コンテンポラリー性・考

 2015年、自分が向き合ったコンテンポラリー性のある、といえる作曲作品が二つある。一つ目は、吉川和夫作曲、まど・みちお詩、混声合唱のための「どうしてあんなに」より、「風景」である。吉川先生は大学時代の恩師である。以下吉川先生と呼ぶ。
 
2011年の3月に書かれた3曲がもとになって、その後に作曲者が受けた委嘱を契機として、連作の合唱曲になり、発表された。東京混声合唱団の定期でも取り上げれられている。楽譜は2013年に出版された。

 自分は勤務先の中学校で行われる校内合唱コンクールの課題曲としてこの曲を取り上げようと考えた。2014年にも考えたのだが、一年、あたためることとなり、2015年に三年生の課題曲として生徒とともに取り組んだ。

 代筆事件で一躍有名になった新垣隆音楽史の延長上で勝負がしたい、といったことを新聞のインタビューか何かに答えた記事で目にした。吉川先生の書いた「風景」の楽譜を見ながら、自分はこの曲を書いた作曲家の耳が、音楽史を通過していることを想像したとき、興奮を呼び起こす熱が体の奥にポッと点火したようだった。

 授業でこの曲をやりはじめの頃のこと。音を取って生徒に歌わせる授業だった。授業と授業の合間の休憩時間には、その最初のフレーズを生徒たちが口ずさみながら、廊下を移動していた。この曲を扱って一時間目の授業からである。生徒たちにとっては今まで楽譜をみたこともない曲だろうし、演奏を聴いたこともない、曲に関して、である。

 後に行われた合唱コンクールには吉川先生ご本人に審査員として会場まで来ていただいたのだが、この曲の感想を自分が本当に伝えたいようには肉声ではなかなか言えなかった。

 そう、この曲には、愛唱性があるのである。それも濃く。このことも、吉川先生に直接伝えられなかった、でも伝えたかったひとつだ。

 合唱コンクールのその週になると、職員室のなかでも、「風景」のフレーズを口ずさむものもいた。

 それはそうだろう、親しみやすい旋律で書かれているのだから、と言うこともできよう。もちろん。

 でも、この曲にはそういってしまってそれだけでは終わらない、誤解を恐れず言えば、未聴感のある、不思議な、なんともいえない奥行きのある、ひっかかりのある、曲に思う。

 冒頭のピアノ。フレーズの収まりは4の倍数だとちょうどよく感じたりもする。しかし、この曲の冒頭は7小節目までのフレーズを、もう7小節繰り返すといったような(旋律は変化するけれど)構成になっている。繰り返す直前、つまり、7小節目、ルバートをどうするか、ちょっと考えてしまう場所だとおもう。正解は絶対にルバートしない、だと自分は思うけれども、フレーズというか、音楽のほうから「この部分ルバートどうしますか」という問いかけがあることは、心に留めておかなくてはならないとおもう。

 波打つようなフレーズの、ゆったりと円を描きながらくりかえす、その折り返しの部分が7小節目だからである。つまりルバートは7小説フレーズが二回繰り返すという構造に内包されている。その元々にたたずむ内在的なルバートが足りなければ演奏者の方で強調しなければならないし、十分であればなにも加えずなにも引かず、そこをそのままに解釈しなければならない。その「そのまま」性、はそれなりに問題だとおもう。どう演奏するか、の上で。

 単に楽譜通り演奏すれば、内在するルバートを無視したことにもなりかねない。よって、内在するルバートの存在を確実に感じ取って楽譜通り演奏するのが正解だと自分は考える。

 内在するルバートはどこから来ているのか。冒頭7小節のフレーズは、自分は3+4と捉える。4、が安定して満ちていてちょうど良いフレーズの単位に感じる前提ならば、3は一つ欠けている。歌の冒頭も「めーを と/じーてーいた/いー」の三小節フレーズである。橋本祥路なら「めーを/とーじ/てーい/たーい」と日本語の音韻(感)を犠牲にして4小節フレーズの安定性をとるかもしれないなあ、と自分は思ったりもするけど。

