たとえスマホを片手にもっていたとしても咳をしても一人(「緋国民楽派 作品演奏会」を聴く)

2018年6月17日 
祝30周年 緋国民楽派 作品演奏会[仙台公演]「トランペットとコントラバスが出会うことき」
を聴く。

プログラムは以下。

萩 京子:
DANCE OF ACCORDANCE and DISCORDANCE
コントラバス・ソロのための(2001)仙台初演

萩 京子:
夏の花
〜トランペットとコントラバスのための(2017)仙台初演

寺島陸也:
《M.へのオマージュ》
トランペット、コントラバスとピアノのために(2017)仙台初演

――休憩――

「ファンファーレ」

林 光:
幻想風ソナタ「はんの木の歌」
コントラバスとピアノのための(2011)

吉川和夫:
アンティフォニーVII(2017/18)改定初演

*演奏
曽我部清典(トランペット)
助川 龍(コントラバス
寺島陸也(ピアノ)

14時開演@仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール

洒脱で繊細で心地よく緊張感のある演奏会だった。音を、音楽を存分に楽しめ、余韻の深みのある演奏会だった。

そして何より耳が洗われた。内的な意味での聴覚意識、聴覚を中心とした自分ある部分の総体がブラッシュアップされるような感覚に沈んでいった。

新作初演を含む、邦人の作曲家の、作品による、プロの、クラシックを中心として活動している演奏家が演奏する演奏会は、「現代音楽」ということの劣等感という意味でのコンプレックスをどうしても抱えてきているようにおもう。「こんな(むずかしい、耳慣れない、特殊な編成の)演奏に、よくもまあ来てくださいました。ありがとうございます」といった謙遜がどこかしら空気感として、漂っていて、払拭できていない。

でも、この日の演奏会を最初から最後まで、聞いて、確信した。そんな謙遜や、コンプレックスはもはや不要なのではないか。と感じた。

「ジャズももちろん、クラシックは当然、あらゆるジャンルを俯瞰した、最先端の室内楽」というたとえば、ダサいけど、そんなキャッチコピーで「どや顔」でアピールしても、おつりがくるくらいの、内容も、ある。それがすべてじゃないけど。

この日の演奏会に挟まれたチラシの一枚が、まさにその辺の混迷の余韻を物語っていた。

オール20世紀以降の作曲作品でのプログラムで、新作初演を含む弦楽四重奏の演奏会。プログラムの一曲目がS.ライヒの「デファレント・トレインズ」

おおおおおおお!!!なんってセンスのいい選曲なんだ!すばらしい。
つべのリンクはっとく

https://www.youtube.com/watch?v=DY014O_sWkE

https://www.youtube.com/watch?v=RaYvMwQd3cs

これも貼っておく。6台のマリンバライヒいいよね。

そして、続くのはリゲティのSQ1番。

https://www.youtube.com/watch?v=UYiec4ajEMU

これね。ライヒリゲティですよ。わかってるじゃん。みたいな

ニコニコしてきつつ、そして次は!

https://www.youtube.com/watch?v=36fPvCBYXL8

シュニトケですよ。閉鎖されたソビエト連邦にのなかで他国の音楽が禁止されていたような環境にあって、西側(この言葉のニュアンス!)の音楽は、まさに、未聴感の弾丸だったにちがいない、ロックも後期ロマン派もタンゴもサンバも、シュニトケにとってはもしかしたら等距離くらいに遠い、異国の民族音楽だったのかもしれない、みたいなことを解説したくなる作曲なんだが、ライヒリゲティシュニトケ。非常に興味深い意志のあるプログラミングだ。おすすめですこの演奏会!

あ。でもさ、ここまで全部、ネットで視聴できんじゃん。

プログラムの最後は、若い(基準は現在48歳の俺とくらべて。おおお18歳下だ)作曲家の新作初演。

20世紀以降の作品を取りそろえたプログラムとしてはオーソドックスなんじゃない?ちがうか?

