期なのかによっても、違うだろう。

 繰り返すけれど、道を歩んでいくことの本質の大事な側面は、「自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を、その都度の結果を、正面からごまかさず受け止めること。あなたが歩みをやめたところで、社会全体のなかでの職業の需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もないということ。だから、そういうことではない、そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのかどうかということ。」だ。そういう歩みを誘発する磁場や、歩んできたことが、都度、何かの機会に、美しい結晶となること、を「京都バッハ平均律を弾く会」による、平均律全曲演奏会に感じた。そのことが、演奏会の高い質の根底にある気がした。

 そこに、音楽に限らず、学んでいくこと、道を歩んでいくことに対する主体性、自主自律の精神について、自分が育った宮城県が東京の方を向いているそれとは、違うものを感じた。山形にないものが仙台にある、仙台にないものが東京にある、東京にないものがパリやニューヨークにある、とするのは一つ価値観である。それは競争を生む。競争のなかで純化されていくものもあれば淘汰されるものもある。
 
 しかし、学んでいくこと、道を歩んでいくことの主体性、自主自律の精神は等しく誰にでもそれを目指すことができるものである。競争において、淘汰される側が、その機会すら奪われていくということは決してない。本質がみえなくなり、無意識・有意識に、放棄してしまうことはあったとしても。

 また、平均律の全曲を一曲ずつリレーすることが、地域に根差していく方向性で、一人で全曲に挑むのが、競争がもたらす純度の追求という、単純なことでもない。京都の磁場は、平均律全曲に一人で挑むピアニストもまた生み出す。平均律全曲だけではない。クセナキスの鍵盤作品全曲なども、である。やはりそこに見るのは、主体性と自主自律の精神である。

 何年か前に、自分が思った悩み・疑問について、ウエブログに書きしるしたことがある。

http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20111110/1320939462

 8年近く前だ。8年近く前の自分の疑問に今、自分で答える。そう。

いま、自分はそれに、その時よりも、答えることができる。お金や時間について、学んでいくことや道を歩んでいくことにどれくらい費やせばいいのか。それは美に奉仕する自分自身の覚悟によって、決定されることだ。覚悟よりも欲望が上回れば、オーバーコストで破綻する。覚悟が足りなければ、道は潰える。覚悟にちょうど良さがあるのか、ということではない。混じりけのない、腹をくくった覚悟は、ちょうどよいコストを自然に引き寄せる。どれくらいお金をかければいいのか、という悩みにつきあたった時点で、なにかの認識を間違っている。本質を見誤っている。

 道、ということについて、吉本ばななの小説の一節を思い起こす。いまは、今までとはまた違った気持ちで、読み返すことができる。いままでよりも、なんというか味わい深く、読み返すことができる。

「(前略)でもそれで知ったのは、この世にはもっともっと、もっともっとすごいことを毎日毎日してしまいには死んでしまうようひとが本当に実際に大勢いて、陶器とかパンを焼くとか、バイオリンを奏でるとかそういうことのように、ありとあらゆく特定のジャンルに素人からプロまでいろんな人が心を傾けていて、ありとあらゆる奥深さがあり、高尚な気持ちからすごい下品さまですべてがふくまれていて、その気になれば人間は、それにかかりっきりになって人生のすべてを使うことができる……ということだ。
 それが「道」というものなんだろう。
 みんな、なにかの「道」を通って行きたくて、だから、生きているのかもしれない。(以下略)」

 湾岸ミッドナイトという漫画のネームも、よく思い起こす。

「近道は裏切る。オレはずっとそう思っている」

(「深く関わってゆく。その裏側で、それまでの人とズレてゆく。流れが変わるのがわかるけど、どうすればいいかわからない。全長20.8km世界一過酷なコース、ニュルブルクリンク。その道を知るGT-Rは、やはり限界が“太い”と思う。だから首都高でもFDにはできない走りがGT-Rはできる。究極の首都高SPL。いちばんの近道はGT-Rだろう。GT- Rならいちばん早く着く。でも近道はとおらない。近道は裏切る。オレはずっと、そう思っている(Vol.40,pp65-67)」)

