コンテンポラリー性・考

 2015年、自分が向き合ったコンテンポラリー性のある、といえる作曲作品が二つある。一つ目は、吉川和夫作曲、まど・みちお詩、混声合唱のための「どうしてあんなに」より、「風景」である。吉川先生は大学時代の恩師である。以下吉川先生と呼ぶ。
 
2011年の3月に書かれた3曲がもとになって、その後に作曲者が受けた委嘱を契機として、連作の合唱曲になり、発表された。東京混声合唱団の定期でも取り上げれられている。楽譜は2013年に出版された。

 自分は勤務先の中学校で行われる校内合唱コンクールの課題曲としてこの曲を取り上げようと考えた。2014年にも考えたのだが、一年、あたためることとなり、2015年に三年生の課題曲として生徒とともに取り組んだ。

 代筆事件で一躍有名になった新垣隆音楽史の延長上で勝負がしたい、といったことを新聞のインタビューか何かに答えた記事で目にした。吉川先生の書いた「風景」の楽譜を見ながら、自分はこの曲を書いた作曲家の耳が、音楽史を通過していることを想像したとき、興奮を呼び起こす熱が体の奥にポッと点火したようだった。

 授業でこの曲をやりはじめの頃のこと。音を取って生徒に歌わせる授業だった。授業と授業の合間の休憩時間には、その最初のフレーズを生徒たちが口ずさみながら、廊下を移動していた。この曲を扱って一時間目の授業からである。生徒たちにとっては今まで楽譜をみたこともない曲だろうし、演奏を聴いたこともない、曲に関して、である。

 後に行われた合唱コンクールには吉川先生ご本人に審査員として会場まで来ていただいたのだが、この曲の感想を自分が本当に伝えたいようには肉声ではなかなか言えなかった。

 そう、この曲には、愛唱性があるのである。それも濃く。このことも、吉川先生に直接伝えられなかった、でも伝えたかったひとつだ。

 合唱コンクールのその週になると、職員室のなかでも、「風景」のフレーズを口ずさむものもいた。

 それはそうだろう、親しみやすい旋律で書かれているのだから、と言うこともできよう。もちろん。

 でも、この曲にはそういってしまってそれだけでは終わらない、誤解を恐れず言えば、未聴感のある、不思議な、なんともいえない奥行きのある、ひっかかりのある、曲に思う。

 冒頭のピアノ。フレーズの収まりは4の倍数だとちょうどよく感じたりもする。しかし、この曲の冒頭は7小節目までのフレーズを、もう7小節繰り返すといったような(旋律は変化するけれど)構成になっている。繰り返す直前、つまり、7小節目、ルバートをどうするか、ちょっと考えてしまう場所だとおもう。正解は絶対にルバートしない、だと自分は思うけれども、フレーズというか、音楽のほうから「この部分ルバートどうしますか」という問いかけがあることは、心に留めておかなくてはならないとおもう。

 波打つようなフレーズの、ゆったりと円を描きながらくりかえす、その折り返しの部分が7小節目だからである。つまりルバートは7小説フレーズが二回繰り返すという構造に内包されている。その元々にたたずむ内在的なルバートが足りなければ演奏者の方で強調しなければならないし、十分であればなにも加えずなにも引かず、そこをそのままに解釈しなければならない。その「そのまま」性、はそれなりに問題だとおもう。どう演奏するか、の上で。

 単に楽譜通り演奏すれば、内在するルバートを無視したことにもなりかねない。よって、内在するルバートの存在を確実に感じ取って楽譜通り演奏するのが正解だと自分は考える。

 内在するルバートはどこから来ているのか。冒頭7小節のフレーズは、自分は3+4と捉える。4、が安定して満ちていてちょうど良いフレーズの単位に感じる前提ならば、3は一つ欠けている。歌の冒頭も「めーを と/じーてーいた/いー」の三小節フレーズである。橋本祥路なら「めーを/とーじ/てーい/たーい」と日本語の音韻(感)を犠牲にして4小節フレーズの安定性をとるかもしれないなあ、と自分は思ったりもするけど。

 この、3、という4から一つ欠けていることに、奥行きや間合いがある。そしてそれはルバートを内在させている一因だと自分は思う。ペダンチックな、と同じく大学時代の恩師である森田稔先生は言うかな、ともおもう。おまえは(ピアノを弾かなくていいよ、)評論家になれば、とも言われた記憶がよみがえる。弾くし。って答えておきたい。
 
 

 俺は、校内合唱コンクールで伴奏者の誰しもが、つまり、三人が三人とも、7小節目で、恣意的なルバートがなかったのは、吉川先生に「なかったでしょ?」とちょっと言いたかった。自分がそのことを各学級のピアニストの誰にも練習段階で話題にしたことはない。20年前、大学の付属中学校で講師をしていたとき、恣意的なルバートが多い中学生は、いた。そのことを直さない、ピアノ教師がいた、ということだと、自分は理解している。

 合唱曲にしては長い14小節の前奏。歌いだし直前に「せーの」といったアインザッツを出さなくても、歌い手である合唱は、はっきりと歌い始まりを実感できる。これほど「せーの」の補助のいらない前奏は、なかなかないと思う。

