東北吹奏楽指導者講習会に参加してきた。ヤマハデモンストレーションバンドのことを書きたい。

二日間にわたって開催された講習会の二日目に作曲家・指揮者の保科洋氏を講師にお迎えし、音楽料理法という講座で、モデルバンドを担当したのがヤマハデモンストレーションバンドである。

 パンフレットの紹介によれば、このバンドは東北在住の専門家で編成された吹奏楽団で、メンバーは普段はプレイヤーとして、また指導者として東北6県を中心に活動。誤解を恐れずざっくりいえば、普段東北6県の学校の吹奏楽部に講習会などを通して指導したりする、ヤマハの講師の先生方による吹奏楽団である。

 講師の保科氏が講習の折々に心から染みでるようなことばとして「いやあ、すばらしい」と発しながら、講習は、進んでいった。そのすばらしさに、保科氏自身が、興奮しているようにも、思えた。

 なにがすばらしいというのかというと、このヤマハデモンストレーションバンドが、である。客席で講習を聴いててそう思った。講習でフレーズを紹介しながら聞こえてくるサウンドが、「シエナ?」と思うような音が聞こえてくるのである。冗談でもお世辞でもなく。

 そして保科氏の要求に自由自在に応えて講習は展開していった。保科氏はうれしくてたまらないだろう。

 プロの先生方が集まってるんだから当たり前といえば当たり前であるが、あたりまえのレヴェルをきちっと出す、ってことの大事さ、とすばらしさを実感させられるものだった。

 自分が中学生だったのは昭和57年から59年、吹奏楽の編曲ものとして定番であるワーグナーの「エルザ」に出会ったのも、中学校の吹奏楽部で。

 どうしてもレコード(CD以前の時代だった)がほしくてフェネル指揮の佼正WOのを買ったけど、なんだかがっかりしたことを思い出した。当時先輩につれられて定期演奏会を聴きに行った仙台一高の方が上手なんじゃないか、とおもったりもした。もちろん生とレコードは違うし、当時吹奏楽のレコードに出せる予算や録音技術の問題とかもあったのかもしれないなあ、と思う。

 今日聴いたヤマハデモンストレーションバンドは、自分がレコードで聴いた昭和の佼成より、ずっと熟成された響きがした気がした。

 そんなの当たり前なんだけど、アマチュアの一般バンドよりうまい。自分の記憶にある全国大会に出場を重ねている名取交響吹奏楽団よりも、あたりまえだけどプロの音がする。普門館できいた淀工より。多賀城文化センターで聴いた大滝先生指揮の埼玉栄もすごくすばらしかったけど、高校生とプロの音は、音楽は、やはり違う。精華とかCDだしたり演奏会すれば満員になったりするだろう。まあ高校の吹奏楽が演奏会やってお客さんがたくさんくるとかは、事情や状況がちがうだろうけど、それにしてもこのヤマハデモンストレーションバンドがどれほどの演奏をするのかって全国の吹奏楽に携わるひとはいったいどれだけ知っているのか。ヤマハ浜松よりうまい、っていったら気になりませんか。いや自分の記憶だけど、ちゃんと比べてみたい。でもまあ、あたりまえっちゃあたりまえではある。プロの先生方が集まっているのだから。

 いや、「ヤマハの講師の先生が集まって吹奏楽のデモ演奏するんだって、」って言葉でいったら凄い軽い気がするくらい、ヤマハデモンストレーションバンドからは、プロフェッショナルな音がしていた。このことは自分声を大きくしていいたい。バンド名も変更してほしい。ウインドオーケストラか、ウインドアンサンブルか。

 このデモンストレーションバンドの熟成は平成以降20数年の日本のクラシック音楽グローバル化の一つの成果にも思う。このことはまた後日じっくり書きたい。

 講習後、二日間の講習の締めくくりとして、このヤマハデモンストレーションバンドによるコンサートが行われた。曲目に「エルザ」と「アルメニアンダンスパート1」がある。自分は期待に胸が膨らむ。「エルザ」は2年前の金聖響指揮で佼成の演奏が記憶にあるし、「アルメニアンダンスパート1」はやはりこれはでも10年くらい前になるかなあ、金聖響指揮のシエナの演奏が記憶にある。

 常設の吹奏楽団ではなく、普段はどちらかというとソリストとして活動することも多い、時期限定の吹奏楽団ということも、あるし、たった数回のリハーサルでこれほどプロフェッショナルな「エルザ」と「アルメニアンダンス」を聞けたことは幸せだった。