 この、3、という4から一つ欠けていることに、奥行きや間合いがある。そしてそれはルバートを内在させている一因だと自分は思う。ペダンチックな、と同じく大学時代の恩師である森田稔先生は言うかな、ともおもう。おまえは(ピアノを弾かなくていいよ、)評論家になれば、とも言われた記憶がよみがえる。弾くし。って答えておきたい。
 
 

 俺は、校内合唱コンクールで伴奏者の誰しもが、つまり、三人が三人とも、7小節目で、恣意的なルバートがなかったのは、吉川先生に「なかったでしょ?」とちょっと言いたかった。自分がそのことを各学級のピアニストの誰にも練習段階で話題にしたことはない。20年前、大学の付属中学校で講師をしていたとき、恣意的なルバートが多い中学生は、いた。そのことを直さない、ピアノ教師がいた、ということだと、自分は理解している。

 合唱曲にしては長い14小節の前奏。歌いだし直前に「せーの」といったアインザッツを出さなくても、歌い手である合唱は、はっきりと歌い始まりを実感できる。これほど「せーの」の補助のいらない前奏は、なかなかないと思う。

 完璧な前奏なんである。歌を導く上で。

 楽曲ははっきりとした調性で書かれている。E-durではじまり平行調のcis-mollで終わる。楽曲のすべての部分にコードネームを記入することができる。

 E-durではじまりcis-mollで終わることは起承転結の結をあえて取り去り、起承転を提示し、この曲の表現を受け取る側に、結論をゆだねさせているような印象を抱く。ここにも4から一つ欠いた3を感じる。欠けているけれども、だからこそ、はやり奥行きや広がりを感じる。「永劫」や「一億年に一度」といったとてつもないスケールを、カニッツァの三角形といった、錯視を使って表現しているような感じがする。前衛性を感じる。表現として攻めている。欠く、ということの、ものすごいエネルギーを感じる。なにかありえたものがない、という静寂や、無。なにかありえるかもしれない可能性としての、静寂や、無。

 さっき日本語としての音韻(感)-という言い方を自分は選んでいるけど-に話題としてふれた。機能和声法に象徴される西洋音楽のシステムが注射器で注入されるように歴史のある部分から急に内部に入ってきて、日本の歌は、言葉と旋律の狭間にいつも苦しんできたように思う。日本の歌が、どのように作られ歌われてきたか、も、日本語そのものにも影響を及ぼしてきたのではないか。歌を聞いただけでは意味がすぐにはわからない歌は未だにたくさんあるとおもうが、歌をどう理解するか、その感受の仕方の有様にも、考えを及ばせる必要がある。歌は聞いただけではわからないのは当然、歌詞の意味をしりたかったら視覚媒体で確認すべし、という表現物だってあっていい。外国語を字幕で理解する表現物だって当たり前にある。歌は聞いてわかるものであるべき、という規制はない。しかし、母語が使われているのに関わらず、聞いてわからない歌にどんな意味や意義があるのか、という問いには答えることは難しいのだが。ここでたとえば、参考楽曲として、タンドゥンの「19個記念的”fuck”」のことを考えたりしている。

 「風景」の旋律と言葉は、日本語の音韻(感)は損なわれていない、大切にされている、と言ったとき、いや、「損なう」の対義が「大切にする」で、そういう評価軸を持ち出していいのか、という疑問も沸く。「風景」の旋律と言葉は、そういう日本語の音韻(感)の提示になっている、という言い方のほうが自分もすっきりする。

 そうあるべきものとしての、日本語のアクセント辞典やイントネーション辞典は、歌にどれほど有効なのだろうか。今。木下牧子混声合唱組曲「箱舟」を書くとき、日本語のアクセントやイントネーションに徹底してこだわったという。そのこだわりは、そのやり方のままその後どれだけ有効だったのだろうか。今でも有効だろうか。