 完璧な前奏なんである。歌を導く上で。

 楽曲ははっきりとした調性で書かれている。E-durではじまり平行調のcis-mollで終わる。楽曲のすべての部分にコードネームを記入することができる。

 E-durではじまりcis-mollで終わることは起承転結の結をあえて取り去り、起承転を提示し、この曲の表現を受け取る側に、結論をゆだねさせているような印象を抱く。ここにも4から一つ欠いた3を感じる。欠けているけれども、だからこそ、はやり奥行きや広がりを感じる。「永劫」や「一億年に一度」といったとてつもないスケールを、カニッツァの三角形といった、錯視を使って表現しているような感じがする。前衛性を感じる。表現として攻めている。欠く、ということの、ものすごいエネルギーを感じる。なにかありえたものがない、という静寂や、無。なにかありえるかもしれない可能性としての、静寂や、無。

 さっき日本語としての音韻(感)-という言い方を自分は選んでいるけど-に話題としてふれた。機能和声法に象徴される西洋音楽のシステムが注射器で注入されるように歴史のある部分から急に内部に入ってきて、日本の歌は、言葉と旋律の狭間にいつも苦しんできたように思う。日本の歌が、どのように作られ歌われてきたか、も、日本語そのものにも影響を及ぼしてきたのではないか。歌を聞いただけでは意味がすぐにはわからない歌は未だにたくさんあるとおもうが、歌をどう理解するか、その感受の仕方の有様にも、考えを及ばせる必要がある。歌は聞いただけではわからないのは当然、歌詞の意味をしりたかったら視覚媒体で確認すべし、という表現物だってあっていい。外国語を字幕で理解する表現物だって当たり前にある。歌は聞いてわかるものであるべき、という規制はない。しかし、母語が使われているのに関わらず、聞いてわからない歌にどんな意味や意義があるのか、という問いには答えることは難しいのだが。ここでたとえば、参考楽曲として、タンドゥンの「19個記念的”fuck”」のことを考えたりしている。

 「風景」の旋律と言葉は、日本語の音韻(感)は損なわれていない、大切にされている、と言ったとき、いや、「損なう」の対義が「大切にする」で、そういう評価軸を持ち出していいのか、という疑問も沸く。「風景」の旋律と言葉は、そういう日本語の音韻(感)の提示になっている、という言い方のほうが自分もすっきりする。

 そうあるべきものとしての、日本語のアクセント辞典やイントネーション辞典は、歌にどれほど有効なのだろうか。今。木下牧子混声合唱組曲「箱舟」を書くとき、日本語のアクセントやイントネーションに徹底してこだわったという。そのこだわりは、そのやり方のままその後どれだけ有効だったのだろうか。今でも有効だろうか。

 吉川先生の「風景」における旋律と言葉は、和声を伴って、まさに、2011年以降のコンテンポラリー性を考えさせる提示になっているとおもう。現代曲という言葉は多くの偏見を伴いがちだが、それも、あえて言いたい、なんという現代曲だろう。中田喜直が現代音楽か、ということを自分は学生時代に吉川先生と話した記憶があります。「風景」は現代音楽だとおもいます。

そして、調性について。

 吉川先生は1980年代に出版された、'83音楽の友・音楽芸術別冊「日本の作曲家」の石田一志が執筆した吉川和夫の項目の記事で、「<前衛>だから正当的な現代音楽、<調性>だから非<前衛>で大時代的、とりあえずもういい加減に、こういう馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう。歴史に寄与するために作曲するのではない。言いたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要かを大命題としよう」という発言が紹介されている。それは自分にとってすごく鮮烈な、作曲家としての立場の表明であった。

 1980年代、現代音楽というのは、19世紀までの作曲の方法論をいかに更新するのか、それがまず前提に色濃くあったとおもう。それこそ、「もういい加減にしましょう、」と言いたいくらい、の空気感があったのではなかったか。現代音楽の文脈で、もしくは、その関わりを背景としながら、はっきりと調性を方法論の中心に据えて作曲していた人は、「反現代音楽」を標榜に掲げる吉松隆くらいしか思い当たらない。多くの現代音楽の作曲家は無調をはじめ19世紀とは袂をいかにして分かつようにしているか、な20世紀の方法論を模索しながら作曲行為に向き合っていたと自分は考える。新しい旋法のシステムを編み出したり、偶然性や、具体音、ノイズ、を導入したり、図形楽譜を採用したりなど。もちろん調性で音楽を書くことはあっても、それは商業ベースからの要請としてであって、そこと、自分のメインとなる実験性、前衛性は、きっぱりと分かれていることが時代の趨勢であったと実感している。

 そういう時代の空気を背景として「馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう」という当たり前のことを、きっぱりといえるのは、なんというか、逆に外連味を感じるほどの鮮烈さだった。

 調性は汎用性がありとても便利なシステムである。しかし、作曲家が未聴感を求めるなら、調性というシステムは使い尽くされており、選びづらい。

 前出の吉松隆は佐村河内名義(新垣隆作曲)の前時代的なスタイルで書かれた作曲作品を評価し、批判された。代筆事件の文脈において。

 自分は東京佼成ウインドオーケストラによる「祈り」を、客席で生演奏で聴き、感動した。新垣作品であると知ったいまも、その評価は変わらない。

 調性、ということにしても、然り、使い尽くされた、とおもっていたシステムが、だったら、前衛精神にあふれた、実験的な、未聴感をもとめた新しい創作に全く使えないのか、というと、そうではない。そうではない、細い可能性の実践を、吉川先生は担って「も」、いたと、自分は思うのだ。

