「人の役に立ちたい」という言葉を呪文のように思う近年の自分。

 【本間雅夫の音楽’10 プロジェクト】というプロジェクト名にもなっている作曲家の故・本間雅夫先生は、地元の教員養成系の大学である宮城教育大学で長らく教鞭を取られ、自分も卒業研究の担当教官として大変お世話になり、また多大な迷惑をかけ、卒業後も心配をかけた。

 萩音会というのはその大学の音楽専攻の課程を修了した(通称「音楽科」といっているが正式ではないらしい)OBOGによる同窓会組織である。同窓会組織なのだが現役の音楽科の卒業演奏のステージも含む音楽祭は、萩音会音楽祭と呼ばれ、現役の音楽専攻の学生がその音楽祭の実行委員長を勤める。また、OBOGには案内の葉書が毎年届くと同時に、その音楽祭に参加することもできるまた、音楽科の先生方の退官記念行事や、着任披露といったステージも、萩音祭とリンクしたりする。そのような、とてもユニークなシステムによる音楽祭が、もう何十年も続いている。

 自分も学部の三年生の時、実行委員長を務めさせていただいた。大学の授業で単位を取るといったことを始めとして、不真面目、怠惰きわまりなかった自分は、いわゆる問題児的な部分も、多かったとおもう。学生が集う部屋のノートには、同じく実行委員を務める後輩の女の子のきっちりした楷書のすごく丁寧な文字で、「本間先生が、呼んでます、必ずこいって仰ってました。」とかかれていた。次の日付になると、「本間先生が、今日こなかったら、萩音祭、中止だぞ、っと言っています。」とあり、三日目「ほ、本間先生が……。」となっていた。その三日目に至っても、楷書で丁寧にきっちり書かれていたので、自分はなんだか可笑しかったのを、昨日のことのように思い出す。

 なので、自分がいま、何故本間雅夫の音楽’10のプロジェクトのメンバーとして活動しているのか、もっとふさわしいひとはいるのではないか、自分がそのメンバーの一員であり、こんなネットを通して、偉そうに文章綴っていて、プラマイ、どうなんだろう、という気持ちはある。でも、本間先生は自分のことを本当に気にかけてくれた。本間先生に対しては感謝しても仕切れないほど、恩を感じている。きっと天国から、「おまえは、学生時代、ああだったんだから、今回すこし、一生懸命やって、その分をとりかえせ」と、叱咤激励されている気がしてならない。

 8月10日、プロジェクトのメンバーで萩音会会員でもある人々が集まって演奏会のチラシ(とっても素敵に仕上がりました)始め、600近い同窓生に向けて、発送作業を行いました。住所が変わったりしてまだ届かない方もいるとおもいます。しかし、もうチケット購入の申し込みや協賛が集まりだし、本当に痛み入ります。ありがとうございます。

 近年、自分の中の、自分にそぐわないキーワードに「人の役に立ちたい」というのがあって、これを口にすると、自分は果たしてどれ位本気でこの言葉を、発声できるのか、めまいがするほど、自分は自分の自尊心がどれだけいつも満たされているか、を基準に生きてきたような気がする。職場の同僚との会話から、胸に突き刺さった「人の役に立つ」。8月10日の発送作業以降、なんだか身にしみてきてる。