 吉川先生の「風景」における旋律と言葉は、和声を伴って、まさに、2011年以降のコンテンポラリー性を考えさせる提示になっているとおもう。現代曲という言葉は多くの偏見を伴いがちだが、それも、あえて言いたい、なんという現代曲だろう。中田喜直が現代音楽か、ということを自分は学生時代に吉川先生と話した記憶があります。「風景」は現代音楽だとおもいます。

そして、調性について。

 吉川先生は1980年代に出版された、'83音楽の友・音楽芸術別冊「日本の作曲家」の石田一志が執筆した吉川和夫の項目の記事で、「<前衛>だから正当的な現代音楽、<調性>だから非<前衛>で大時代的、とりあえずもういい加減に、こういう馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう。歴史に寄与するために作曲するのではない。言いたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要かを大命題としよう」という発言が紹介されている。それは自分にとってすごく鮮烈な、作曲家としての立場の表明であった。

 1980年代、現代音楽というのは、19世紀までの作曲の方法論をいかに更新するのか、それがまず前提に色濃くあったとおもう。それこそ、「もういい加減にしましょう、」と言いたいくらい、の空気感があったのではなかったか。現代音楽の文脈で、もしくは、その関わりを背景としながら、はっきりと調性を方法論の中心に据えて作曲していた人は、「反現代音楽」を標榜に掲げる吉松隆くらいしか思い当たらない。多くの現代音楽の作曲家は無調をはじめ19世紀とは袂をいかにして分かつようにしているか、な20世紀の方法論を模索しながら作曲行為に向き合っていたと自分は考える。新しい旋法のシステムを編み出したり、偶然性や、具体音、ノイズ、を導入したり、図形楽譜を採用したりなど。もちろん調性で音楽を書くことはあっても、それは商業ベースからの要請としてであって、そこと、自分のメインとなる実験性、前衛性は、きっぱりと分かれていることが時代の趨勢であったと実感している。

 そういう時代の空気を背景として「馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう」という当たり前のことを、きっぱりといえるのは、なんというか、逆に外連味を感じるほどの鮮烈さだった。

 調性は汎用性がありとても便利なシステムである。しかし、作曲家が未聴感を求めるなら、調性というシステムは使い尽くされており、選びづらい。

 前出の吉松隆は佐村河内名義(新垣隆作曲)の前時代的なスタイルで書かれた作曲作品を評価し、批判された。代筆事件の文脈において。

 自分は東京佼成ウインドオーケストラによる「祈り」を、客席で生演奏で聴き、感動した。新垣作品であると知ったいまも、その評価は変わらない。

 調性、ということにしても、然り、使い尽くされた、とおもっていたシステムが、だったら、前衛精神にあふれた、実験的な、未聴感をもとめた新しい創作に全く使えないのか、というと、そうではない。そうではない、細い可能性の実践を、吉川先生は担って「も」、いたと、自分は思うのだ。

 吉川先生が、音友別冊で語っていた言葉は、2015年現在、そこにあったかもしれない外連味はない。作曲家自身がかつて語った重みのある、あたりまえの言葉になっていると思う。

 調性、といった歴史ある深い、こんなにまで熟成したシステムを論考したり、使用したりするのは、なんと難儀なことか、と思う。吉川先生がかつて語ったことばを、自分の言葉として捉え直すなら、調性が一般向け、調性をあえて避けたそれ以外の方法論の駆使がアカデミックということは、ありえない。もはやありえない、とも、言えるのか。やはり、ありえない、なのか。いずれにしても、それは20世紀の100年間が図らずも証明してしまったのではないか。それが絶望的なことなのか希望にあふれることなのか、はわからない。

