河村尚子ピアノリサイタルを聴いて
部活指導後、いてもたってもいられなく(河村尚子が山形県村山市でピアノリサイタルをやる)て、自家用車を高速に乗せ、約90分、山形県村山市に向かう。リサイタルのプログラムは、以下。
日時:2012年6月30日(土) 18:30開演
会場:村山市文化会館(山形県)
演奏曲目:
シューマン:アベッグ変奏曲
シューマン:アラベスク
シューマン:献呈
シューマン:子供の情景
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番
シューベルト:さすらい人幻想曲
村山市はもう山の緑がそこまで迫り、終演後の街はすっかり夜につつまれ、ガソリンスタンドすら21時前には閉店するような、そういう街並み。
で、村山市民会館も、こんなことろ。
http://www.city.murayama.lg.jp/0190bunkakankou/shisetsu/civichall/index.htm
会館入り口に向かう階段で、「んだ」(そうだ、という意味の方言)「やんだ」(いやだ、という意味の方言)という、今夜の聴衆だろう人の流れの中の会話から、聞こえてくる。宮城県民の自分にも、共通する言い回しである。
昭和41年にできたホールで、全面改装もしないまま現在に至っているようなホール。入り口には近日NHKのど自慢が来ることを知らせる立て看板が。ピアノはスタインウエイのフルコンだった(と思う、ですよ)。
床はなんというか絨毯敷きのような床で、椅子の座り心地も、固くぎいぎい、言いそう。(言わなかったけど)。客席を含めたホールも乾燥がひどく、空調の音なのだろうか、かすかにスーンと聞こえる。年配の方の空咳がちょっとかわいそう。
河村尚子のリサイタルなのに、入場料は当日、前売りとも一般1500円!中学生500円!、ホールの自主事業だから、この金額なのか、本人もしくは関係者が、このリサイタルの意義を重視することがこの金額にもあらわれているのか。
の割に客席は6から8割の入りで、満席にはなっていない。1か月まえに、心配になって宮城県にいるんだけど、何とか前売りで買えないかと市民会館に電話したら、「当日券で大丈夫ですよ」との返答。河村さんですよ!と心の中でおもうものの、まあ、そうなんだろうと思いつつ、ちょっとは不安になりながら、当日を迎えたら、本当に余裕で大丈夫だった。なんで?一般1500円ですよ。宮城県から、仙台から、すくなくても常盤木と宮城学院でピアノ専攻してる生徒は、その先生が車にのせて聴きにいってないと、おかしいですよ。河村尚子ですよ。土曜の夜ですよ。
入場時に配られるパンフレットも印刷所ではなくワープロで作ったものを色上質紙に両面印刷して半分に閉じたようなもの。曲目と河村さんの簡単なプロフィールのみで、曲目解説などはない。組曲の一曲一曲のタイトルも掲載されていない。しかもシューマン=リストの献呈が献皇と間違って印字、またプログラム順も、河村さんのウエブサイトにあるものと、曲順が違っていて訂正のアナウンスと、貼り紙がされていた。
商工会議所大ホールに音響反射板をくわえたような、音響設計や、音響効果がたぶん期待できないような、ホールに、スタインウエイときたら、猫に小判か、というと、それは決してそうではなかったこの日のコンサート。まあ、素晴らしかった。素晴らしくて涙が出た。ってこの文脈でいうと、皮肉みたいに聞こえるけど、純粋に感動して、涙が流れました。
河村尚子のシューマンは、もう本当に、とんでもない領域までいっているとおもう、すごい。全世界を見渡しても、この前後の年代でこれだけのシューマンを演奏できるひとは、いるのだろうか。
献呈は、先日行われた仙台フィルの定期でも、ピアノ協奏曲演奏後のアンコールとして演奏された。わかってても泣いてしまう。また泣いてしまった。演奏が、曲が、演奏が、すばらしくて。
残響効果のほぼ期待できないホールで、お客さんがこのくらいはいりました、さて、という感じもあっただろうに、プログラム前半の最後、「子どもの情景」では、ペダリングのコントロールも完璧で、神がかりな、子どもの情景であった。ホールの残響が少ないのを、名器スタインウエイのペダルの完璧なコントロールによって、あまりあるほどカヴァーしていた。しかし、残響のないホールで河村尚子のソロなんて、なんという贅沢だろう。
それから、自分もまさか、トロイメライで、献呈に続き、落涙するとは、思ってもみない。記憶からくる予想のテンポより若干前に運ぶような、少し、間合いが早いようなトロイメライだなあ、と思ったとき、電撃のように、というと少しだけ、違うけどでも、泣きながら、ああ、今夜、河村さんは、どんな音色で、どんなテンポで、どんなアゴーギクで、どんなフレージングで演奏するか、その瞬間の想いを本当に大切にしているのだな、今日の村山市の天気、気候、風土、そして何より客席の聴衆の、息をのむ、その気持ちと、本当に呼応するようにして。
音楽は、(本質的には)沈黙からやってきて、沈黙に帰るのだよ、と、僕は授業でいう。この日の河村さんの演奏が隅々まで、まさにそうなんですよ。本当に隅々まで。
