たとえば大盛りにするとかいう発想。

出身大学が市の施設との連携でコンサートを開催する企画がスタートしている。こないだ2回目が行われ、自分は聞きにいけなかったが、初回は聴く事ができた。

本当に素敵なコンサートだった。後輩たち(っていっていいですか。偉そうにしてごめんなさい)ならびに、先生方に心から拍手を贈った。自分が在学中に、同様の話が持ち上がったとしても、自分も含めてそういう演奏会をプログラムすることができたか、そしてあんな素敵な演奏ができたか、は、正直、自信がない。現在大学には、自分が卒業後に赴任された先生もいるが、出身大学が熟成している様子がコンサートから伺われ、関係する皆さんの、そこに費やされた情熱、エネルギーは本当に敬意を表する。

さて、当然それだけではパソコンのキーボードを引っ込めるつもりはない。ここから先は口煩いおやじコーナー。

クラシックは定型のジャンルである。演奏にも初歩の段階では必ず、あるいはある程度までいってもなお、身につけなければならない型がある。

で、どうだろう、本格的な料理のコース料理は、皿が大きい割に料理が小さく、見た目も綺麗で、まあ、それが本格的な定型だと、仮定しよう。

素材も本物、腕も本物なら、見た目もあわせて、その定型でなければならない必然性は当然である。

しかし。素材は事情により、腕も、事情により、の場合だって、現実、往々にしてあるではないか。で、なお、大きい皿の真ん中に小さく盛り付けるわけ?そう習ったから?いくらかでも本場のスタイルに近づけなければならず、それを逸脱することはご法度だから?

出身大学では、毎年、在学生が運営の中心になり卒業生にも出演の声がかかる音楽祭が開かれている。自分はその音楽祭に昨年度まで、約10年間10回出演した(途中出演を見合わせた年もあったと思う)。

素敵な後輩たちの演奏を聴いて思うことは、素材や腕がいまいちなら、たとえば大盛りにすれば、受け手は喜んでくれるんじゃないか、という発想がいまひとつ足りないのではないか、ということである。

そういう自分はじゃあ、どんな演奏ができるのか、というと、おもいっきり自分自身を棚に上げることにはなるのだが。

さて、このブログも7月から週末更新を掲げてそれをクリアし、8月に入った。8月にもこのペースでいきたい。また偶然か、自分の演奏を上げているページも(リンクから飛べます)同じく週末更新のペースでいってます。もし、興味のあるかたは。