さて。

そのチラシに書いているタイトルは「第一回 絶頂」
うーむ。おれはそのセンス微妙だ。

手に取ったひとが直感的にわかんないじゃん。これフォントもデザインも同じでいいので「絶頂 弦楽四重奏 第一回演奏会」じゃだめなのか。

それからチラシに写ってるのが二人の男性。ひとりが楽器のケースを開けた状態でもっていて、もう一人が楽器。メンバー全員写せよ。弦楽四重奏の演奏会なんでしょ?わかんないよ。

中央にうつってるのは、力士像。タイトルは第1回「絶頂」。ねらってはずしてるけどセンスない。みたいな感じに自分はおもってしまう。チラシの裏側をみれば、演奏家のプロフィールがわりと通常の長い分量で。○○に師事。〇○卒業、〇○コンクール入賞が。だだだだだっと書いてる。

表が「絶頂」と力士像だったら、裏これはねーじゃん、っておもう。

いや、わかりやすければいいっていうもんじゃないけど、このチラシをめぐセンスその他が醸し出す雰囲気に、独りよがりの自己満足を、俺は感じて勿体なく、また、こうしたチラシに出会ったのが、自分がどんな場所でどんなタイミングだったかが、すごく象徴的で。

司会はクラシック好きのよしもとの芸人さん。ちょっと緋国民楽派の演奏会のこととはなれてきたけど、つづける。

おれなら、さっきも言ったけど、フォントもデザインも同じでいいので「絶頂 弦楽四重奏 第一回演奏会」にする。力士像一緒にうつしてもいいけど、センターははずす。演奏会にかかわるひと?をチラシの写真のメインに力士像一緒に写してもいいけど、弦楽四重奏のメンバーは全員うつってもらう。それで裏の顔写真はカット。

裏のプロフィールはすべて数行程度に絞る。
1stヴァイオリン 第2回仙台国際音楽コンクール審査員特別賞。2015年に演奏したコンチェルトは全世界に中継され絶賛を博す。
2ndヴァイオリン コンクール入賞多数、ソリストストとしてオーケストラと共演多数。現在、読売日本交響楽団首席。
ヴィオラ コンクール入賞多数。現在仙台フィルハーモニー管弦楽団ヴィオラ副主席。
チェロ コンクール入賞多数。国内の様々なオーケストラの客演首席奏者を務めつつ、現在仙台フィルハーモニー管弦楽団チェロ首席。
程度で。

公演概要とプログラムとチケットについてでっかくかく。

そうそう、現在配布されているチラシにはこんなことも書いてある。

「チケットは〇○もしくは□□まで、直接予約のみとさせていただきます。」

のみ?って書いてありながらチケット金額の設定が前売りと当日の二種類あるのも、ちょっとわからない。当日券あるのに、予約しなければならないってこと?

このあたりの説明不足感も、デザインのユニークさの印象を悪くしてるとおもう。

そして、言及したいのが、企画者による口上。以下引用

「 現代音楽は難しい。コンサートに足を運び、プログラムに書かれた作曲家のよく分からない解説文を流し見し、曲が始まると不協和音が演奏される。静寂が訪れ、展開が変わったかと思うとまたもや不況和音が続く。演奏家達はノリノリで演奏しているが、楽譜を見ていない私たちにとっては曲が終わるのを待つ修行でしかない。演奏が終わった。残念、フェイクだ。もう1分ほど演奏してやっと終わった。もう現代音楽は聞きたくない。皆さんもそのような経験とかがあるのではないだろうか?
 このようにして現代音楽は人々から嫌われクラシック音楽に演奏される機会を奪われていった。なんて勿体ないんだ。現代音楽ほど創造的で、音楽の聴き方を広げる音楽はない。現代音楽の魅力を伝えるために、仙台在住の作曲家 大久保雅基とヴィオラ奏者 飯野和英は立ち上がりコンサート・シリーズ「絶頂」を企画した。このコンサートでは、単なる音楽体験にとどまらない、体からこみあげる絶頂をお届けする。今回は弦楽四重奏をテーマに選曲し、近現代の名曲と大久保による新作を演奏する。」