 吉川先生が、音友別冊で語っていた言葉は、2015年現在、そこにあったかもしれない外連味はない。作曲家自身がかつて語った重みのある、あたりまえの言葉になっていると思う。

 調性、といった歴史ある深い、こんなにまで熟成したシステムを論考したり、使用したりするのは、なんと難儀なことか、と思う。吉川先生がかつて語ったことばを、自分の言葉として捉え直すなら、調性が一般向け、調性をあえて避けたそれ以外の方法論の駆使がアカデミックということは、ありえない。もはやありえない、とも、言えるのか。やはり、ありえない、なのか。いずれにしても、それは20世紀の100年間が図らずも証明してしまったのではないか。それが絶望的なことなのか希望にあふれることなのか、はわからない。

 あ、この、絶望的なことなのか、希望にあふれるのかわからない、っていつか俺がどっかでも使った言い回しだ。

 自分は教員という職業にあって、教科は音楽を担当している。学校教育現場に教材として提示されている楽曲の数々の質は、もはや惨状といっても差し支えない。自分は、日本の作曲家にチャンスがあればそのことを肉声で訴えつづけてきた。そういってもいいくらいの機会が、おかげ様であった。記憶の古いほうからいうなら、故・三善晃、一番新しい記憶は長生淳氏。

 長生さんとの話はすごくおもしろかった。一般ピープルの自分の勝手な熱気を真摯に受け止めてくれた。佼成ウインドオーケストラに「深層の祭」というタイトルのCDがあり、タイトルチューンである深層の祭(三善晃)のほかにクロスバイマーチ(三善晃)とレミニサンス(長生淳)が並んで収録されている。自分はその並びがすごく好きなことを伝えた。ロックフェスティバルでRCサクセションの忌野清志郎がすごいパフォーマンスをみせ、このあとどうするんだろうというところで、ブルーハーツ登場。その緊張感のなかでこれ以上ない歌を披露した甲本ヒロト。それを彷彿させると。クロスバイマーチにはある種の狂気がある。さて、と思うと、レミニサンスはそれを越えてくる。作曲者三善に、真っ向勝負を挑んで互角以上の勝負を展開している、ということを伝えた。

 作曲という行為について、そういう勝負の意識というか、緊張感は大切じゃないか、ということを、長生さんと話した。それは調性を選ぶかどうか、ということじゃない。調性を選んだら緊張感がなく、調性以外を選択すれば緊張感が得られるとか、そんな表層なことではなくて。

 そのとき長生さんから、吉松隆の話がでた。吉松氏は自分が、自分の、その方法論を選択するとき、このやり方で書いたら、もしかしたら、表現者として抹殺されるかもしれない、といった覚悟があったということを。

 また、中島みゆき礼賛、ショパン礼賛の話にもなった。中島みゆきは、もはやクラシックであると。中学校の音楽の教科書はもっと中島みゆきの曲を採用すべきだ、という話でも、盛り上がった。

 創作をするということの緊張感について書きたい。高橋源一郎のデビュー作について講談社文芸文庫の解説で加藤典洋が次のようなことをいっている。

「 だいだい、文才にめぐまれているよいうような物書きは、文を書くと、氷上を華麗に滑るスケーター、のように見える。詩人なんかはまるでそうで、また、最近、高橋の延長上で仕事しつつある文才ある若い小説家の多くも、できるだけ、かっこよくターンを切ろうとか、四回転半のウルトラEを決めてやろうとか、考えていることは意外に単純であることが多い。しかし、日本文学というこのスケートリンクに、高橋が出てくると、様相はガラリと変わる。彼が出てくるとぐーっと会場に重力が増す。Gがかかる。竜骨はきしみ、スケートリンクの氷面がみしみしと音をたてて割れかかり、ボルトというボルトがぽろりと落ち、今にも会場全体が崩れそう。そのスケートリンクを衣装もよれよれ、げっそりやせた貧弱な高橋が、ただ、スケートをはいた足で、文字通り、今は薄氷となった氷面を踏んで、そろり、そろり、リンクを斜めに横切るのである。 」
「 わたしが高橋の書いたエッセイで忘れられないのは、彼が二十歳の頃、いまでいう過激派の一員として捕らえられ、東京拘置所に入っていた時の話である。彼は毎週ガールフレンドと面会したり、友人と手紙のやりとりをしているうち、だんだん苦しくなってくる。会う前にはいいたいことは山ほどあるのに『何をどんな風にそこでしゃべればよいのか全くわからな』い。やがて、それがこうじて面会になると『動悸がし、顔があつくなり、一語でもしゃべろうとすると舌がもつれ、どもってしまう。』『ペンを握り便せんにむかうと、恥ずかしくててがふるえるのです。言いたいこと、かきたいことがあるのに、いざ、しゃべり、かこうとすると、まるで強制されているようなきがする』、そしてその『強制されているという感覚』は、いつまでも長く残ったという。 」
「 高橋の言葉がやっているのは、ちょうど、スケートでいうと、ここに池がある。氷が溶けてしまっている。その池の上に足をかざし、それを瞬間、凍らせつつ、その上を滑る、というようなことだ。一人二役。ちゃんと、三十センチの分厚い氷が用意してるのにのっかって華麗に踊る、気のいいスケーターのあんちゃん達とは、もとからそこのところがだいぶ、違っているののである。 」
「 中学校の教室で、大昔、教師が富士山は高さはヒマラヤの高峰に比べればそれほどでもないが、海抜ゼロの海辺からそのまま裾野にんって峨々とした山容をなしているところがほかと違う。他の山は最初からの土台分数千メートルを加算しているが富士は山だけで三千七百七十六メートル、そこが偉い、といった。高橋源一郎の言葉は才気があって切れがよくて、わたしは好きだが、そうである以上にわたしが高橋の小説にひかれるのは、そこで、言葉が、世界とつながる言葉の初期のたたずまいを、失っていないからである。彼は、何遍小説を書いても、あの東京拘置所失語症の海抜ゼロメートル地帯に戻っていく。彼は小説家としては富士山だ。いつも失語からそのまま山頂まで、一気にのびていく稜線を描いて、その小説を書く。 」
 