 「深く関わってゆく。その裏側で、それまでの人とズレてゆく。流れが変わるのがわかるけど、どうすればいいかわからない。平均律全2巻全曲演奏会。6時間。個人のコンサートとしては最も過酷なものとなるだろう。しかしコンクールの受賞歴もない無名のピアノ弾きの、マニアックなプログラムを、いったい誰がプロデュースするというのだ。まずは日本音楽コンクール第1位。そのあとショパン国際で上位入賞。日本人初の1位という結果が手に入るのであれば、それは“太い”。○×▽音楽事務所の所属アーティストとなりサントリーホールでリサイタルをやるのが、一番早く着く。究極のピアニストデビューだ。でも近道はとおらない(というか、実際にはできない俺ごときが。もう年齢制限もとうに過ぎたし)。近道は裏切る。オレはずっと、そう思っている」って俺がいうと、勝手に思ってろ、とか突っ込みを入れたくなる間抜けさがあるものの。

 近道を選ばないということはどういうことか。今ならいえる。だから、繰り返しをここにもう一度記する。この文章において、3度目。「自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を、その都度の結果を、正面からごまかさず受け止めること。あなたが歩みをやめたところで、社会全体のなかでの職業の需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もないということ。だから、そういうことではない、そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのかどうかということ。」。これは、近道を選ばない、ということだ。

 この文章、まもなく最後。自分が音楽を志し、おもにピアノという楽器を演奏することを通して考えてきたことが、角幡唯介に突き当たるとはおもわなかった。リンクいつまで残っているかわからないけれど、リンク貼っておきます。

 https://news.yahoo.co.jp/feature/921

リンク先の動画から以下引用。

「のんびりした生活が物足りなくなるということは、ありますけどね。」
―なぜ冒険をするのか
「慣れ親しんでいる常識とか 時代的なものとか 
 システムの外側に出るっていうのが 冒険の本質だとおもうんですよね。」
「どれだけ 主体的に 自分の行為に関わることができるか っていう」
「例えばソリをつくって 自分でつくったソリが壊れたら 自己責任というか
 自分の身に跳ね返ってくるじゃないですか」
「世界に対して自分がすごく関わっている」
「外側からの反応があって」
「何か確信できる」
「誰もやってないことをどうやって発想するかとか」
「それはやっぱり今までの自分の蓄積があって思いつく」
「30歳の時の方が強かったかもしれないけど やっぱり40歳の時のほうが
 認識の地平線がひろがっているから『俺はたぶんここまでできる』とか
 『この世界ならやれる』とか やっぱりそれが広がっていくので
 どんどん大きなことができていくのだと思うんですよ」

角幡の話から、「将来探検家になるならやっぱり早稲田(大学)がいいよ」とか「〇×は、何歳でセブンサミットのすべての無酸素登頂を成功させた」とか、そういう話の気配すら、ない。
 
自分はピアノ弾きとしてコンクールやオーディションを通して喜怒哀楽や自尊心やスポットライトもそれなりには享受してきた。また吹奏楽の指導者・指揮者としては、毎年コンクールに関わらなければならない生活も十何年も続いている。

 「蜜蜂と遠雷」も夢中になって読んだ。いい小説で感動的だった。でも塵君のピアノを彷彿とさせるのは、平野弦が一柳を弾いたもの、とかではないか、とオレは言いたい。知らない?ネットで検索すれば出てくる程度のものを、知らないとかは、ピアノ弾きなら恥ずかしいのでは?とかも言いたい。一柳慧が知らなくてもいい作曲家でないのなら、ピアノ弾きにとって、平野弦を知らないのは、おかしい。いや何を隠そう、自分も最近まで平野弦を知らなかったのだが。衝撃です。塵君です。キャラクターじゃなくて演奏の方が。ちなみに、第5回浜松国際ピアノコンクールの二次予選の課題曲は、一柳の委嘱の新作でしたよ。

第4回の高松国際ピアノコンクールで栄えある第1位の栄冠を収めた日本人の若き女性ピアニストは、まさに新しい才能の登場として、称賛されるべきことだ。真面目に思いますよ。そういう自分も第2回の高松国際ピアノコンクールに年齢制限ギリギリで応募して、予備審査で落選した。予備審査用の音源をネットで公開しているので(つまり落選音源)リンク貼り付けておく。

 http://musictrack.jp/musics/14574

でもですね、ピアニストにとってのラスボスが国際コンクールというのはいくらなんでも、とは思います。茂木健一郎さんが、国際コンクールをラスボスという、高松の?、地元のピアニスト?かピアノ関係者のツイートをリツイートしてて自分がそれにつっかかったことがあるので、いま思い出しているのですが。