いわんとしてることはわからないでもない。

しかし、だ。

「このようにして現代音楽は人々から嫌われクラシック音楽に演奏される機会を奪われていった。なんて勿体無いんだ。現代音楽ほど創造的で、音楽の聴き方を広げる音楽はない。」

ここに、プロ意識をもってこの文章を書いたとすれば、それはちょっと問題なのではないか、と思うくらいの、意図的だろうとは決して思えない飛躍がある。「魚に火を通さないで食するなんて、とんでもない!しかしなんて勿体無いんだ。寿司ほどおいしものはない。」って言っているような文章だ。

致命的なのは、現代音楽の問題点を指摘しているのが、まさに同じ問題点を指摘されるような足場から書いていることだ。つまりわかる人にはわかる文章でしかない。この演奏会が届いてほしい、と、おそらくおもっている人々に対してどこまでも上から目線だ。だいたい「楽譜を見ていない私達にとって」って、誰のことだよ。楽譜をみればある程度わかる人たちのことかよ。これは、そういう人たちに向けた、会員制クラブみたいな、演奏会なのですかね。楽譜をみようが、楽譜をみまいが、音楽はそこにあるわけで。楽譜を読めるひとだけが聴衆ではないはずだ。ちがう?いったいこの文章はだれを向いているのか。

狭い。意識も狭いし、見えてる世界も狭い。

「現代音楽がクラシック音楽に演奏する機会を奪われた?」なにをおめでたいことをいってるんだ、お坊ちゃんお嬢ちゃんたちは。俺が中学生の息子に、「いまって、どんな音楽流行ってるの?」ときけば、息子の答えは「音楽が流行ってないよ。音楽そのものが流行ってない。」である。ここで半分衝撃が来てほしい。ニュアンスがつたわってほしい。そして俺と息子の次のやりとりに注目してほしい。俺「じゃ、何が流行ってるの?」、息子「動画とか」。

ここで残りの衝撃を感じることができるのであれば、話題を進められる。問題を共有できる。つまり、クラシック音楽も現代音楽もポップス音楽も、「動画とか」に、存在そのものを奪われ始めているのである。そして、仙台フィルの定期も、アニメ「君の名は」の主題歌を担当したRADWIMPSも、芥川作曲賞も、危機意識として共通するものとして、存在そのものを奪われるかもしれないと、物事をみることも、同時にできないのであれば、「音楽そのものが流行っていない」という中学生に対して、クラシック音楽が、現代音楽が、ポップスが、なにになにを奪われるとか、夫婦げんかの痴話げんかみたいなものでしかないのか、と。

現代音楽が難しいのであればJ.S.バッハや、ベートーヴェンは難しくないのか。簡単なのか。聞きなれればわかってくる、ということであれば、50歩100歩とは言わないまでも、20歩100歩じゃないのか。映画のアマデウスは、サリエリが登場したのが見応えのしかけだ。サリエリの曲、みんな口ずさめるのか。20世紀に作曲された芸術音楽の大部分はサリエリ化すらしないだろう。サリエリ化すらしないものを、十把一絡げにしてもう聞きたくないとは暴論ではないのか。もうサリエリなんて聞きたくない。いいよ聞かなくて。なんて勿体無いんだ。モーツァルトほど天衣無縫で、音楽の根本の魅力を備えている音楽はない。みたいな論理展開に思う。上記に引用した口上は。

 俺なら上記に引用した口上を以下のように書き直す。

「 クラシック音楽は20世紀に入ってどうなったのかというと、現代音楽といわれて、作曲家がそれまでの表現方法を更新することに腐心するあまり、聴衆との関係において、どんどん、どんどん、聴衆から作曲家の意識や作曲作品が遠ざかっていった時代だった、そういう側面は確実にあったとはいえないか。確かに19世紀末から20世紀初頭にかけての、クラシック音楽の爛熟ぶりは、本当にいきつくところまでいって、いったいどうなってしまうのか、と、(現代音楽というひとつの状態を、過去のものとして、知った今でも)その歴史を追うと、胸がドキドキしてくる。
  さて、20世紀のクラシック音楽を先祖とする現代音楽は、とうとう一切音を出さない作品や、雑音だけでできた作品というものも、生み出した。しかし、(クラシック)音楽の歴史において、先人の(劣化コピー程度でしかない)模倣ではない、という点もふまえつつ、方法論の袋小路に陥ることもない、ぎりぎりの、名曲も、実は、思っているよりずっと豊穣に存在する。
  21世紀はもう、現代音楽であることを言い訳につべこべ言う時代ではない。まず、今日の演奏会の音に耳を傾けてほしい。そしてステージそのものを、その目でみて、体全体で、感じ取ってほしい。このコンサートは21世紀が再び音楽を聴衆のもとに取りもどす時代でもあることに祈もこめつつ、体からこみあげる衝動にフォーカスする。“絶頂”は、その一つのあらわれである。」

