今日おもったこと。

アマゾンでレビューを、数ヶ月前?書いた。ベートーヴェン:街の歌。リンクを貼ればいいのだろうが、アマゾンって自分がログインした状態になってて、そこをリンクするのはなんとなく気が引けて、ログアウトしてリンク貼ればいいのだろうが変な記号がたくさんあるリンクはそれはそれで気分が良くない。見栄えとか。大丈夫だとか、回避する方法とかあるんだろうが、ネットのそんなスキル、「けっ」て気分。今のところっつーか今日のところ、なのか。まあ、いい。

昨年だとおもう、あれ、今年になってからか、ブルーレイハードディスクレコーダーを導入してから、クラシックの番組をやたらめったら録画するようになってしまった。録画しててBDに焼きまくってるだけ。ほとんど見返すことが無い状態によくある話なのだろうが家のものも苦笑を通り越して無視。

そんななかにあって高速ダビングなんかの最中にちょっとだけ写る映像や流れる音に感覚を刺激され、自分がやっていることをやめて注視したピアニストが二人いる。一人は中国人で、ユジャ・ワン。もうひとりは日本人で河村尚子河村尚子紀尾井ホールのリサイタルで弾いたショパンの遺作のノクターンは神憑っていた。その映像をみるまで自分は河村についての予備知識はなにもない。でもすぐさま思う。倉戸さんはたとえばこれをみて、嫉妬しないのかと(このとき彼が本当に客席にいるとは!俺はこの時点では知らない)。それは彼女の名声や実績などという瑣末なものに対してではなく、彼女がピアノによってこんなにも神に近づいたそのことに。そんなようなことに。

嫉妬しないのかというのは、さらに詳しく言うなら、ピアノ弾きならはやりソロをやってなんぼのもんじゃないのか、と思うからである。「リサイタルをやってほしい。」とは直接本人にもというか最初の会話と二回目の会話でそのことは伝えたつもりだ。それ以降は文章で書き表したつもりだ。いったい、なんのことを言ってるかわからない?アマゾンで検索してください。少しはわかるかも。リサイタルはまあいろいろ準備やらなにやら大変なので、はいはいそうですか、じゃあやりますかってなわけにはいかない。でもせめてもう少しでいいので、ソロ、ききたいです。できるならまとめて、ってそれだとリサイタルになるのか。ああ。