  角幡の姿勢が、身に染みる。

角幡の話は、チューバ奏者の舟越道郎さんのワークショップ形式のグループレッスンを聴講させてもらった時の、舟越さんの言葉に、また、直結していく。この文章は以上。ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃるなら、深く感謝いたします。長文駄文申し訳ありません。でも熱を入れて書きました。ごきげんよう

沢知恵さんのこと

〜類希なアウェー力(りょく)〜2016/11/19 福島県須賀川でのライブを聴いて

 沢さんのライブを聴くのは二度目である。その二度目で、なにより強く実感したのは、類希なアウェー力(りょく)のことだ。たとえ敵が武器や魔法を駆使してきたところで、こちとら、そうしたものは必要ありませんと言わんばかりの戦闘力というか、無人島でなにもないところからでも、なにかをスタートさせてしまうような、源からのパワーというか。

 二度とも入場無料のライブだった。ではライブに関わる費用はどうなっているのかというと、ともえ基金という沢さん自身が設立し運用している基金から捻出されている。

 ともえ基金は沢さん自身の基金でありながら、沢さんの活動を費用の面から全面的に支援している、という形をとっている。その沢さんの活動には、瀬戸内海でのハンセン病の療養所でのコンサートや、少年院でのコンサートが含まれる。

 今回のコンサートも入場無料である。また、コンサートの司会をつとめ会場を提供した教会の神父さんから、基金への寄付の呼びかけもあり、沢さんのCDの販売もあった。自分は初めて訪れた沢さんのライブも基金での入場無料コンサートだったのだが、そのときはCDを購入し、基金にも、わずかばかりの寄付をさせていただき、今回はCDを購入した。

 沢さんは、韓国人のお母様と日本人のお父様がいらっしゃるハーフであり、お父様は牧師さんで、戦後に牧師として韓国に留学し、留学先で知り合った韓国の女性にプロポーズをし、結婚をして日本につれてかえってきた。すごい時代のすごい恋愛のすごい結婚をして生まれたという、沢さんの出生の背景に、なによりまず、胸があつくなる。

 沢さんは、東京芸術大学の楽理科に学び、在学中に歌手としてデビュー。そして、戦後はじめて韓国で日本語で歌った歌い手であるという、歴史的な存在という側面にも自分は触れたい。

 誤解を恐れずいうなら、ともえ基金といい、ハンセン病の療養所や、少年院でのコンサートや、コリアンハーフであることなど、という背景や情報の、意味が重く、一見、そういう(この、「そういう」というのはどういうことなのかは、後述します)人なのかと思ってしまうが、なんとコンサートに行き、生の沢知恵のうたを聴いてご覧なさいよ、あなた、沢知恵は、なによりミュージシャンとして、歌い手として、表現者として、プロ中のプロであるその、歌の、パフォーマンスに圧倒される。三ツ星レストランのシェフが炊き出しで腕を振るっているような情景が幼稚園に併設された教会の、おそらく毎日、演奏として弾かれるわけじゃない、年老いたアップライト(!)のピアノを携えて奏でられるのである。そのすごさに、なんか顔がにこにこしてきつつ、感涙し、圧倒される。 

 自分はクラシック音楽のピアノを習ってきた。いまも年に一度か二度程度ではあるが、機会があればレッスンにいっている。また、クラシックのピアノの演奏会も複数足を運んでいる。

 沢さんと、クラシックのピアノのソロ・リサイタルを比べても、っていう意見もあるかもしれないけど、先日聴いた「現在、現代最高のショパン弾きのひとり」ともいわれるピアニストのオールショパンのプログラムは、音響のある音楽ホールでスタインウエイで奏でられたが、パフォーマンスの精度は、沢さんのほうが、よりプロフェッショナルだった。

 クラシックのピアニストが音響のある音楽ホールで、多くはその人のチケットを買って、中には熱心なファンもいて(自分はそのピアニストのコンサートに足を運ぶのはそのときで5回目であったし、そのピアニストの現在発売されているCDは全部もっていて、その全部にサインをもらっている)というのは、沢さんのおかれた状況に比べれば、なんというホームグラウンドな環境であろうか。