 さて、緋国民楽派、仙台公演。

プログラム中、一番、こころが「ああああ!!!」となったのは、後半の最初のコーナー、「ファンファーレ」である。緋国民楽派の三人の作曲家による数十秒、1分にならないくらいのファンファーレから後半がスタートした。

吉川先生のファンファーレには、吉川先生の作曲家としてのとびぬけた資質と、吉川先生にしか立てない立ち位置とをすべて凝縮したようなファンファーレだった。一番ファンファーレらしい、あかるく輝かしいファンファーレなんだけど、ちゃんと吉川先生にしかかけない吉川先生の曲だった。胸がしめつけられた。自分は、自分にとっては一気になにかが「ユリイカ!」

国民楽派の吉川先生以外のお二人も、緋国民楽派の作品演奏会全体のテイストがそうであるように、コンテンポラリーな作曲であることの前衛性や実験性、そういったものを背負わされる空気圧からは遠かったり自由であったりするだろうと自分は感じてるんだけど、けど、吉川先生がああも直球なファンファーレを書くと、ほかのお二人がファンファーレと聞いてファンファーレらしからぬ曲をかかなければみたいな呪縛の、根深さを、逆に強調されたように感じてしまう。

国民楽派としても活動している作曲家の吉川和夫氏は、自分にとっては大学時代の恩師である。だから吉川先生と呼ぶ。出会いからもう20年以上になる。間宮芳生門下の秘蔵っ子として非常に実力のある若手作曲家として、宮城教育大学に迎えられたときは、自分は大学の4年生だった。吉川先生はまだ30代の後半という若さであった。自分は吉川先生に「宮教大からすぐにいなくならないでください」と強烈にいった。吉川先生もそのことを覚えててくださり、時折話題にだして、思い出してくれる。

自分には東北の田舎に生まれ、東京都内の大学を受験するも不合格になるなど、田舎者としてのコンプレックスの根は深い人生だ。東北新幹線の上りの最初の終点の駅が大宮駅だったことは、いまだに少年時の強烈な記憶で、それはつまり、直接は乗り入れるな、ってことですか、と屈折した受け取りがある。

吉川先生のような若手で実力のある人が大学教官として、自分の学ぶ大学に赴任するのはとても喜ばしいことだ。しかし、そういう実力者が、実力者であるがゆえに、教育大学ではなく、音楽大学とか、芸術大学に、今後、呼ばれていってしまう、そういうのは、自分はほんとうに、たまらなかった。前述の理由で。

自分のそのたまらなさとは、おそらく全く関係がなく、吉川先生は、ずーっと宮城教育大学で教鞭をとりながら、作曲家としても一線で活躍されている。

吉川先生は、一時期、吉松隆とともに論じられがちだったこともある、とご本人と話題にしたこともある。演奏会場で吉松氏と、吉川先生は、あうと、あいさつを交わす間柄だったとも、聞く。なぜ吉川先生と、吉松隆吉松隆は、前述の現代音楽に対して、「反現代音楽」ということを標榜に挙げる邦人唯一無二の作曲家である。

これに対し、吉川先生の立ち位置を、本人の言葉から、今一度引用したい。

 吉川先生は1980年代に出版された、'83音楽の友・音楽芸術別冊「日本の作曲家」の石田一志が執筆した吉川和夫の項目の記事で、「<前衛>だから正当的な現代音楽、<調性>だから非<前衛>で大時代的、とりあえずもういい加減に、こういう馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう。歴史に寄与するために作曲するのではない。言いたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要かを大命題としよう」という発言が紹介されている。