 2011年の3月11日を機に作曲された曲といえば、菅野よう子作曲「花は咲く」がある。この曲についてのウエブページに記載された菅野の言葉は、曲のすばらしさと相まうように感動的だ。
  
 復興支援ソング「花は咲く」| 明日へ つなげよう - NHK
 

 

 しかし、それでも、菅野のこの曲は、氷上でいかに華麗に舞うか、をねらっているように思う。もっと厳密にいうなら、華麗さを避けても、いかにシンプルに美しく表現するか、を考えており、スケートリンクそのものを構築しようとは考えていない。そんなことをいわれても菅野は「は?」、いや、作曲家本人ならずとも、「は?」な話だ。フィギュアスケートはいつからリンクの構築、デザイン、設計、施工から、価値判断の対象含まれるようになったのか、と。なってねーし。

 それでも吉川先生は「風景」は、愛唱性のあるシンプルな曲であることとは裏腹に、バリバリと割れただろうスケートリンクが喰らった重力波の、おそろしい形跡を感じる。作曲家として、その根本思想として、リンクの構築、デザイン、設計、施工をふまえている。誤解をおそれずいえば、そこまで「引き受け」ている。と思う。

 もう一つの曲は、本年度、2015年度全日本吹奏楽コンクール課題曲、西村朗作曲「秘技iii」。

 これが発表されたばかりのときの、2チャンネルでの受け止められ方、予想は、鮮やかに裏切られたような流行っぷりだった。

 2015年度課題曲について語ろう [転載禁止]©2ch.net

 地区大会ではこの曲を採用する学校は少なく、上位大会にいくに従ってこの曲を演奏する割合が増えていった。課題曲で、無調の現代音楽っぽい作品はかつてもあったし、毎年そういう枠なんだろうな、ということで、登場する。そして実力のある一部の学校が譜読みの力を誇示するような演奏をし、上位大会に駆け抜けていく。

 そういう感じとは、裏腹に、「秘技iii」は流行った。みんな共感し、感動し、この曲を堪能した。

 地区の代表になるレベル、県の中くらいの成績で終わる学校から、全国に出場する学校まで。

 そして吹奏楽コンクールを主催する朝日新聞もこの曲について語り紙面を割いた。

 家のものはいうのだけど「毎年、秘技みたいなの課題曲にいれてもいいんじゃないの?」と、でも、それは難しいんじゃないか。
 
 次に紹介するYoutubeのリンクは地区の代表になるレベルで県の中くらいの成績の秘儀である。

 

 西村朗はさすがの一曲を書いたと思う。
 
 

あがつまー!!

コメント気がつなかかった。今日、いまさっき、気がついて、投稿者のところリンクしても何もでてこなかったぞ。あなたの名前で検索して、そうだろうとおもわれるあなたの勤務先に手紙でもおくったら届くのか? もしくはメールくれ。

kusanisuwaru@yahoo.co.jp


これ俺のメールアドレス。よろしく。

杉山洋一指揮ワークショップに参加してきた

昨年度に引き続き、自分としては二回目の参加になる。

杉山さんのことを思い出すと幸せな気分になる。心がきゅーんとする。それは杉山さんがプロの音楽家として謙虚で虚飾がなく、音楽表現に、これほどまでにフェアに向き合っているひとはいないからである。指揮者として。作曲家として。そしてその音楽家としてのメソッドを後進に指導する教育者として。

表面的にはなにも、必要以上に優しげであることもないし、必要以上に厳しくもない。今回は中級編ということで、前回の初級とは違う。少なくとも過去に一回以上の受講歴があるといったことが条件になっている。しかしワークショップが始まってみればなんとエブリバディカムカムなアットホームな雰囲気ともちがうんだけど、オープンな雰囲気で始まる。譜読みや基礎テクニックに参加してその後聴講予定だった方も、指揮のレッスンが始まれば「やってみましょうよ」と呼ばれる。

自分は明らかな準備不足で臨んだ。「ため息」をつきながらガッカリされるということはないんだけど、「ため息」をつきながらガッカリというものは、虚飾なんである。その虚飾をとっぱらって、必要な厳しさで対応される。自分の心が裸になっていくのがわかる。杉山さんが自分の右手を取り、「力を抜いて」ということを何回もいって、杉山さんが自分の手を使って振る。それだけでものすごい経験になるが、もっと準備して受講すればそういう段階の根拠となるような、奥深い部分にも触れることができたんだよ、って、虚心で言われたような気がする。