音楽と格闘することによって外側から切り込んでいくアプローチもあるだろう、しかし、この日も、河村は音楽が、そのものによって内側からじんわりと点火し炎が広がっていくように、プログラムを進めていった。トロイメライの最弱音で、河村の奏でるシューマンは、ひっそりと奥深い夜の山の緑につつまれる村山市全体を包むスケールまで広がった気がした。そして、奏でを沈黙に返し、
前半終了。休憩をはさんで。後半へ。
モーツァルト。ところで話は飛ぶが、晩年のコルトーはミスタッチですら美しい、と評された。河村がコルトーのようで、とかではぜんぜんないのだが、ちょっと言いたくなった。話は戻る。音楽表現としてもうこれ以上ないんじゃないかというところまで、突き詰めた、あるいは突き抜けたほんとうに美しすぎるほど美しいシューマンを奏でてしまった、その反動が、もしかして後半最初のモーツァルトに、ほんのわずかながら見られたのかもしれない。打鍵ミスなど、普段全く皆無といっていいほどの安定して磨き上げられた技巧の持ち主でもある(音楽的にあんなに豊かであるにかかわらず、というかあまりに音楽的であるのに、それなのに、河村尚子のテクニックの安定度といったらない。普通、機械的に見事だと、音楽的に物足りなく、その逆もありがちでその両者は両立しづらいのである。)河村が、このモーツアルトで打鍵のミスが、わずかにあったのは、(全体としては気にしなくてもいいほどのものだが)、逆に、シューマン、モーツァルト、再びシューマンという、この日の演奏会の流れにおいて、ドラマチックですら、あった。
自動車のレースにおいて、完璧なテクニックのドライバーが、僅かに車体を障害物にこすってしまうほど、コースを攻めるとき、「ああ、それほどまでいかないと、だめなのか」という驚きに、その、ドラマチックさは、似ている。
しかし、このモーツアルトのヘ長調のソナタは、モーツアルトの恐ろしいまでのインスピレーション、霊感と、天才の結晶が見られる。より象徴的な意味において、この曲を演奏するための、技術は高度なものを要すると思う。特に2楽章。恐ろしさと、美しさ、シンプルさの、すべてを満たし、何かを凌駕しているように思う。
河村はなんとこのモーツァルトでタイヤを全部使い切るような渾身のタイムアタックを敢行したのではないか。シューマンの余韻を振り切るためにも。ちがうかも。でもなんというか、安全運転でコースを丁寧になぞるだけなのは読譜の確認であって本番のレースではないのである。教室の発表会ではないのだから。
モーツァルトのソナタの世界に切り込んだ河村の姿勢があり、そしてこの日の最後のプログラムをしめくる「さすらい人幻想曲」は、圧巻の熱演。客席を巻き込んでホールと一体化した。ピアノを鳴らしきることと、音楽を表現しきることの見事な一致。
おもに地元の皆さんなのだろう、小学生の子もちらほらみえる客席の雰囲気もとってもよかった。ややご年配の方がホールの乾燥から空咳がどうしてもでてしまうだろうのは、仕方がない。途中ビニール音がガサゴソなり、自分としては長く感じ、「えっ?」とおもって見れば、空咳を抑えるためなのか、飴を探していたのだった。また、市民会館の職員の方なのだろうか、主催事業としての、記録を残すためだとおもうのだが、アンコールの演奏中にデジカメで撮影したときにピコピコっと電子音がなってしまうのも、自分としては目をつぶれる。そして空調の音だろうか、スーンと音がする。でも演奏中のホールが、美しいまでの沈黙に向かっていく様子は幾度となくあった。演奏者も聴衆も素晴らしかった。とてもやわらかくあたたかな雰囲気と、いままさにそこで音楽がたちあらわれてくる緊張感のよい両立があったとおもう。そしてこれは、村山市という土着性が稀有な演奏家河村尚子を迎えて成立したことだとおもう。
漆黒の闇のようなほぼ満席の聴衆といえば、10年ちょっとまえ、武蔵野市民文化会館で聴いたルプーのリサイタルを思い出す。武蔵野文化事業団のほうが運営その他でこなれている、ということは、いえるかもしれない。しかし、そのことと演奏会の感動は、この日については、また違うものであった。「クラシックの演奏会は、やっぱり東京に聴きにいかないと!地方の、田舎の文化ホールでは、本場は聴けないよ」というのは、とりあえず、大間違いだろう。
自分はかつて、山形にないものが仙台にあり、仙台にないものが東京にあり、東京にないものがニューヨークやパリにある、という価値観、という言い方をした。そしてその価値観がくそったれ、だとも。でも、そんなことをいう俺がくそったれな気がした。
河村さん、素晴らしい演奏を、ライヴで、いつもながら、ありがとうございます。また、河村さんを迎え入れてくれた村山市、および関係者、市民の皆さんにも、同様に感謝したい。素晴らしい演奏会だった。ありがとう。
【追記】
形としては再プレスになるだろうが河村さんのCDがこの6月にリリースされていたので、会場で購入し、終演後のサイン会にも並んだ。
Mozart-Schubert-Prokofiev (XRCD)
- アーティスト: 河村尚子,Mozart,Schubert,Prokofiev
- 出版社/メーカー: グローバル・カルチャー・エージェンシー
- 発売日: 2012/06/16
- メディア: CD
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「明日もやります、また来ます」
この明日もやりますに込められた心情をちょっと思った。
いや、まじで応援してます。