 沢さんはライブの途中のMCで「私のコンサートに今まできたことがある人!」「コンサートにはきたことはないけど、名前は知っている人!」「今回が初めて、無料だし、つきあいもあるし、まあきてみたというひと!」というアンケートを聴衆になげかけ、やや自虐的なトークが自然な笑いを誘い、ライブに和やかな雰囲気を添えていたものの、そのMCでのアンケートの項目の最後が一番多い、無料コンサートなわけである。

 クローズドの前日のコンサートではおそらく相当弾きにくかっただろう古い古いアップライトピアノは、この日は沢さんの歌声をしっかりサポートして、なかなかごきげんであった。そう。どんなピアノでも弾き手でかわる。目が覚める。そんな(おそらく普段はプロフェッショナルな弾き手によって弾かれることなど滅多にない)ピアノでもあったわけである。

 なんというアウェーな環境だろう。しかし、それをプラスに変えるような、沢さんのパフォーマンス。すごい。かつて一国の元首が一アスリートに投げかけた言葉、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」どころではない、沢さん本人が、「ええ。今日はすばらしい聴衆との出会いがありました」(口調は将棋の羽生さんを想定)と、必要最小限にクールに、でもかっこいいという意味ではものすごくクールに、いってないけどいわんばかりの、アウェーな環境ってなに?といわんばかりの、圧倒的な音楽だった。すばらしかったですよ。

 表現者の背景の意味の重みを考えたとき、「そういう人」というのは、どういうことか。先日、別なコンサートを鑑賞した。コンサートには費用がかかるものであるが、復興支援ということで、無料になったものだ。そのコンサートは地球上の貧富の格差をスライドで紹介しつつ、すすめられた。冒頭の一曲目は、多くのシンガーのレパートリーであり、沢さんも取り上げることのあるアメイジング・グレイス。録音されたカラオケ音源を伴奏として歌われ、一曲歌い終わったあとに、「ここで拍手があるとうれしいです」とMCが入る。(沢さんが聴衆に拍手をリクエストするMCは、自分が足を運んだ二回のコンサートではなかった。)そのコンサートでは、貧困格差について、聴衆に疑問や、感動を与えるエピソードやスライドがあり、それに沿うように音楽がある。自分はそう感じた。

 それがレヴェルが高いとか、低いとか、そういうことが言いたいのではない。それはそれだ。もちろん本音として、自分がどう思っているかは、もうこの文章の行間にも滲みでてしまっているかもしれない。

 好き嫌いはおいておいて、そのような音楽のあり方はあるだろう。テレビCMには音楽の、主従の、従としてのあり方の、極北も、ごくたまに、自分は見かける。J・S・バッハのカンタータBWV147をBGMに使用したNTTDoCoMoのCMは、ため息がでるほどエッヂが利いていて、衝撃があり、感動があり、美しかった。

 考えてみれば歴史や社会の背景と全く切り離された表現などあり得ない。だからこそ、表現者の多くは、それらを意識しつつ、囚われすぎないバランスといったようなことに美徳を見いだすのかもしれない。より強度の強い、必然性の価値を見いだしたりするために。表現が独りよがりの自己満足にならないための、客観性といってもいいような精度を得るために。価値の根拠となる美意識は当然沢さんにもあり、それは多くの表現者にも共通のプロ意識を支えているひとつではないか、と自分は考える。

 沢さんが個性的なのは、表現者としての、自身や表現の、歴史や社会の背景を、わりと露わに引き受けている、背負っている、点だ。ふつうは「自分は、こんな背景があります(それは時に、不幸や障害があるほど、人を惹きつけたりもする。言葉は悪いが、同情という形をとったりして。)」ということは、それを美徳としないならば、程良くオブラートに包んだりする。もしくは徹底的に隠す。そうでなければ、もしくは、全面的にアピールし利用し、そうした受け取られ方と引き替えに、音楽の、表現としての純粋性が、二の次になってしまったりする。

 この、ここのバランスは思ったより難しいのではないか。

 表現には、社会的背景や、歴史的背景がある。それを知ることによって、表現をより深く味わうことができる場合がある。逆に、先入観や予備知識が表現の感受の妨げになる場合もある。

 沢さんからは、表現の背景や歴史が、くっきりと伝わってくる。それが必要最小限、つまり、過多でも過少でもないことは、沢さんのライブパフォーマンスを体験すると、よくわかる。気がする。そして、そのクオリティーを支えているのが、並々ならぬ沢さんのプロ意識から生み出される、パフォーマンスの精度だと自分は思う。そしてそのことは同時に、類希なアウェー力(りょく)の発露を生み出すことにもなっているのではないか。