 あ、この、絶望的なことなのか、希望にあふれるのかわからない、っていつか俺がどっかでも使った言い回しだ。

 自分は教員という職業にあって、教科は音楽を担当している。学校教育現場に教材として提示されている楽曲の数々の質は、もはや惨状といっても差し支えない。自分は、日本の作曲家にチャンスがあればそのことを肉声で訴えつづけてきた。そういってもいいくらいの機会が、おかげ様であった。記憶の古いほうからいうなら、故・三善晃、一番新しい記憶は長生淳氏。

 長生さんとの話はすごくおもしろかった。一般ピープルの自分の勝手な熱気を真摯に受け止めてくれた。佼成ウインドオーケストラに「深層の祭」というタイトルのCDがあり、タイトルチューンである深層の祭(三善晃)のほかにクロスバイマーチ(三善晃)とレミニサンス(長生淳)が並んで収録されている。自分はその並びがすごく好きなことを伝えた。ロックフェスティバルでRCサクセションの忌野清志郎がすごいパフォーマンスをみせ、このあとどうするんだろうというところで、ブルーハーツ登場。その緊張感のなかでこれ以上ない歌を披露した甲本ヒロト。それを彷彿させると。クロスバイマーチにはある種の狂気がある。さて、と思うと、レミニサンスはそれを越えてくる。作曲者三善に、真っ向勝負を挑んで互角以上の勝負を展開している、ということを伝えた。

 作曲という行為について、そういう勝負の意識というか、緊張感は大切じゃないか、ということを、長生さんと話した。それは調性を選ぶかどうか、ということじゃない。調性を選んだら緊張感がなく、調性以外を選択すれば緊張感が得られるとか、そんな表層なことではなくて。

 そのとき長生さんから、吉松隆の話がでた。吉松氏は自分が、自分の、その方法論を選択するとき、このやり方で書いたら、もしかしたら、表現者として抹殺されるかもしれない、といった覚悟があったということを。

 また、中島みゆき礼賛、ショパン礼賛の話にもなった。中島みゆきは、もはやクラシックであると。中学校の音楽の教科書はもっと中島みゆきの曲を採用すべきだ、という話でも、盛り上がった。

 創作をするということの緊張感について書きたい。高橋源一郎のデビュー作について講談社文芸文庫の解説で加藤典洋が次のようなことをいっている。

「 だいだい、文才にめぐまれているよいうような物書きは、文を書くと、氷上を華麗に滑るスケーター、のように見える。詩人なんかはまるでそうで、また、最近、高橋の延長上で仕事しつつある文才ある若い小説家の多くも、できるだけ、かっこよくターンを切ろうとか、四回転半のウルトラEを決めてやろうとか、考えていることは意外に単純であることが多い。しかし、日本文学というこのスケートリンクに、高橋が出てくると、様相はガラリと変わる。彼が出てくるとぐーっと会場に重力が増す。Gがかかる。竜骨はきしみ、スケートリンクの氷面がみしみしと音をたてて割れかかり、ボルトというボルトがぽろりと落ち、今にも会場全体が崩れそう。そのスケートリンクを衣装もよれよれ、げっそりやせた貧弱な高橋が、ただ、スケートをはいた足で、文字通り、今は薄氷となった氷面を踏んで、そろり、そろり、リンクを斜めに横切るのである。 」
「 わたしが高橋の書いたエッセイで忘れられないのは、彼が二十歳の頃、いまでいう過激派の一員として捕らえられ、東京拘置所に入っていた時の話である。彼は毎週ガールフレンドと面会したり、友人と手紙のやりとりをしているうち、だんだん苦しくなってくる。会う前にはいいたいことは山ほどあるのに『何をどんな風にそこでしゃべればよいのか全くわからな』い。やがて、それがこうじて面会になると『動悸がし、顔があつくなり、一語でもしゃべろうとすると舌がもつれ、どもってしまう。』『ペンを握り便せんにむかうと、恥ずかしくててがふるえるのです。言いたいこと、かきたいことがあるのに、いざ、しゃべり、かこうとすると、まるで強制されているようなきがする』、そしてその『強制されているという感覚』は、いつまでも長く残ったという。 」
「 高橋の言葉がやっているのは、ちょうど、スケートでいうと、ここに池がある。氷が溶けてしまっている。その池の上に足をかざし、それを瞬間、凍らせつつ、その上を滑る、というようなことだ。一人二役。ちゃんと、三十センチの分厚い氷が用意してるのにのっかって華麗に踊る、気のいいスケーターのあんちゃん達とは、もとからそこのところがだいぶ、違っているののである。 」
「 中学校の教室で、大昔、教師が富士山は高さはヒマラヤの高峰に比べればそれほどでもないが、海抜ゼロの海辺からそのまま裾野にんって峨々とした山容をなしているところがほかと違う。他の山は最初からの土台分数千メートルを加算しているが富士は山だけで三千七百七十六メートル、そこが偉い、といった。高橋源一郎の言葉は才気があって切れがよくて、わたしは好きだが、そうである以上にわたしが高橋の小説にひかれるのは、そこで、言葉が、世界とつながる言葉の初期のたたずまいを、失っていないからである。彼は、何遍小説を書いても、あの東京拘置所失語症の海抜ゼロメートル地帯に戻っていく。彼は小説家としては富士山だ。いつも失語からそのまま山頂まで、一気にのびていく稜線を描いて、その小説を書く。 」
 