 しかし、同時に思ったのは、金聖響のすごさ、シエナのすごさ、今の佼成のすごさである。

 それは世界一流の競技の世界選手権の0コンマ以下何秒のタッチの差、みたいな、プロとプロがしのぎを削るような、差になぞらえることができるかもしれない。

 指揮者の小林研一郎氏の言葉に「プロとアマチュアの違いは、アインザッツの0.2秒にある」というのがある。

 「エルザ」にしても「アルメニアンダンス」にしても、金聖響はプロ中のプロだったなあ、とあらためて驚嘆させられた。

 保科先生がそうではなかったという話ではない。それでも、金聖響は凄いと、俺はおもうし、こういうことは、俺の中では重要なんである。こういうことをいうと、デモンストレーションバンドの方は気分を悪くされるだろうか、顔をしかめるような気分になるだろうか。常設で活動してる常任指揮者もいるバンドと、時期活動のバンドとを、同列に語るな、ということなんだろうか。

 エルザの、出だし。そして、46小節のフレーズの終わり。自分もそこはアゴーギクに手をだしたくなる。具体的にはテヌートをつけたくなる。明確にテンポをゆっくりしたくなる。保科先生ははっきりとした音楽的主張でその部分のフレーズを処理していた。バンドも見事にそれに応えていた。それは指揮者とバンドの関係としてはこれ以上ない幸福なパートナーシップだったとおもう。でも、金聖響のとある日のエルザは、そこは、インテンポだった。そしてとってもよかった。自分はその、インテンポで、とってもよくというか、感動させられる音楽の解釈と運びと演奏に、逆に衝撃を受けていたので、それははっきりとおぼえている。いま気になって佐渡裕シエナのCDのエルザのCDも聴いてみている。思ったほどやっていない。今日聴いたヤマハデモンストレーションバンドと保科先生がみている音楽的風景とは違ったものがみえているかもしれないことを思っている。どっちがいい、とかの話とはまた別として。

 そしてとある日の金聖響アルメニアンダンスの冒頭、アインザッツをだしていない(ように)みえた。凄い衝撃的な冒頭だった。保科先生曰くの、バウンド分割のもっとも激辛な表現ではないか。そして、その日の金は、シエナアルメニアンダンスパート1のラストに向かって、プロも足並みを乱すほどのテンポのつっこみを見せていた。シロフォンが途中で頭拍を取り直すほど。その頭拍の取り直しにも、プロ中のプロの技を見せた気がした。ものすごい、おっとっとっとであったし、それでも微細にしか乱れないアンサンブルは、もはやそういう演出であるようにも思える。

 俺は保科先生のエルザは、後半アゴーギクをいじりすぎな気がする。あれだけ指揮者が要求して、あれだけバンドが応えるのは、それはそれは幸福な指揮者とバンドのパートナーシップなんでしょうけれど。

 俺は、保科先生の講習で一番心に止めなければならなのは「何回もいいますが、なにが正解というのはないんです」だと思う。

 ネットにあがっているピアニスト横山幸雄ショパンのバラード3番のウエブ公開レッスン的な動画で(検索するとでてきます)「そこは、アゴーギクをいじることに頼らないで」っていう助言がでてくる。俺は納得ををする。

 しかし自分がいま世界でもっとも表現力のあるピアニストだと思う河村尚子のCDを聴くに彼女のバラード3番はアゴーギクを動かしながらとっているように聞こえる。それが彼女のインテンポなのかもしれないと思いつつ。これは表面だけまねしてはだめだな、とかいろいろ思う。そして、名演は名演なんである。ショパンの演奏、舟歌にしても、河村とピーターゼルキンを比べて聴くと、もうなにが正解なのかわからなくなる。

 ヤマハデモンストレーションバンドのプロフィールに指揮者として誰を迎えているか、どんな方の指導を受けているか、その方々の氏名が掲載されていた。それはこれまでの吹奏楽の発展の歴史に敬意を表したような、ラインナップに思った。

 ヤマハデモンストレーションバンドのこれからを思うとき、指揮者を新しく迎えていいとおもう。そしてそれは若い世代こそ必要だとおもう。それからヤマハデモンストレーションバンドの実力を考えたとき、それこそ、金聖響佐渡裕、山下一史、下野竜也、大井剛史、といった日本の吹奏楽の可能性と、意義に理解のある指揮者に片っ端から声をかけて、正規のギャランティー関係なく、このバンドの可能性と意義を理解し、スケジュールをあけられる指揮者をよぶべきに思う。もう、今後はそういう領域をめざすべきだとおもう。もうすこし現実的な人選を、というなら仙台ジュニアオケを振っている小森康弘。現実的ではないけど、意義は理解してくれるだろう、イタリア在住の指揮・作曲家、杉山洋一。そしてアナリーゼ担当には、その杉山の盟友、新垣隆

 保科先生すばらしい!今日よかったね!がゴールでもないし、到達点ではないし、さらに生意気いうなら今後も保科先生是非、でもないとおもう。保科先生から受け取ったバトンを、どう次世代に渡していくか、ではないでしょうか。ヤマハデモンストレーションバンドをお世話しているお偉いラインナップの方々についても。

 勝手なこといいました。でも是非いいたくなっていいました。凄くよかったです、ヤマハデモンストレーションバンド。あと繰り返しいうけど、やっぱり、名前変えた方がいいとおもう。