 物語は表現の隙間を埋めていく。時に浸食する。表現が物語の奴隷になってしまうことは、ある。よくあるのか、たまにあるのかは、わからないが、物語られることに、人は惹きつけられる。「これはなんなのか?」というわからないことを、自分自身以外に、解説してもらうことは、安心である。

 沢知恵の歌の入り口には、物語がある。そしてそれは、やはり、人を惹きつける。しかし、それは最小限だ。

 沢知恵の歌の入り口にある、物語を通過すると、その奥には、歌がある。歌は歌でしかない。歌以外のなんの代替物としてではない、歌としての歌がある。

 沢の歌は、沢自身の物語から出発して、近くや、すこし近くや、少し遠くや、遠くや、ずっと遠くや、ずっとずっと遠くまで届いていく。ずっとずっと遠くに届く頃には、沢自身の物語はもはや、気配ですらない。しかし、そうなっていくということは、歌が、ほかの誰でもない、沢自身の歌となって、遠くの誰かに届いていくということだ。そして、その歌は、沢自身の歌であると同時に、みんなのうたにも、なっていく。

 そのプロセスに想いを馳せるとき、自分は灰谷健次郎の、「ひとりぼっちの動物園」の冒頭に添えられた詩を、また、思い出す。
 
 あなたの知らないところに いろいろな人生がある
 あなたの人生がかけがえがないように 
 あたなの知らない人生も また かけがえがない
 人を愛するということは 知らない人生を知るということだ
               (灰谷健次郎「ひとりぼっちの動物園」より)

 歌でしかない歌である、遠くまで届いていくと同時にみんなのうたにもなってしまう、紛れもない沢の歌は、歌でしかないのだけれど、祈りの形や、愛の形の相似を、垣間見る。

沢さんのウエブサイトはこちら↓
http://www.comoesta.co.jp/index.html

9月5日仙台でユジャ・ワンをきいたわけだが。

 プログラムは以下。

【9/5(月)仙台・日立システムズホール】
シューマンクライスレリアーナop.16
ショパン: バラード第1番 ト短調 op.23
カプースチン: 変奏曲 op.41
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」


 かつて「東洋人と女性にピアノは弾けない」といったホロビッツは、ユジャ・ワンのピアノをどう聴くのだろうか。しかも、自分の孫弟子である。ラン・ランに引き続き、といってもいいかもしれないが、この点は。

 圧倒的なテクニックの持ち主でそれが安定して常に発揮されることは、多くの人が感じるであろう、彼女の演奏の特色の一つである。

 この部分は本当にすごい。音楽にノっている感じと集中力の持続の両立。自分が生で聴いたピアニストと比べるなら、安定度はラドゥ=ルプーに匹敵するが、表現としてはユジャの方ががんがんアクセルを踏んでいく。直線での踏みっぷりがすごい。

 テクニック(メカニックな)もクリスティアンツィメルマンに匹敵するが、ツィメルマンみたいに考えすぎな(もしくはツィメルマンをたてるなら考え抜いている)ところがない。その場の感興を音楽に乗せていくような表現は、ユジャの音をより生き生きとさせる。ユジャはCDなどの録音で聴くと思ったよりおとなしく感じるのとも、関連があるかもしれない。ライブや、CDなどの録音でなにを目指すのかについて、たとえばユジャとツィメルマンでの考え方の違いみたいなものは、あるのではないか、と思う。

 表現力では河村尚子を引き合いに出してみたい。河村が、炭火を静かに燃えさからせるように、より内向的に圧倒的になにかを深く表現しようとするなら、ユジャは揮発性の、爆発する燃料のようである。

 でも、結果ユジャは、自分の表現したいことに関して、ものすごく理にかなっているとおもうのだ。
 
 レーシングカーがサーキットで如何に速くタイムを出すかのアプローチを考えたとき、無駄な部分で速度を出しすぎたり、コーナーでコースアウトしたり、必要以上にタイヤをすり減らしてしまったりしたら、タイムは出ないのだ。

 ユジャは最高速度が他を抜きんでているレーシングカーのように思う。しかし、間違ったアプローチは、してないのではないか。プログラムを集中力を切らさず完奏させるスタミナのコントロールなど、その演奏の派手さとは裏腹にそれを支えているクレバーさも見逃したくないところだ。

