聴きやすければそれでいいのか−仙台フィル 特別演奏会 日本の現代作曲家−を聴いて
感想を書き始まったらものすごく長くなって
とまらなくなったけどようやく筆が止まった。
自分より早くネットにあがった感想も
だしておく。
仙台フィル・尾高尚忠特集 - 猫三昧
2011年9月29日 ... 仙台フィル特別演奏会「日本の現代作曲家」、尾高尚忠が3曲、尾高惇忠が1曲(初演)。 片山杜秀さんの解説で、日本近代クラシック作曲家の仕事をお勉強。 3曲目までは、「 ふーん」という感じ。 でも、最後の尾高尚忠「交響曲第1番」はかなり ...
d.hatena.ne.jp/kagiraizou/20110929/1317307498 - キャッシュ
↑この記事、とても興味深かったが、現在
プライベートモードになっていて、
閲覧できないので、検索で調べてでてきたものを
コピペしておく。
そして、こちらも。
http://blog.livedoor.jp/unikijima/archives/52033298.html
さて。自分はというと。
仙台フィル 特別演奏会 日本の現代作曲家
生誕100周年没60年作曲家尾高尚忠を想うのコンサートを聴く。思ったこと。
2011年9月23日(金) 午後3時開演(午2時30分開場)
出演 指揮 :尾高 忠明
フルート :神田 寛明(N響主席)
ご案内 :片山 杜秀(思想史研究者、音楽批評家)
コンサートマスター :神谷 未穂
客演主席ビオラ :菅沼 準二
管弦楽 :仙台フィルハーモニー管弦楽団
尾高 尚忠 日本組曲
1 朝に Moderate
2 遊ぶ子ども Vivace
3 子守歌 Andante con moto
4 祭り Allegro ritmico
尾高 惇忠 交響曲「時の彼方へ」(仙台フィル委嘱新作・世界初演)
1 Lent expressif
2 Calme expressif
3 Assez Vif
尾高 尚忠 フルート小協奏曲 作品30a
1 Allegro con spirit
2 Lent
3 Molto vivace
尾高 尚忠 交響曲第1番 作品35
1 Maestoso-Allegro appassionato
2 Adagio assai sostenuto,molto espressivo-Andante con moto,ma sempre sostenuto-Adagio sostenuto
この演奏会は、歴史的意味のある演奏会である。2011年は、作曲家、指揮者として戦中、戦後に日本の楽団を牽引した尾高尚忠の生誕100年没後60年であるメモリアルイヤーとなっている。
片山 杜秀氏による本日の演奏会のパンフレットに掲載されたプログラムノートがすばらしい。以下、引用。
尚忠は戦後も指揮と作曲に八面六臂の活躍を続けた。多忙すぎた。1951年2月16日、過労のため突然死してしまった。まだ39歳だった。小さな男の子が二人居た。のちの作曲家、尾高惇忠(尚忠の祖父で仙台の近代化に貢献した人の名を受け継いでいる)と、のちの指揮者、尾高忠明である。 (引用ここまで)
自分は不覚にもこの文章にジーンときてしまった。そして、この日、プロのオーケストラによる、クオリティの高い演奏を堪能することが出来た。以上。でいいとおもう。これ以上書くことは余計なことだとおもうが、そうとわかってごたごたすすめます。
本日の演奏会は、尾高忠明の指揮で、尾高惇忠の新作初演と尾高尚忠の代表作によるオール邦人作品(オール尾高親子作品)によるプログラムとなっている。
当日は、演奏会前日の台風の影響でJRのダイヤが大幅に乱れ、岩切駅で60分待たされた。仙台駅についても台風の大雨の影響がまだあり、JRから地下鉄への連絡通路が通れなかった。岩切駅でも当初復旧の見通しがありません、とのことだったし、地下鉄も動いてなかったらどうしようとどきどきしながら、会場に開演まもなくについた。プログラムの2曲目から聴いた。
さて2曲目の新作初演。
ぜんぜん関係ない話になるがシエナや佼成の演奏会を聴きに行く観客の多くは学校の部活動や社会人のサークルで吹奏楽の演奏活動をしている人やそういうアマチュア団体の指揮・指導にあたっていて、そういう演奏経験者・吹奏楽関係者が客席を占める割合は多いとおもう。自分なども、アルフレッド・リードという作曲家のアルメニアンダンス・パートワンを聴いたときは、次にどんな楽器がどんな主旋律を奏でるか、スコアを手元におかずとも前日にCDを聞きなおしたりせずとも、大雑把ながらも追いかけることが出来た。客席にいる人間の多数が、多少なりとも(時には部分的にはものすごく細かく)演奏される楽曲のスコアが頭に入っている演奏会というのもすごいはなしだなとおもいつつ、自分はシエナや佼成の演奏会を聴くたび「全パートがプロってすごいな」なんてあたりまえのことに感動してしまう。