 2011年の3月11日を機に作曲された曲といえば、菅野よう子作曲「花は咲く」がある。この曲についてのウエブページに記載された菅野の言葉は、曲のすばらしさと相まうように感動的だ。
  
 復興支援ソング「花は咲く」| 明日へ つなげよう - NHK
 

 

 しかし、それでも、菅野のこの曲は、氷上でいかに華麗に舞うか、をねらっているように思う。もっと厳密にいうなら、華麗さを避けても、いかにシンプルに美しく表現するか、を考えており、スケートリンクそのものを構築しようとは考えていない。そんなことをいわれても菅野は「は?」、いや、作曲家本人ならずとも、「は?」な話だ。フィギュアスケートはいつからリンクの構築、デザイン、設計、施工から、価値判断の対象含まれるようになったのか、と。なってねーし。

 それでも吉川先生は「風景」は、愛唱性のあるシンプルな曲であることとは裏腹に、バリバリと割れただろうスケートリンクが喰らった重力波の、おそろしい形跡を感じる。作曲家として、その根本思想として、リンクの構築、デザイン、設計、施工をふまえている。誤解をおそれずいえば、そこまで「引き受け」ている。と思う。

 もう一つの曲は、本年度、2015年度全日本吹奏楽コンクール課題曲、西村朗作曲「秘技iii」。

 これが発表されたばかりのときの、2チャンネルでの受け止められ方、予想は、鮮やかに裏切られたような流行っぷりだった。

 2015年度課題曲について語ろう [転載禁止]©2ch.net

 地区大会ではこの曲を採用する学校は少なく、上位大会にいくに従ってこの曲を演奏する割合が増えていった。課題曲で、無調の現代音楽っぽい作品はかつてもあったし、毎年そういう枠なんだろうな、ということで、登場する。そして実力のある一部の学校が譜読みの力を誇示するような演奏をし、上位大会に駆け抜けていく。

 そういう感じとは、裏腹に、「秘技iii」は流行った。みんな共感し、感動し、この曲を堪能した。

 地区の代表になるレベル、県の中くらいの成績で終わる学校から、全国に出場する学校まで。

 そして吹奏楽コンクールを主催する朝日新聞もこの曲について語り紙面を割いた。

 家のものはいうのだけど「毎年、秘技みたいなの課題曲にいれてもいいんじゃないの?」と、でも、それは難しいんじゃないか。
 
 次に紹介するYoutubeのリンクは地区の代表になるレベルで県の中くらいの成績の秘儀である。

 

 西村朗はさすがの一曲を書いたと思う。