 直線での最高速を出し惜しみしないところをパフォーマンスとみるならば、しかし、最高速パフォーマンスをみせながら、コーナー手前のハードブレーキのコントロールも見事なもので、コーナリングでコースアウトという無様なミスはしない。またタイヤマネジメントもしっかり意識しており、途中タイヤが計算外にだれてきてコントロールが利かなくなる、ということもない。

 車を好きになるときに、その好きになりかたは、どんな物であってもいい。

 キャンピングカーにカスタマイズするといった好きになりかた、デザインやかわいらしさを重視する、好きになりかた、車内をぬいぐるみのレイアウトの場所にする、という好きになりかただっていい。

 音楽を、どう、好きになるかだって、種々であり、そのどれがいいとか、悪いとか、ではない。

 自分は、車にたとえるなら、サーキットを如何に速く効率よく走ることができるか、という一つの最適解の追求があるということ、その上で、ならば、そのアプローチに個性はあるのか、という矛盾する両立に、重みを見いだすような、クラシックの演奏の楽しみ方が好きである。

 ユジャは自分の追い求める、客観性、最適解に対して合理的でありながら、しかし同時に個性的だ。そこがとても興味深い。

 演奏の最適解と合理性をいったん理解し通過して、時には最適解合理性から離れて、演奏解釈の自由さをインスピレーションを元に優先させる、ざっくりいえばそういうパターンもある。サンソン・フランソワ然りといえるか。

 演奏の最適解と合理性と、解釈の研究の極みを尽くしてっていうアプローチの方は、クラシック音楽が作曲と演奏の分業で、作曲家の書いた楽譜が元になっているという構造から、こっちがデフォルトであるようにも考えられるか、と思っている。

 いままで何人のアルゲリッチが再来してきたかはわからないが、ユジャは、アルゲリッチインパクトをオーバーロードしていく予感は、俺はする。

 アルゲリッチのバッハに南米のアフタービートを感じ取る評論家の文をみたことがあるが、ユジャには、京劇のまがまがしさ、や強烈さ、中国という国土、風土を感じる。

 非・西欧圏からのアプローチは、いずれにせよ、「クラシック音楽」「楽譜」という自分の所属する土着ではないところからでてきたものを、いやがおうでも客体化、分解しなければ、そして細かく細かく論理的に咀嚼することともってして、直感的な理解の代替とすること、代替とすることによって形成されたものら、体感的に学んだりすることの遠回りといった、単純ではないプロセスを必要とする。

 非・西欧圏からのアプローチはたいていはそこでおわる、っていう訳ではないけど、そのプロセスがとてつもない茨の道だったのではないか。少なくても20世紀の間は。

 小澤征爾がヨー・ヨー・マと対談して、非・西欧圏からの出自でいったいどれだけクラシック音楽の本質に迫れるかといっていたのは1980年代のことだったと思う。

 クラシック音楽と同じ文化圏の出自であることはアドヴァンテージである、という考えは、アルゲリッチユジャ・ワン、という演奏史を仮定するなら、どうなんだろうか、とも思う。

 ユジャがヨーロッパ文化に生まれ育ったならば、単に指が回るピアニストで終わったかもしれない想像は、それほど間違っていないきもする。

 才能(含む継続性、それは天才にあってはそうみえないけれど、努力と呼ぶものと、同一の構造と質を持つものである)を、あえて不利な(反アドヴァンテージな)環境におくことで、発生する化学反応と、なにかしらのブレイクスルー、というものは、あるのではないだろうか。

さて。

 ツイッターで彼女の演奏について、シューマンショパンについて「音が混濁して」という感想があって、なるほど、と思わせられた。

 自分はその「音が混濁」という部分に、少し触れたい。

 自分はそれは演奏上の傷ではなく美点として感じる。美点というか演奏効果である。どんな演奏効果なのかというとエレキギターにおいて「ディストーション」というエフェクターを通したときのような歪みのある音圧のある音がするのである。

 それが音楽のフレージングにおけるテンションの高まりとともに、絶妙な場所できちんとアクセルが踏み抜かれるように、音圧のある音で音が歪むので、これは、すごい演奏効果なのではないか、とおもう。

