いつのまにか成功しているトラックバックとか、吹奏楽とか、純正調とか、平均率とか、合唱とか。

いつのまにかトラックバックに成功している。
ありがとうございます。成功先(?言い方あってますか)
のリンクをここに貼ると、また自動トラックバックみたいな話になり面倒なので、その日の記事のリンクをここに貼っておきます。

http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20100717/1279375378
http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20100718/1279464728

自分が吹奏楽を始めたのは中学校の部活動の部員としてであり、1982年のことである。そこから、高校1年の春までトロンボーン担当として活動した。そのころには、ネムのバンドメソッドや、JBCバンドスタディーというメソッドに代表されるような、バンドのトレーニング、基礎合奏、ハーモニーのトレーニング、ブレストレーニングといった考え方には出会わなかった。しかし、近年、そして現在、どの部活動でも、先にあげたメソッドを導入している。「ハーモニー(カデンツ)お願いします」といって、どの吹奏楽の部活動にいっても、それがBdurで1−4−5−1をそれぞれロングトーンで4拍ないしは8拍ずつ演奏する基礎合奏を意味し、自分が根音か5音か3音のどれを担当すればいいのかを説明しなくとも、ほとんどどんな練習をすればいいか、わかるほど、全国共通のトレーニングになりつつあるのではないか?

そうしたこととともに、純正調において長3和音の第3音は平均率より低い、ということも知らなければ恥ずかしい常識であるみたいな空気がある場面は吹奏楽において、多々あるようになってきた。

その割りに、では、平均率で書かれた楽譜を演奏するとき、どの部分を純正調でとるか、きちっとわかっている人は少ないとおもう。しかしたとえば、作曲家木下牧子のホームページのQ&Aのコーナーがその、端的な回答であろう。

http://www.asahi-net.or.jp/~az4m-knst/qa_bucknumber/jyunseiritu.html

平均率の世界における純正調とはなにか。骨格と装飾をアナロジーとして説明を試みるならそこには不思議な主客転倒が起こっているようにもおもうのである。つまり実際の組み立ては平均率で書かれた音楽ならば、骨格である音律は平均率でしか考えられない。実際的にはひとつたとえば、導音が低いのは気持ち悪い。しかしそれでも妥協案を何か考えるならば旋律は平均率で、和声は純正でとる、というのが実践的な考え方のひとつとなる。また、そして、トニックがバーンと長く鳴り響くところ、といった決め所では、純正で響いていれば、表現の狙いをそうするならば、とても効果的である。決め所、というのは演歌でいう、こぶし、にも通じるようにおもう。そしてこぶしは装飾的な役割である。だから、といって純正調の響き、が装飾的な考え方というのもちょっと違うと思う。なんというか平均率で組み立てられたもののに、時折、影のように純正調が潜んでいる。そしてそれは、多大な矛盾を含む理想の響きとして、響きのイデアとして存在しているような、神の響き、といえるかもしれない。

吹奏楽においては、ハーモニーディレクターhttp://yamaha.jp/product/winds/harmony-directors/hd-200/
といった、ボタンひとつで純正の響きが得られるキーボードを駆使し、トレーニング(修行)によって、純正へのアプローチの仕方を獲得しようとする。

合唱においては、おおらかに、平均率の楽器であるピアノを伴奏として演奏を組み立てていることがあるにもかかわらず、アカペラにおいては、ふっと、純正にアプローチできるようにおもう。それは神の響きへの普段のお祈りを欠かさないでいれば、特別に修行をつまなくても、純正の響きに自然になりますよ、といわんばかり、であるようにも思う。