シューマン交響曲第一番では、自分に似合う曲として第二楽章を振ってみなさい、といわれる。「やっぱり似合うと思った」といわれる。第二楽章は技術的にはさほどメカニカルな部分はない。ああ、自分は、励まされていると感じる。杉山さんに、その意図があるかどうかはわからないけど、フォローが入っている感じがする。なんだか申し訳なくなると同時に、泣きたくもなる。おれ、もうちょっとやってきます。また来ます。また教えてください、って、思う。できれば杉山さんのように、虚心で思いたい。

いまも杉山さんのことを思い出し、とても幸せな気分である。芥川作曲賞の公開選考会のための演奏会で、プロオーケストラ(新日本フィルハーモニー)を指揮する指揮者として、昨年に引き続き今年も招聘されている。イタリア在住の、作曲家、指揮者である。

俺が中学三年生のとき、杉山さんも中学三年生だったのではないだろうか。俺が高校三年生の時、桐朋学園の夏期講習会に参加したとき、桐朋の高校生だった杉山さんも、同じ場所にいたのだろうか。

杉山さんには、サン=テグジュペリの星の王子様、のようなイメージがある。難曲を指揮する上でのポイントとなることを、エネルギッシュとクールさがほんとうにこれ以上ないバランスで同居して混じっている勢いで、解説しながら指揮をふる杉山さんは、北斗の拳ラオウを、解説しながらノックアウトする、星の王子様のような、えも言われなさ、がある。

こんな人、見たことない。自分の人生に杉山さんとの出会いがあって、自分は本当に、本当に首を垂れる。

また、ワークショップを開催してください。

また、指揮を、音楽を、教えてください。

また、行きます。

枡野浩一×笹公人×玲はる名「現代歌人の今、短歌の未来を念力でかたりますの」@下北沢、本屋B&Bに行ってきた

すごい良かった。じーんと感動が心に沸き起こった。宮城県から往復の新幹線代とカプセルホテル代をかけていっておつりがくるほどの価値が、っていうのが酷く下世話に聞こえるほどの、プライスレスな一期一会が自分にはあった。このような機会に出会えたことに感謝したい。

以前どこかに書いたことかも知れないけど記憶が定かでないことをもう一度ここに書きたくなったので書く。以下。

自分が枡野さんを知ったのは、今はもうない、個人が設営した高橋源一郎のファンサイトの掲示板を通してである。表記など曖昧だが、枡野さんがその当時(1998年頃)、「ネットで絡んでくるシロウトさんは、別に自分の本を買ってくれるわけじゃない」みたいなニュアンスのことを言っていて、自分は正直カチンときて、枡野さんの本をまんまと買ってしまった。短歌集「ますの。」だ。すごくよかったし感動したし、つい2年ほど前の最近だって、玲はる名さんの個人誌「ブルートレイン三号」に「ますの。」について原稿を書いた程だ。

その自分の原稿いま読み返しておもったけど、これちゃんと読んでから下北沢いけば、質問とかバンバンしただろうなあ俺、とか苦笑いしている。自分が書いたことの細部までは覚えてなくて、自分で自分に「へえ」と思った。読んでから行った方がよかったのかどうかはわからない。でも自分は自分としては、すごく慎ましやかに会場にいることができた。それはそれで感慨深い。最前列に座ったくらいである、慎ましくなかった点は。

自分が枡野さんをずっと気にしてるのは、その出会い時の「カチン」の影響が大きい。そのことを邪魔に思うこととは少し違うんだけど、純粋なファン意識に少し不純物が混じっているみたいでそれはそれだなあ、と興味深い。

昔ほどやっきになって枡野さんの表現物は追いかけていない。一番最近入手した枡野さんの表現物は、文庫化した「かんたん短歌の作り方」(ちくま文庫)である。単行本の方も、もちろん持っていて、であるし、文庫も、定価で購入した。断じてブックオフとか、図書館で借りたとかではない。だからってわざわざいうほどえらいことかっていうと、それはべつに、それほどえらいことではないって、おもう。で、なんでこんなことをわざわざいうのかっていうと、ネットに限れば枡野さんがネットでシロウトさんに呼びかけてきた、その呼びかけようの有様が、シロウトさんの側に、にそういう磁場を発生させているような、気もする。いや、シロウトさんのほうが枡野さんに「図書館で借りてえらそうに評論する」っていうことをやっているほうが最初のきっかけか。ちゃんとことの成り行きを再現しようとせず(検索したり改めて読み込んだりリンク貼ったりせず)自分の適当な記憶の要約だけど。

そう、今回おもったことの一番は、枡野さんのライブの素晴らしさ、トークの素晴らしさである。ネットでいっていることとまるで印象が違って、自分は感じた。枡野さんはご自身の著書で「短歌以外の形式で表現したほうが面白くなる内容のものは、短歌にしては駄目です。」と言っている。枡野さんがこんなにライブで、こんなに素晴らしいトークをするなら、ネットでの発信行為は一切やめてもいいのではないのか、とすら、思う。

正直首をかしげていた枡野さんの芸人活動についても、すごく腑が落ちて納得して、感動とともにじーんと来た。そして枡野さんが、プロとしてどういう生き様なのかも、ひしひしと感じることができた。出会い時の「カチン」が少し消えた気がした。