 ピアノはアコースティックな楽器である。それでもあそこまで、音が歪むまで楽器の音色を使いきるピアニストは、そうそういないのではないか。自分はユジャワンをおいて他に知らない。中川賢一のプロコやメシアンを弾くときも相当鳴ってるけど、もう少し音が整っているようにも感じる。それは白石美雪がいうように、ハンマーで太い杭を一本一本打ち込んで行くような音を中川は出すのだけれど。

 エフェクターを通してないのに、ディストーションがかかるアコースティックのピアノ。クラシック音楽という土台で。ちょっと「なにそれ」である。あるいはイタリアオペラでまるで演歌のうなりを彷彿させるような表現上のゆがみを表現上の必然として提示されたような。おれは、そこに価値を見いだす。別に「音が混濁してる」と受け取ろうが、それは人それぞれの受け取り方や、感性の違いとか、そういうので、かまわないのだが。

 それからこれもツイッターの感想で、おもしろかったのが、ユジャの弾くカプースチンがまるで上原ひろみみたいだ、という感想だ。

 これはなるほどわかる。上原ひろみはジャズのピアニストで、カプースチンはその譜面を弾けばジャズになるといわれることもある作曲家で、アドリブではなく譜面に書かれた音楽である。

 これもまた、エフェクターを通さないディストーションみたいな「なにそれ」があった。ジャズとは自分はもっとも広義な意味でのPA(パブリックアドレス)であると思うのだ。いや、ジャズにも、アコースティックピアノのアンプラグドの、アンプを通さない演奏だってふつうにあるじゃない、ということがあるかもしれないが、うーん。

 ジャズをジャズたらしめているシステマティックなものがPAみたいなものだ、とするならユジャは、そのPAシステムのないところで、当然の前提としてのPAをすべて取っ払って、カプの楽譜を足場にして、それを確かな足場としつつ、まるで上原ひろみを彷彿させるような、ジャズの奔放さ、自由さの領域を演出してみせたように、自分は感じたのだ。

 楽譜を前提とするクラシックの方がシステマティックなPAになりそうなものを、クラシックではない、クラシックほど厳密に譜面を前提にしないジャズだってこそ、ジャズのグルーブや、アドリブや、そこから表現される奔放さや自由さの演出が、じつはジャズというひとつの大きなPAに依っているのではないか、ということをユジャの演奏を聞きながら考えさせられた。

 ユジャのカプは異種格闘技であることを越えるくらい、そういう表現として成立していた。現代空手(という言葉があるのかどうか知らないが)のルールや枠組みがあるとして、そこに古武術か何かがそのまま紛れ込んでそのまま試合が成立してしまっているみたいな、奇妙さを感じだ。

 ジャズを基盤としたジャズよりも、カプの楽譜を携えたユジャは、なんというか、はるかに素手だった。素手の格闘家でありながら相手の土俵でも試合を成立させてしまう。アクロバティックといえば軽い。格闘技の本質に道具やシステムを脱ぎ捨てて迫っているような、そんなものを感じた。 

 ジャズの方がシステマティックで、それよりもカプースチンの楽譜を携えているほうが、素手の感じがする、というのは、おもしろい感覚だった。自分のなかで。

 ユジャについては賛否両論があるのは、わからなくもない。俺は河村尚子のライブで不意に胸をうたれて落涙したことはあるが、ユジャの演奏からそういう感興がわき起こることはない。

 しかし、京劇を圧縮して注入したようなユジャの圧倒的なパフォーマンスは他に追随を許さないなにかが、あるような気がする。鈴鹿サーキットでは必ず圧勝する、みたいな。モナコだったら別だけど、みたいな。

 ユジャをどんなに批判してもいいが、しかしユジャを同業者だとおもっている人が、ユジャを無視したり批判したり、軽く扱うならば、少なくても、「ユジャってこういう感じで弾くよね」っていうことを、イメージや感覚として8割でいいので再現できて(それを聞いたひとが「ああ、たしかにユジャっぽい」いえるくらいに)、その上で、自分はそういう弾き方はしない、ということをできなければ、説得力ないし、格好悪いと、自分は感じるなあ。

 音楽という大きな大きな枠組みのなかで、器楽演奏という分野は、まるでスポーツを彷彿とさせるようなメカニックを要求されることがある。ピアノはその部分で他の器楽と比べても1、2を争う楽器だ。それは器楽演奏の本質のすべてではないが、一部だとおもっている。

