仙台フィルの演奏会に足を運んでて思うこと

1 あの人はだれ?

 演奏会当日配布される曲目解説とかが載っているパンフレットには楽団員名簿は掲載されているが、その演奏会で演奏しているひとと当然だが一致しない。しかし自分はここでこの「当然」に疑問を呈してみたい。自分はなぜ当然だとおもっているのか。それは年間スケジュールが決まっている定期であれほど印刷も製本もきれいなパンフレットの校了は演奏会で誰が演奏するか(特にエキストラを誰にするか)といったことの決定よりきっと前になるのだろうとおもうからである。

 しかし、だ。

 例えばこないだの第286回のオールバレエ音楽の定期にしたってフランスものをやるにしたってハープは重要で時にはソロだってやるにもかかわらずしかしハープは楽団員名簿には見当たらない。

 定期でドビュッシーの「夜想曲」を取り上げた会。演奏はすばらしく近代フランスものでのオーケストラの響きを十二分に堪能できた幸せな夕べだったが、演奏後指揮者のヴェロさんが舞台に呼び寄せた男の人がいたが、あの人は誰だったのか。

 まあ合唱団を指導したひとだとおもうな、というのはそういう予想ができる情報を知っていたりするからであって、「今年度から転勤に伴って仙台に来ました。まえからクラシックに興味があってCDを買ったりテレビ番組を見たりして愉しんではいたのですがなんと仙台には仙台を拠点とするプロオーケストラがあるのではじめて演奏会に足を運んでみました。生のオーケストラを聴くのは中学校の時の体育館での音楽鑑賞教室以来です。自分はクラシック音楽が好きなほうだとおもうのですがなかなか演奏会を聞くまでにはいたらなくて。今回はじめてで大変楽しみにしています。うちの人はあまり興味がないみたいですが、こんど誘ってみたいとおもいます。」というライトなクラシックファンには分からないことが多すぎる、とまでは、運営面の努力でだいぶなくなったと思うが、しかし、まだ「知ってる人は知っている、それはわざわざ公開されるものではない」というのがチョビチョビ残っていて、ライトなクラシックファンを取り込みきれず、残券につながっている、ということはないだろうか。穿ちすぎですか、これ。おれ。

 もはや時代は1980年代ではないので、パソコンだってプリンターだってこんなに安価で使いやすくなったので白黒のチラシを1000枚刷るといったことのコストは本当にかからなくなったとおもう。この数十年で。1990年代初頭のパソコン雑誌で「年賀状印刷は実用的か」という特集が組まれていたことは記憶にある。印刷時間とコストの面で。しかしいまや年賀状を自宅でパソコンとプリンタを使って印刷することに、実用的かどうかの疑問を挟む者はだれもいない。コンビニで普通に「インクジェット用年賀はがき」が売られる時代になった。

 仙台フィル定期演奏会で配られるパンフレットのフォーマットは宮城フィル時代から変わってないように思う。

 パンフレットに当日のエキストラが誰なのかの掲載が現実的な問題として無理ならば、白黒別刷りのパソコンで作ったB5のプリントを一枚はさむとかはどうなのか。慣習としてそういうことはしないもんですよなのか。その「しないものなんですよ」にどんな意味があるのか。あえて言いたい。たとえばハープとか大活躍じゃないですか曲目によっては。

 ハープじゃなくてもコンサートマスターがゲストで来てるとき、それは誰なのか。わかるひとがわかってロビーでトークすればいいのか。

 別刷りのプリントを1600枚も用意せずとも、時たまピアノのソロの演奏会などで見かける「本日のアンコール曲目」が終演後に掲示物によってしらされるように、「本日のゲスト奏者」が知らされてもいいのではないか。

 自分は顧問をする吹奏楽部の生徒を引率して定期に連れて行くこともあるし、生徒分のチケットを自分のとは別にオープン会員(学生券)にしているが、Z席やA席の前列では指揮者が曲中のソリストを起立させ紹介しても見えないしだれだかわからない。A席の後列ではオペラグラスが必要である。

 「本日のゲスト奏者」「本日のエキストラ」「本日の曲中のソロ」が何らかの形で聴衆に知らされるならそれはそれで、意義があるのではないのだろうか。またそうしていない慣習があるとしたら、改めてそれはなぜなのか。

 仮に、そうして今よりも少しは、エキストラが、どんな形であれ知らされるのであれば、そして例えばエキストラが県内在住や東北の近隣から来ているのであれば、自分がそのエキストラの家族や知り合いだったら、チケットを買って演奏会を聞きにいこうという思いは増す。あるいはオープン会員になろうか、定期会員になろうか、という思いが。
 エキストラは基本ノンクレジットという文化(あるいは美学)に、どんな意味があるのか。しつこいけど繰り返し書いておく。