いままでも何度か、回数はすくないけど、人生の節目節目に、生の枡野さんの話を聞いているけれど、いままではそう思ったことはなかった。芸人としての活動が、枡野さんのトークを洗練させたと思う。

客席で話を聞きながら、質問しようとおもったことは、枡野さんの歌壇批判は、そのままなぜ笹さんに向けられないのか、ということかなあ。でも枡野さんは多分ご自身が無意識有意識に演出しようとしてるセルフイメージよりも、遙かに慈悲深く優しく懐が深く、ひととひととのつながりや出会いを大切にする人なんだと思う。ネットで言っていることと実際にいう事が、違わない、とか、自分や相手の立ち位置や立場や、何で収入を得てるか、どっちが何のプロでシロウトなのか、ということを弁えれば、すごく接しやすい人なのではないだろうか。いや、結局接しやすく接するのは、たいていのひとにはそれなりのハードルになっているのか。

笹さんは歌壇の重鎮の人でもあるとおもうのだけど、枡野さんに対しては、そこら辺がちゃんとクリアしてるんだろうな、そしてそれは笹さんにとっては、当然のことなんだろうな、ということがお二人を見てておもった。

あと、最後に紹介された、枡野さんに対する正岡さんの手紙は本当に泣けた。朗読が玲さんなのも、すごくよかった。枡野さんが「ありがたいですね」って小声でいったとき、枡野さんの普段みることのできないむき出しの魂の一部の、はにかみとか、恐縮を見た気がした。

玲さんがイベント後のツイートで「正岡さんの言葉は、イベントの核心に迫るものだった」といってて、すごいなと思った。確かにそうである。確かにそうなんだけど、この確かにそうであること、をちゃんと言い切るのは、すごいとおもった。

枡野さんと笹さんの会話は、短歌で生きること、短歌をちゃんとプロとして売る事、それで食っていくことが軸であるように、自分は感じた。正岡さんの手紙の言葉は、そこから、また一段、奥に、奥の方に踏み出している言葉のように自分は思ったからだ。

ほんとうにほんとうにささやかですが、枡野さんの今後のご活躍をこっそり祈っております。

東北吹奏楽指導者講習会に参加してきた。ヤマハデモンストレーションバンドのことを書きたい。

二日間にわたって開催された講習会の二日目に作曲家・指揮者の保科洋氏を講師にお迎えし、音楽料理法という講座で、モデルバンドを担当したのがヤマハデモンストレーションバンドである。

 パンフレットの紹介によれば、このバンドは東北在住の専門家で編成された吹奏楽団で、メンバーは普段はプレイヤーとして、また指導者として東北6県を中心に活動。誤解を恐れずざっくりいえば、普段東北6県の学校の吹奏楽部に講習会などを通して指導したりする、ヤマハの講師の先生方による吹奏楽団である。

 講師の保科氏が講習の折々に心から染みでるようなことばとして「いやあ、すばらしい」と発しながら、講習は、進んでいった。そのすばらしさに、保科氏自身が、興奮しているようにも、思えた。

 なにがすばらしいというのかというと、このヤマハデモンストレーションバンドが、である。客席で講習を聴いててそう思った。講習でフレーズを紹介しながら聞こえてくるサウンドが、「シエナ?」と思うような音が聞こえてくるのである。冗談でもお世辞でもなく。

 そして保科氏の要求に自由自在に応えて講習は展開していった。保科氏はうれしくてたまらないだろう。

 プロの先生方が集まってるんだから当たり前といえば当たり前であるが、あたりまえのレヴェルをきちっと出す、ってことの大事さ、とすばらしさを実感させられるものだった。

 自分が中学生だったのは昭和57年から59年、吹奏楽の編曲ものとして定番であるワーグナーの「エルザ」に出会ったのも、中学校の吹奏楽部で。

 どうしてもレコード(CD以前の時代だった)がほしくてフェネル指揮の佼正WOのを買ったけど、なんだかがっかりしたことを思い出した。当時先輩につれられて定期演奏会を聴きに行った仙台一高の方が上手なんじゃないか、とおもったりもした。もちろん生とレコードは違うし、当時吹奏楽のレコードに出せる予算や録音技術の問題とかもあったのかもしれないなあ、と思う。

 今日聴いたヤマハデモンストレーションバンドは、自分がレコードで聴いた昭和の佼成より、ずっと熟成された響きがした気がした。

 そんなの当たり前なんだけど、アマチュアの一般バンドよりうまい。自分の記憶にある全国大会に出場を重ねている名取交響吹奏楽団よりも、あたりまえだけどプロの音がする。普門館できいた淀工より。多賀城文化センターで聴いた大滝先生指揮の埼玉栄もすごくすばらしかったけど、高校生とプロの音は、音楽は、やはり違う。精華とかCDだしたり演奏会すれば満員になったりするだろう。まあ高校の吹奏楽が演奏会やってお客さんがたくさんくるとかは、事情や状況がちがうだろうけど、それにしてもこのヤマハデモンストレーションバンドがどれほどの演奏をするのかって全国の吹奏楽に携わるひとはいったいどれだけ知っているのか。ヤマハ浜松よりうまい、っていったら気になりませんか。いや自分の記憶だけど、ちゃんと比べてみたい。でもまあ、あたりまえっちゃあたりまえではある。プロの先生方が集まっているのだから。