 このことについて自分はかつて、以下のように書いた。
【1980年代、現代音楽というのは、19世紀までの作曲の方法論をいかに更新するのか、それがまず前提に色濃くあったとおもう。それこそ、「もういい加減にしましょう、」と言いたいくらい、の空気感があったのではなかったか。現代音楽の文脈で、もしくは、その関わりを背景としながら、はっきりと調性を方法論の中心に据えて作曲していた人は、「反現代音楽」を標榜に掲げる吉松隆くらいしか思い当たらない。多くの現代音楽の作曲家は無調をはじめ19世紀とは袂をいかにして分かつようにしているか、な20世紀の方法論を模索しながら作曲行為に向き合っていたと自分は考える。新しい旋法のシステムを編み出したり、偶然性や、具体音、ノイズ、を導入したり、図形楽譜を採用したりなど。もちろん調性で音楽を書くことはあっても、それは商業ベースからの要請としてであって、そこと、自分のメインとなる実験性、前衛性は、きっぱりと分かれていることが時代の趨勢であったと実感している。

 そういう時代の空気を背景として「馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう」という当たり前のことを、きっぱりといえるのは、なんというか、逆に外連味を感じるほどの鮮烈さだった。

 調性は汎用性がありとても便利なシステムである。しかし、作曲家が未聴感を求めるなら、調性というシステムは使い尽くされており、選びづらい。】

 吉川先生のファンファーレを聴いて、ある意味ますます吉川先生について、確信し、そして、自分の物事のとらえが、ずーっと浅いことを思いしらされる。

 吉川先生がそういうひとではなく、ファンファーレもそういう曲ではなかったけれど、という書き出しから始まる話をしたい。

20世紀という時代があって、現代音楽と呼ばれるスタイルがあったとき、吉川先生の「いいたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要か」ということで、吉川先生は書き続けた。

 それは、野球の試合において投手がほぼ100パーセント変化球しか投げない状況で(そんな時代が未来にきてしまうことをSF的に予想してみて、という仮定の話で)、変化球に織り交ぜて、直球を投げる投手がいるようなものだ。

 投手が変化球しか投げない時代に、直球勝負できる投手がいたとしたら、その投手がそういうひとではなく、その直球になんの性格の悪さもないのだけれど、結果的に、その存在が「みんなコントロールがわるいんだよ」といっているようにも見えるかもしれない。

 もう一度、文の書き出しを改めて繰り返して述べると、吉川先生がそういうひとではなく、ファンファーレもそういう曲ではなかったけれど、「いいたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要か」ということを誰よりも重心をおいて、ぶれずに来た吉川先生の書く曲は、いわゆる現代音楽の総体を向こうに回して全員に「未聴感とかって何?結局みんな、耳がわるいんじゃないの?」といっているようにも見える。

 そんな吉川先生は、「反現代音楽」とわざわざいう必要もない。

国民楽派の仙台公演の中で、吉川先生の曲を聴いていて思ったことは、そういう音、そういうスタイルの部分も曲調のひとつとして、それなりな割合、重心をしめているのに、そういう書き方をすれば、聞く側に媚びるようなことになりがちなのに、よく吉川先生は、久石譲にもならず、坂本龍一にもなっていないな。と。自分が中学校で吹奏楽の指導や指揮や吹奏楽コンクールに携わっている立場からいえば、福島弘和にもならないし、八木澤にも樽谷にも当然ならない。何かとってもバランスが難しく綱渡りみたいなところを、冷静と情熱の両方を手にもって、すーっとすすんでいく。ど真ん中の直球を、コントロールさえ完璧なら、変化球はいらない、といわんばかりに投げるごとく。

代筆事件で一躍名がしられた作曲家の新垣隆さんは「歴史の延長線上で勝負できる作曲をしたい」といったことをインタビューか何かにこたえていっていた気がする。これと、先の吉川先生の「歴史に寄与するために作曲するのではない」ということと対立するのだろうか。