 日本のプロ野球の球団は年間144試合を行い地元の楽天イーグルスは1試合平均で1万5000人の観客を動員している。

 試合にでる選手・スターティングメンバー、代打、代走、守備固め、投手交代が電光掲示板などによって知らされない、ということはありえない。

 もちろんプロ野球とプロオーケストラを単純には比較できない。しかし、興行の運営としてヒントになることはないだろうか、という発想は大切におもうのだが、どうだろう。



2 入団をめぐるドラマ

 プロ野球の話になった。ドラフトでどんな選手がどの球団に入るかということはニュースになる。そして例えば楽天という球団、田中という投手が楽天のエースであるということは、プロ野球のファンならずとも、多くの宮城県民の知るところであり、また田中投手の活躍を誇りに思う人は少なくない。

 プロ野球選手にいたっては誰と結婚したかまでもがニュースになる。オーケストラの団員のプライベートがそこまで明かされる必要は全くないにしても、オーケストラに誰が入団したか、ということはプロ野球に誰が入団したか、に比べると、全く話題にならない。

 「ならなくてもいいじゃないべつに」だと話は終わるので、そうではないんじゃないの、という立場から話をつづける。

 オーケストラの入団はプロ野球の入団に負けず劣らずドラマチックである。現に、世界最高峰のオーケストラの1つであるベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターに日本人の樫本大進が就任したときはニュースになった。またそのベルリンフィルの定期に指揮者として佐渡裕の起用が決まったときもニュースになりドキュメンタリー番組など特集がいくつか組まれた。

 でも、そんなものである。そのくらいである。ニュースとして扱われるのは。

 甲子園で活躍することがプロ野球への道の1つになることは周知であろう。

 しかし、吹奏楽コンクールの全国大会で金賞受賞する吹奏楽部に所属し、全国の舞台でも演奏したからといって、それだけでは、「だけ」では、プロ奏者のへ道としては、ほぼ、全く何の意味もない。

 全国規模、もしくは国際大会のソロの、コンクールで上位入賞を果たすなどの修行を経て、ようやくプロのオーケストラのオーディションを受けて恥ずかしくないレヴェルになるのだろう。

 そして入団枠の一人をめぐって何十人もがオーディションを受けにくる。

 最後まで決まらず、たった一人をめぐる所に最終二人が残って、一定の試用期間を経て一人に決定することもある。

 それも、ドラマ、である。試用期間の定期の舞台にその最終選考でも決まらなかった二人がのるのであれば、そうしたドラマの一端が聴衆にも知れることとなる。
 しかし、それも、本当に実際そうなのかどうかは、知ってるひとは知っているけど知らない人は知らないというロビートークのネタにしかなっていない。

 クラシック音楽の演奏会や雰囲気の敷居を高くしているのは、誰か、とか、自戒の念も含めて、思う。

 団のHPがあったりインターネットがこれほど普及した時代、そうした情報ツールはもっと積極的に活用されていいのではないだろうか。



3 インターネットの時代

 インターネットがこれほど普及した時代、オーケストラの団員の方もブログやツイッターなどで積極席に情報発信を試みており、凄い時代になったな、とおもう。演奏前や演奏後の心境がリアルタイムでつたわる。
 仙台フィルのHPにも楽団員紹介のページにリンクが貼られている。
 しかし仙台フィルの公式HPは見やすいとか活発だとかはいいがたい部分もある。
 公式ツイッターアカウントや公式ブログを立ちあげ積極的に活用ということもいいんじゃないだろうか。「今回の定期、もしくは○○での、ゲスト奏者(コンサートマスター)」ぐらいは少なくともHPで、ブログでツイッターでアナウンスがあってもいいとおもう。
 団員、スタッフともに、情報発信を試みている方々はそんなにも活発にツイッターやブログで積極的に発言しているので、それらを補充、深化、統合する役割がもう少し公式HPにあればな、と思う。



4 プロ野球団にはなく仙台フィルにあるもの

 東北の、特に宮城県の小学校、中学校、高校、大学で吹奏楽をする生徒、学生の多くは、仙台フィルの団員として活躍されている一流の奏者から、直接楽器のレッスンを受ける機会が、少なからずある。
 これは凄いことである。自分が宮城県の中学校で吹奏楽部に所属しトロンボーンを吹いていた昭和50年代には考えられなかったことである。
 そしてプロ野球団の選手や監督が中学校の指導者や野球部員を直接指導する機会が、吹奏楽部員が仙台フィルの団員の方から指導を受ける機会ほどあるとは、現在においても到底思えない。
 そうなのだ。昨シーズンは正指揮者の山下さんが、今シーズンは常任のヴェロさんが、指揮のレッスンをする機会も、与えてくれている。これも凄いことである。こうしたことがもっと情報として共有される、知ってるひとは知っているだけじゃない、ニュースになれば、そしてそれは大きな意味で活性化につながるのではないか。
 こんな凄いことが活性化につながりきれてない感はある。
 繰り返すがA席前列、Z席では管楽器奏者の誰がソロをやっているのか。もしくは吹いているのかが、わからない。
 だから自分は部員と一緒にいくときはA席後列を考えようとおもう。オペラグラス持参で?うーん。考えてみる。

 オーケストラの演奏会で、カメラがソロ奏者をズームアップし、スクリーンに映し出すといった試みをすることろは、あるのだろうか。ないのだろうか。