 器楽演奏がフィギュアスケートくらい厳密な採点競技になり得るなら(それは不可能な話だと自分は思っている、それでもあえてそういうことを想像してみるなら)、ピアノの金メダル候補の最有力は、ユジャ・ワンではないだろうか。

 トップフィギュアスケーターがアーティストでもあるならば、それに逆の側からなぞらえて、ユジャはアスリートの魅力の側面もあり、それが輝いているように見える。そう。トップスポーツ選手がアーティストでもでもあるならば、ユジャはクラシックのピアニストの側からそれらが時に表裏一体だったり同根のものではないのか、を体現する存在にも、自分は思える。

宮下奈都 著「羊と鋼の森」(文藝春秋)を読む(ネタバレありのつもりはないけど)

歌人(57577の短歌を作るひと)の枡野浩一は短歌形式以外にしたほうが(つまり、映像、音楽、など)おもしろいものは、短歌にすべきではない、という。極端な意見だなあとおもうかもしれないけれども、その意見には考えさせられるものがある。

羊と鋼の森」を読み進めながら、これ、もしかしてずいぶん丹念で精緻な取材を元にしてるんではなかろうか、ということをヒシヒシと感じさせられた。そして、その丹念さ、と精緻さは、そのままこの小説の美点となっている。丹念さと、精緻さを、小説の美点としたのは、ひとえに、この作者の技量といえる。なぜなら一つに、これは小説であり、物語であり、ノンフィクションではないからである。それだけの取材をしたのなら、もしかしてノンフィクションとして提示したほうがより、読者に届くということも、考えられたかもしれない。しかしそこは小説家としての、物語を紡ぐものとしてのプライドといったらいいのか、習性といったらいいのか、そんな熱やエネルギーがあったのだろう。そしてそれは見事に成功していると、自分は感じた。

小説だから嘘を盛り込んでもいいし、超常現象を起こしてもいい。ワープしてもいいし、タイムマシンで時空を飛び越えたっていい。そうしたものいいは言い過ぎだけど、物語を推し進める起爆材として、主要登場人物を殺したり、悲恋のエピソードを盛り込んだり、ということはよくある。それか時にアクロバティックなほどにうまいのが村上春樹だったりするわけで、近年の村上春樹の話題作は物語を推し進める(読者にページをめくらせる)仕掛けでしかないんじゃないの、と思うこともあるくらい。

羊と鋼の森」には、物語を物語たらしめている要素が、本当に必要最小限にしかない。表現したいとおもう主題があって、その主題に深く関わる取材対象があったとき、それをノンフィクションではなく、物語として提示することの難しさ。それがノンフィクションっぽい小説ではなく、ちゃんと物語としての、最小限の仕掛けやファンタジー(ファンタジー的な要素はこの物語にはほぼ100パーセントでてこないけど)に収まっている。そのぎりぎりさ。こんなにけれんみのない小説なのに、でも小説らしく、描写は、「盛って」描かれていたりする。「盛る」という言葉のマイナス面が、この小説には申し訳ないほど、見事な微量さ、分量の適切さ、だった。だから(それでも)自分は、この話にのめり込み、少なくても三カ所で、あふれでる涙を押さえきれなかった。

そして、「羊と鋼の森」の登場人物のすべてのキャラクターを、いつでも、小説を読んでいるだけで、読んだ後も、鮮明に自分の脳内に再現できる。たとえば田中芳樹銀河英雄伝説を読んでるときとか、キングダムなんか漫画にもかかわらず、登場人物をメモ用紙に整理整頓しないとわけがわからなくなるのに。

大崎善生が、若くしてなくなった天才棋士をノンフィクションにしたとき、作者の思いいれが強すぎで、取材で伝聞したことと、作者が実際に体験したことの記述があやふやになっている、それがノンフィクションとしての体裁に傷をつけてる印象を与えるのが、残念だ、と批判されたことがあった。

宮下は、この小説において、その大崎が受けた批判に応えるかのごとく、ノンフィクションではなく、小説の立場から、見事に「だったら」の一つの形を、提示したとおもう。

現在直木賞候補にノミネートされている。とるかなあ。小説の構成や技法として目新しいことがない、ということが仇になりませんように。職人の手によるいぶし銀の佳作ではないかと。賞にもふさわしく、俺は思う。選考会は今月19日という話です。

クラシック音楽がもっと裾野からてっぺんまで活性化してほしいとおもう自分は、そういう理由からも、この小説が直木賞になってほしいとも思う。