「弾ける」という病

物騒なタイトルですみません。ユジャ・ワンの二枚目のアルバムここ二、三日は自分にとってはいまいちに思って。ヴェルビエ音楽祭での演奏≧一枚目のアルバム>二枚目のアルバム、という感じか。

じっくりずーっと聴きこんでいると、いい演奏とはなにか、ってすごく難しくなる、という気になってくる。いい演奏とは何かなんて、きっとずっと単純であるにもかかわらず、だ。自分の中のベスト舟歌ショパン、はここ何年かはピーター・ゼルキンのCDだったのだが、河村尚子と聴き比べると、ピーター・ゼルキンはほとんど何も表現していないように、能面のような演奏に聞こえてしまう。河村尚子のCDで舟歌を聴くと、ちょっとやりすぎているところも、あるのでは、と、初めて聴いたときは思った。しかし、河村のCDは聴けば聴くほどいいのである。聞き手の心の距離の思ったよりずっと近い場所で、とても音楽的にアプローチしている。やりすぎ、というのではなく、聞き手に対して距離が近いのである。決して必要以上に距離をとることをしない。十分なだけ、迫ってくる。

河村尚子をすばらしい!とじっくり聴かない段階でいうのは、もしかして難しいのだろうか、とも思う。BSで放映されたクライスレリアーナは特に自分の心を捉えなかった。最初は。
(遺作のノクターンは、もう、初聴きのときから、鳥肌がたった!のだが……。)

繰り返す。 いい演奏とは何かなんて、きっとずっと単純である、にもかかわらず、だ。

さて、話題は変わるのだが、いわるゆるハイフィンガー奏法についてネットで調べていたら、青柳いづみこ氏のページにとても興味深い記事があったので、リンクしてみたい。

http://ondine-i.net/column/column038.html

このハイフィンガーの検索によってその記事をしり青柳氏がウエブを持っていることをしり、次の記事にも出会った。読んで不覚にも号泣してしまった。号泣は大げさかも。でも読んでる途中でぶわっと、涙があふれた。

http://ondine-i.net/column/column148.html