新作初演はそういった意味では再演を聴くように感想を述べることができない。それでも感じたことをいくつか。
まず、クラシック音楽の演奏者に作品の演奏を依頼するという作曲をする、在仙の、とくに40歳以下の作曲家、もしくは10代、20代の作曲を志す若者は仙台フィルの、この新作初演を聴くべきだとおもった。この演奏会があるとわかっていて、時間的にも経済的にも余裕があったにもかかわらず、こなかったひとは、もう作曲を志さなくていい演奏会自体を未チェックは論外。
曲は、緻密に構成されて(いるように感じた)、とくにf以上の、ダイナミックレンジの豊かさが特徴的に思った。19世紀までの音楽の歴史を踏まえたうえで、20世紀的な技法を検討しつつ、新作を書く、そういった状況にあってオーケストラをしっかり鳴らすスコアが書けるということは、作曲家として、まさにプロフェッショナルな技術だとおもう。
また、客席でこの新作初演を聴きながら、さそうあきらの漫画、「ミュジコフィリア」のことを思い起こさずにはいられなかった。
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美也子准教授「あいかわらず緻密ね……」「隙のない譜面…」
貴志野大成 「ありがとうございます」
美也子准教授「ただね―」「貴志野龍の直弟子である私から一言」
「今のままやったらお父さまのコピーロボになってまうで〜〜〜〜」
「未聴感がほしい」
貴志野大成 「未聴感―」「誰も聴いたことのない音楽―」「ですか」
「僕はそれは」「都市伝説のようなものだと思っていました」
美也子準教授「いや〜〜〜〜〜変な話やけどね」「今度入った美校の1年おるやん」
「あいつが弾いとったピアノ」「あれは未聴感やったわ―」
貴士野大成
(ふっ)
「何も知らないって」「怖いですね」
「失礼します」
美也子準教授(大成のあんな顔…)(初めて見た…)
(引用ここまで)
休憩をはさんで三曲目。
神田さんのフルートソロをライブでステージで生で聴くのは初めて。そもそもフルートを生でライブで聴くっていうと、小泉浩のオール現代プロを20年くらい前に、数年前に瀬尾和紀さん、そして今回の神田さんで三回目か(途中細かいのはそれなりに聴いてるとおもうけど)。いや、今回の尾高尚忠の交響曲第一番にしてもN響の1700回定期のプロにあったし、この小協奏曲もミュージックトゥモローの2011年のプロでどちらも地上派で放映されており今回の演奏会に先立って録画を視聴してきたが、しかし神田さんのフルートの見事さ、すばらしさは生じゃないとわからない(部分が少なからずあると思った)。横山幸雄は生で聞いても録音で聴いても、横山幸雄だし(と俺は思うんだ)、N響にも似たイメージがあって、破綻なく恙無くバランスよくみたいな、だから、こないだのN響アワーで聴いた神田さんのフルート(しかもこの演奏会と同じ曲)は、そういうバイアスがかかった耳で聴いてしまったのだなあ、と反省、というかいくら5.1chでデジタルになったからって、何千マンのオーディオがあったって、演奏会場できくライブ感は何にも代用できないものだと、強く再認識。神田さんのフルート、完璧な彫刻が、彫刻であることの約束事の禁をやぶって、躍動して動きだしてしまったかのような名演。すばらしかった。
この日の演奏会のプログラムの最終曲、交響曲第1番。指揮にもオーケストラにも音楽的に安全運転に安住しようという思想からは遠く、攻めがみられ、そしてとくに金管楽器の重厚なサウンドは、柔らかでかつ圧倒的で見事だとおもった。
アンコール。エルガーのエニグマ変奏曲より。この日の指揮の尾高氏は英国でも指揮者としてのキャリアがある。エルガーの音楽を完全に自分の物にした尾高のタクトからつむぎだされる珠玉のエルガー。曲頭のG音のロングトーンが少しずり上がるように出てきたのは(そう聞こえた)さながらサイレンのようであり、そこには鎮魂と再生の祈りを見る思いであった。
さて。断片として思ったこと。「シンバルって残響にあんな感じの音が残るものなのか」
「トニックで決めにいってるハーモニーの伸ばしの部分は、純正調で取るのか取らないのか決めてるのだろうか、決めてないのだろうか」「弦・管あわせてtuttiで弱奏になる部分の音色感は?」そういうことを断片的ながら思うのは、自分の聞き方に原因がある。
が、自分の聞き方以外の何かを探るなら、この日の客席は、空席がちらほらあったりしたことと無関係ではないとおもう。つまり「現代音楽」ということのレッテルの貼り方、貼られ方の、大きくはそういう問題である。