吉川先生が作曲家としてほんとうに言いたいことのためにどんな音が、どんなスタイルが必要か、ということと、これ以上ないほど正面から取り組んだ結果、吉川先生の曲は、商業音楽風であることにその傾向を感じがちになる聴衆への聴きやすさや、喚起させられる抒情に奉仕してしまうような、といったニュアンスをいってしまいたくなる妥協などとは、きちっと一線を画し、結果吉川先生の曲も、本人にその意識があるかどうかは、いったんおいておいて、歴史の延長線上でも勝負できる曲を書いていると、自分は考える。

 演奏会場で吉川先生の作曲作品が収められているCDを購入することができた。演奏会以降、毎日聞いている。ここのところ、自家用車で聞く音楽がなかったので。というか、自分は中学校の音楽の教員だか、音楽にかかわる職業にあるひとは、おしなべて、趣味や興味で音楽を聴く状態、時間の作り方は難しくなる時も、少なくないのではないか。

 吉川先生のCDをここの所毎日聴きながら思うのは、耳が洗われてくるような感覚である。バロックから近現代にいたるまでの音の使われかた、スタイルはもちろんのこと、日本の伝統音楽、諸民族の音楽、ジャズ、ポップスといったものまで、吉川先生の幅広い音楽体験音楽経験から、作曲家の言葉どおり、作曲家が言いたいことを言うために、音やスタイルの外枠がまず選ばれる。そして外枠は外枠そして、そこには吉川先生でしかない、魂が、だるまのめが入れられるように、入ってくる。結果、ふしぎな未聴感に満ちた作品集がそこにある。本人はもしかしたら「未聴感」って何?と思っているかもしれないにかかわらず。

 邦人の作曲家であるけれど、そこに邦楽が使われるときですら、選ばれる音やスタイルのひとつでしかないようなクールさもある。このことについて、CD「竹田惠子 オペラひとりぼっち にごりえ 作曲:吉川和夫」のブックレットに掲載された、音楽評論家の池田逸子氏による解説から以下引用する。

 「 「初めて文楽を見たときの衝撃は今も忘れられない」と吉川和夫は記している。「緩・中庸・急、さまざまなスピードで語られ、うたわれることで変幻自在に、しかも強烈なリアリティをもって息づきながら迫ってくる日本語。言いたいこと、言わずにはいられないことを力づくでも言いきってしまう感情の表出。そしてそのために仕掛けられた綿密な計算」(吉川和夫/オペラ「金壺親父恋逢引」初演プログラム、1981年)。また、国立劇場雅楽を研修して演奏団体「東京楽所」に所属し、武満徹一柳慧、石井眞木らの新作雅楽の初演にも参加した。それらの貴重な音楽経験で習得したことは、師・間宮芳生から学んだことも含めて、列島の南(沖縄)から北(アイヌ)まで、さらにはジャズ、アフリカ、アメリカ大陸先住民などの音楽にまで関心を広げて、吉川和夫の諸作品(器楽曲、声楽曲を問わず)にさまざまな形で投影されている。 」

 吉川先生に先行する日本の伝統音楽にもとづいた作曲作品は、上記の引用に登場する作曲家たちによっても書かれているが、吉川先生のそれは、自国の、自分の文化の、伝統音楽であるにかかわらず、他の作曲家よりも、さらに、一定の距離感があるように思う。それは自分の作曲する作品に、説得力を持たせるための、方法論として、でもあるかもしれないし、そもそも日本の伝統音楽は、明治維新以後、ドレミファソラシドが輸入され義務教育の音楽教育もドレミファソラシドが今現在もベースとなっていることから、自国の伝統音楽自体が、地理的なことによってではなく歴史的に分断された向こう側にあるという面も、濃いという、現状のリアリティーに即して、かもしれない。
 
 その結果、たとえ自国の伝統音楽にもとづき、素材として作曲しても、自国の民謡や民族音楽の音楽語法、形式を重視した楽派が国民楽派と呼ばれるような、それとは、まるで違う。

 あ。