 いや、「ヤマハの講師の先生が集まって吹奏楽のデモ演奏するんだって、」って言葉でいったら凄い軽い気がするくらい、ヤマハデモンストレーションバンドからは、プロフェッショナルな音がしていた。このことは自分声を大きくしていいたい。バンド名も変更してほしい。ウインドオーケストラか、ウインドアンサンブルか。

 このデモンストレーションバンドの熟成は平成以降20数年の日本のクラシック音楽グローバル化の一つの成果にも思う。このことはまた後日じっくり書きたい。

 講習後、二日間の講習の締めくくりとして、このヤマハデモンストレーションバンドによるコンサートが行われた。曲目に「エルザ」と「アルメニアンダンスパート1」がある。自分は期待に胸が膨らむ。「エルザ」は2年前の金聖響指揮で佼成の演奏が記憶にあるし、「アルメニアンダンスパート1」はやはりこれはでも10年くらい前になるかなあ、金聖響指揮のシエナの演奏が記憶にある。

 常設の吹奏楽団ではなく、普段はどちらかというとソリストとして活動することも多い、時期限定の吹奏楽団ということも、あるし、たった数回のリハーサルでこれほどプロフェッショナルな「エルザ」と「アルメニアンダンス」を聞けたことは幸せだった。

 しかし、同時に思ったのは、金聖響のすごさ、シエナのすごさ、今の佼成のすごさである。

 それは世界一流の競技の世界選手権の0コンマ以下何秒のタッチの差、みたいな、プロとプロがしのぎを削るような、差になぞらえることができるかもしれない。

 指揮者の小林研一郎氏の言葉に「プロとアマチュアの違いは、アインザッツの0.2秒にある」というのがある。

 「エルザ」にしても「アルメニアンダンス」にしても、金聖響はプロ中のプロだったなあ、とあらためて驚嘆させられた。

 保科先生がそうではなかったという話ではない。それでも、金聖響は凄いと、俺はおもうし、こういうことは、俺の中では重要なんである。こういうことをいうと、デモンストレーションバンドの方は気分を悪くされるだろうか、顔をしかめるような気分になるだろうか。常設で活動してる常任指揮者もいるバンドと、時期活動のバンドとを、同列に語るな、ということなんだろうか。

 エルザの、出だし。そして、46小節のフレーズの終わり。自分もそこはアゴーギクに手をだしたくなる。具体的にはテヌートをつけたくなる。明確にテンポをゆっくりしたくなる。保科先生ははっきりとした音楽的主張でその部分のフレーズを処理していた。バンドも見事にそれに応えていた。それは指揮者とバンドの関係としてはこれ以上ない幸福なパートナーシップだったとおもう。でも、金聖響のとある日のエルザは、そこは、インテンポだった。そしてとってもよかった。自分はその、インテンポで、とってもよくというか、感動させられる音楽の解釈と運びと演奏に、逆に衝撃を受けていたので、それははっきりとおぼえている。いま気になって佐渡裕シエナのCDのエルザのCDも聴いてみている。思ったほどやっていない。今日聴いたヤマハデモンストレーションバンドと保科先生がみている音楽的風景とは違ったものがみえているかもしれないことを思っている。どっちがいい、とかの話とはまた別として。

 そしてとある日の金聖響アルメニアンダンスの冒頭、アインザッツをだしていない(ように)みえた。凄い衝撃的な冒頭だった。保科先生曰くの、バウンド分割のもっとも激辛な表現ではないか。そして、その日の金は、シエナアルメニアンダンスパート1のラストに向かって、プロも足並みを乱すほどのテンポのつっこみを見せていた。シロフォンが途中で頭拍を取り直すほど。その頭拍の取り直しにも、プロ中のプロの技を見せた気がした。ものすごい、おっとっとっとであったし、それでも微細にしか乱れないアンサンブルは、もはやそういう演出であるようにも思える。

 俺は保科先生のエルザは、後半アゴーギクをいじりすぎな気がする。あれだけ指揮者が要求して、あれだけバンドが応えるのは、それはそれは幸福な指揮者とバンドのパートナーシップなんでしょうけれど。

 俺は、保科先生の講習で一番心に止めなければならなのは「何回もいいますが、なにが正解というのはないんです」だと思う。

 ネットにあがっているピアニスト横山幸雄ショパンのバラード3番のウエブ公開レッスン的な動画で(検索するとでてきます)「そこは、アゴーギクをいじることに頼らないで」っていう助言がでてくる。俺は納得ををする。

 しかし自分がいま世界でもっとも表現力のあるピアニストだと思う河村尚子のCDを聴くに彼女のバラード3番はアゴーギクを動かしながらとっているように聞こえる。それが彼女のインテンポなのかもしれないと思いつつ。これは表面だけまねしてはだめだな、とかいろいろ思う。そして、名演は名演なんである。ショパンの演奏、舟歌にしても、河村とピーターゼルキンを比べて聴くと、もうなにが正解なのかわからなくなる。

 ヤマハデモンストレーションバンドのプロフィールに指揮者として誰を迎えているか、どんな方の指導を受けているか、その方々の氏名が掲載されていた。それはこれまでの吹奏楽の発展の歴史に敬意を表したような、ラインナップに思った。