19世紀までのクラシック音楽を祖とする音楽のスタイルは20世紀においては現代音楽と呼ばれるひとつのジャンルとして扱われるようになった。そしてそれは実験的であったり、前衛的であったりも、した。一切音を発しない曲や、騒音だけで構成される曲、偶然性の要素が取り入れられる楽曲がスキャンダラスな取り上げられ方をするようになる。弦楽四重奏の奏者のひとりひとりがそれぞれ4台のヘリコプターに乗り込む指示のある弦楽四重奏もある。うちにCDがある。そして、そうしたことから、ある面、やむをえないとはいえ、現代音楽と呼ばれるジャンルの多くの曲には偏見がつきまとい、ベートーヴェンやブラームスやブルックナーやマーラーやチャイコフスキーのようには、取り上げられなかったし、受けいられらもしていない。
しかしあたりまえの話だが、20世紀の音楽のすべてが無音や騒音や偶然やヘリコプターなわけではない。この仙台フィルの演奏会にしたって、無音や騒音や偶然やヘリコプターは出てこない(厳密には【騒音】や【偶然】はスコアを細部まで確かめてないのでわからないものの)。むしろ後期ロマン派や印象派、近代ロシアの音楽を鑑賞するように(この、【ように】というのは、そこいらの楽曲からの影響なども想像しつつ)、鑑賞することができる、そういう流れを感じさせる楽曲である(くりかえすがここら辺りのことも、片山氏のプログラムノートに過不足のない記述がありすばらしい)。そして本日のプログラムを、連続性をまだ実感できる時代、そして、または、同時代に生きるものとして、20世紀や21世紀の音楽史・世界史の背景と照らし合わせて耳を傾けることができるところが重要だと思う。その重要さはたとえば、ラフマニノフはラフマニノフの時代を生きて、あのような傑作群を書いたことの少なくない意味、と関連する。
通称"せんくら"として親しまれている仙台クラシックフェスティバルのチケットを取ろうとしたらもはや満席売り切れごめんだったときに、この文章を自分は書きはじめた。せんくらが売り切れごめんになるなら、この演奏会も満席でなければおかしい。この演奏会が満席でない理由に、楽曲や演奏の質は、まったく無関係におもえる。
楽曲や演奏の質とまったく無関係に、満席になっていいはずの客席に空きがあることの問題を、自分はここで強調したい。それは、同時代の音楽に対する偏見である。自分はその偏見を、ある意味やむをえない、と書いた。しかし21世紀になってもう10年を過ぎた今、いつまでもやむをえない、ともいってられない。21世紀初頭であるいま、20世紀の音楽(さらに厳密を帰すなら、20.5世紀―にじゅってんごせいき―)から、本当に価値のあるものとして、再演を検討すべきもの、を吟味する、この今という時代に科せられた責任があるとおもう。
演奏ではない、この演奏会全体に、見逃しても全く差し支えないほど微々たるものではあるが、なにか、演奏会が行われそこで、新作も発表されると言うことの,緊張感を欠くことにつながる、「隙」や「ほころび」はなかっただろうか。客席で聞く、観客側の意識からも。「現代音楽か」「あーあ」みたいな。もしくは、目新しさ、奇抜さ、びっくりさを、無意識に不必要に大きな尺度にしてしまうような。それは逆の偏見ではあるが。
現代音楽に対する一般的なイメージからすると、この日のプログラムは聴きやすかったとおもう。しかし、聴きやすければそれでいいのか。目新しさ、奇抜さ、びっくりさが不必要に大きな尺度であるべきではないが、聴きやすければそれでいいわけでもない。ベートーヴェンのシンフォニーの初演に立ち会ったものは、どんな気持ちでそれを聴いたのか。
ドビュッシーにしても、ストラビンスキーにしても然り、ではないのか?
ベートーヴェンの九つのシンフォニーと32曲のピアノソナタがどのように、様式の限界を攻め込み、動かない壁を突破するように、新しい時代を切り開いたのか。ドビュッシーのピアノ曲にしても、ストラビンスキーの「春の祭典」にしても。
たとえば、ドビュッシーが切り開いた世界からさらに薄皮いちまい、ぎりぎりはがすように、世界を更新したのがメシアン
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これからクラシックを好きになるだろう若者に、音楽史が20世紀初頭でおわってしまっているかのような接し方を、クラシックを好きな大人はするべきではないと思う。クラシックへの携わり方が、より職業にちかい大人ほど、その度合いは大きいのではないか。
仙台フィルが20世紀21世紀の邦人作品を積極的に取り上げる流れを、減衰させてはならない。奏者、客席が一体となって、よい緊張感に満ちたステージがこれからも作り上げられれほしい。
NHKのBSで、9・11から10年経過する年である今年、先日、紹介されたのはスティーブ・ライヒの新作
Wtc 9/11/Mallet Quartet/Dance Patterns
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ライヒにはオーケストラ作品もある。
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