仙台フィル、もっと!〜(副題)西本さん、もっと!〜

仙台フィルの268回目の定期、初日を聴いた。曲目は以下。

チャイコフスキーバレエ音楽白鳥の湖」作品20より
P.I.Tchaikovsky:“Le lac des cygnes” Ballet Music, Op.20
ミヨー:バレエ音楽屋根の上の牛」作品58
D.Milhaud:“Le boeuf sur le toit” Ballet Music, Op.58
ストラヴィンスキーバレエ音楽春の祭典
I.Stravinsky:“Le sacre du printemps” Ballet Music

 よかった。素晴らしかった。

 まずは「白鳥湖」。ヴェロさんの作る音楽は、その音楽を奏でるために計算され尽くさなければならないこと、と、しかし表現としてアクセルを踏んでいかなけらばならないことの二つについて、高度な両立がある。まるでスコアをみせるかのような演奏、なのに、同時に、切ない。オーケストラの音色も各楽器やセクションが響きや和声の中でブレンドしながら溶けあっている、というより各楽器の音色がブレンドしながらもその楽器、セクション特有の音色も同時にクリアであった。チケット完売の客席やホールそのもの改築も良かったのだろう。程よい残響があり音は引き締まっていた。

 「牛」。ミヨーといえばスカラムーシュなのだが、オケにもスカラムーシュがあったのか!自分は聴きにいけなかったがこの前の(前の?前の前の?)定期でラプソディーインブルーとかやったときのウエストサイド凄いのりのりで超よかった凄かったという感想ががツイッターのタイムラインに多数ながれてきたが、なるほど仙フィルのこの日のミヨーを聞くに躍動するリズム・ノリはこのオケの表現力の幅を示していた。40周年を迎える仙台フィルだが各セクション・パートが世代交代を経て若々しくそしてレヴェルアップを遂げていることが分かる。てゆうか「牛」。たのしいぞ。

 「春の祭典」。自分の住む県にプロのオーケストラがあり、チケット完売の客席でストラヴィンスキーの「春の祭典」が聴けるなんて!ヴェロの棒による仙台フィルの春祭は、まさに鮮烈。冒頭のファゴットから緊張感を張りつめたような独特の(異様な)空気感を醸し出す名演であった。「春の祭典」は来年の5月で初演からちょうど100周年になる20世紀のオーケストラ作品の傑作。初演時には聴衆に受け入れられず異様なブーイングが起きるとか、その後も指揮も演奏も難しく、演奏が途中で止まった、とか、世界最高峰のオーケストラであるベルリンフィルを従え帝王と呼ばれたカラヤンもこの曲をどうやって降るのか若手の指揮者に聞いたとか、そういう曲なのである。ここで、「すごいぞ仙台フィル!」とかいうと、仙台フィルに失礼なほど、仙台フィルの個性が際立つ演奏だった。まあ、春祭ふつうにやれるのは当たり前ですよ、それで、そこからじゃあ、どんな春祭かということになる。ヴェロ×仙台フィルの春祭は、若々しく躍動感に満ち、重厚というより、粒立ちの良いアンサンブルが格子となって、スケールの大きさを表現していた。pp〜mpあたりのレンジで、テンポは中庸での、その後の山場に向かっていく緊張感の作り方がたまらなかった。自分は日本のオーケストラでの「春の祭典」というと、今はなきN響アワーで放映されたシャルル=デュトワ(さっきのカラヤンが春祭の振り方を聞きに行った指揮者は自分の記憶だとデュトワだったとおもう)指揮の1980年代後半のものが思い起こされる。VHSテープにそのテレビの放映を録画したものを擦り切れるほど聞いた。だから、自分の中の春祭というとそのデュトワN饗の作りが基準になってしまっている所はあるかもしれない。そしてだから例えばゲルギエフの指揮による春祭を聴くと「へーこういうのもあるのか」という気分になる。フランス音楽を重要な(得意な)レパートリーとする指揮者の日本のオケということで共通点はあるかもしれないが、この日の仙台フィル春の祭典は、自分の中のイメージにあるデュトワN饗のイメージを違和感なく、すーっと書き換えて、すこしちがう地平・景色にもっていった感じだった。各部を構成する表題のついたそれぞれはテンポも拍子も異なる。しかし、ことにリズムやテンポについてははっきりと曲全体の統一感が、一本筋の通ったように感じられる演奏だった。そして自分はそのことをとてもモダンなことのように思ったのである。冒頭から終わりまで、途中の弛緩をゆるさず、一気に聴くことができた。ブラヴォー!ヴェロ×仙台フィルストラヴィンスキーの「火の鳥」「ペトルーシカ」「春の祭典」をすべて青年文化センターでの定期演奏会で聴いたけど、文句なしにこの「春の祭典」が一番よかった。仙台フィルによるここまでの春祭があるならば、仙台フィルは世界レヴェルを目指すべきなのではないか、とおもってしまう。いや、もちろん目指しているとおもうから、自分はそういう姿勢も含めて本当に応援したい気分になった。前半の二曲からコンサートマスターは座席を入れ替え、後半の「春の祭典」では神谷未穂さんがコンサートマスターの席に。いやーかみみほすばらしいけど全員がかみみほじゃないじゃんとかは思ういや、コンサートマスターのもとにほぼ統率がとれており乱れない高度なアンサンブルがあったとしても、さらに、さらに上があるんあないか。ほぼかみみほではなく、もっと完全に一体化してその上になりたつソリスティックなコンミス。それはなんというか、ヴェロ×仙台フィルで「火の鳥」を聴いたとき、「弦楽器の各セクションの一番フロント(主席副主席が座るポジション)は迫力あるなあ」とおもいましたのですよ。春祭ではもはや、そういうことは思わない。オケとしての統一感をすごく感じたし、「火の鳥」の時よりもはるかに、「これぞ仙台フィルの音」を獲得してきているとおもう。たとえばラトル×BPOが何年か前のジルベスターコンサートで演奏したガーシュインキューバ序曲の、あの、演奏の純度の高さと充実感がもうこの日の仙台フィルは肉薄していたとおもう。ベルリンフィルを聴きに行く日本人のツアーがあるのなら、仙台フィルを聴きにくるドイツ人のツアーも企画されるようになってほしいっていう言い方は全然現実的ではないけれど、でも。でも。もっと、もっとですよ仙台フィル

 終演後、ヴェロさんから仙台フィルの新しいメンバーとしてクラリネットダヴィット・ヤジンスキー氏と、三宅進氏(主席)と、新しいコンサートマスターの西本幸弘氏の紹介があった。その時の会場の雰囲気も熱演を指揮者演奏者スタッフ聴衆が一緒に振り替えるようなあたたかな雰囲気でとてもよかった。

 ダヴィット氏は入団前から試用期間かなにかで定期に座っていたと思う(ちがうかな)三宅さんはヴァイオリンの小川さんとジョイントリサイタルをした方じゃないかな、あの方が主席とは心強い。

 そして新たなコンサートマスターとして西本幸弘さんを迎えた。この日が定期初登場で、自分にとっては初めて西本さんの音を聴いた。一発でファンになった。素晴らしいコンサートマスターだとおもう。西本さんと神谷さんの、コンサートマスター二人体制、長らく続いてほしい。西本さん、もっと、もっとです。もっと音楽的にも、コンサートマスターとしても遠慮なくガンガンきてほしい。もちろん遠慮はしてないとおもいますが、もっと、もっとです、西本さん。いや、でもすばらしいな。いや。いい。