 ヤマハデモンストレーションバンドのこれからを思うとき、指揮者を新しく迎えていいとおもう。そしてそれは若い世代こそ必要だとおもう。それからヤマハデモンストレーションバンドの実力を考えたとき、それこそ、金聖響佐渡裕、山下一史、下野竜也、大井剛史、といった日本の吹奏楽の可能性と、意義に理解のある指揮者に片っ端から声をかけて、正規のギャランティー関係なく、このバンドの可能性と意義を理解し、スケジュールをあけられる指揮者をよぶべきに思う。もう、今後はそういう領域をめざすべきだとおもう。もうすこし現実的な人選を、というなら仙台ジュニアオケを振っている小森康弘。現実的ではないけど、意義は理解してくれるだろう、イタリア在住の指揮・作曲家、杉山洋一。そしてアナリーゼ担当には、その杉山の盟友、新垣隆

 保科先生すばらしい!今日よかったね!がゴールでもないし、到達点ではないし、さらに生意気いうなら今後も保科先生是非、でもないとおもう。保科先生から受け取ったバトンを、どう次世代に渡していくか、ではないでしょうか。ヤマハデモンストレーションバンドをお世話しているお偉いラインナップの方々についても。

 勝手なこといいました。でも是非いいたくなっていいました。凄くよかったです、ヤマハデモンストレーションバンド。あと繰り返しいうけど、やっぱり、名前変えた方がいいとおもう。

後藤健二さんのこと

 自分は普段、職場で、つまり授業でやってることは、なるべくネットに流さないようにしている。なんというかそこは自分なりの自主規制を敷いている。けじめというか。具体的に誰がどんなことをやったとかいったとかはやはりプライバシーに関わるからだ。学級通信など、具体的に誰がどんなことをやったとかいったとか、そういうことから十分な距離があるものについてのみ、ネットで公開してきたつもりである。

 しかし、今回は少し意味が違う。(でも具体的にだれがどんなことをやったとかいったとかについてはやはり気をつけて発信はしたい。)なぜなら、法政大学の水島氏がNHKの「あさイチ」での柳澤氏のコメントに触れいったこと、

 私自身もだいぶ以前、テレビのコメンテーターを務めた経験があるが、大きな事態に、大事だと思うことを、適切な言葉を選んで視聴者の心に届くように話すということは簡単にみえて、実際にはとても難しい作業だ。番組の限界や局の限界もある。だが、コメンテーターにとって本当に大事なことは、こうした節目の事態にこそ、きちんとした「見識」を示すことだろう。

 このことは、公教育の教員にもいえるんじゃないか、と思ったからだ。
 
 2月2日の月曜日、道徳の時間を使って、後藤健二さんの事に触れた。この日発行の学級通信を読み上げた。以下。*************〜*************が学級通信。

*************
【自分の目で見て自分の耳で聞くことの大切さ】

 いままでも日本人が外国でひどい目にあって、そのことで日本政府が大変な判断や苦労をしなければならないことは、ありました。ここ十数年は、そのたびに「自己責任」という言葉がセットでそうした事件が語られるような事が多い気がします。この場合の自己責任というのは、つまり、危ない所にいって危ない目に遭ったのはその人の責任なのではないか、だから大勢の人を巻き込んだ救助活動をするのは、皆に迷惑をかけるだけ、自分の責任でそういう目にあったら自分の責任でなんとかするべきではないか、という考えだと、自分は受け取っています。

 今回の事についても、そのような意見を持つ人もいます。そのような意見を持つ権利は、自分は,しっかりと保障されなければならないとおもいます。しかし、そのとき、大勢のひとがそのようにいっているから、きっとそうなんだろう、と思うことは、どうでしょうか。強い意見、大勢の人がきっとそう思うだろう意見に出会ったときこそ、では自分自身の考えはどうなんだろうと、あらためて振り返ることが大切だと思うのです。

 『民主主義(時に多数決で物事を決定する)のいいところは、何が正義であるかについて、それは常に空欄であるからだ。』という考えがあるそうです。なかなか考えされられる言葉だとおもいます。

以下に、以前に書かれた後藤健二さんのブログの記事を紹介させてください。

投稿日:2014年7月11日 作成者: Kenji Goto

http://ipgoto.com/archives/1829?utm_content=buffer7ed1c&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

(学級通信では、リンク先の文章をそのまま転載した)



後藤健二さんのご冥福をお祈りします。


*************

 この学級通信を読み上げながら、世の中にはどこかの国が、その国丸ごと非難されることもあるけれど、しかしその国にすごくひどい人がいたり、それもたくさんいたりしても、その国にうまれた赤ん坊まで非難されるのは、ちょっと違うと、自分は、思っている、ということを話した。その国を丸ごと非難したり攻撃したりすることはその国にいる何の罪もない弱い立場のひとを巻きこむ可能性もあるのではないか、どうだろうか、ということを話した。

 教室の生徒が真剣なまなざしになる。そしてうなずく。教師ってこわいな、って思う。ああ、自分はこれ以上の事はいえない、と思う。あとはそれぞれが自分の力で、必要な考えにたどりついてくれ。俺が教師という立場で学級をシーンと静かにさせて言っても、それは誘導の域を逃れる事ができないから。

 柳澤さんのコメントも紹介したかった。柳澤さんのコメントに触れた水島さんの考えも。弁護士の伊藤和子さんの言葉も。

 教室で教師という立場からシーンと静かにさせて、俺が紹介するのでは、意味が違ってしまう。みんなどうか自分の力で辿りついてみて、自分でそれぞれの考えと向き合ってほしい。