夢のすべてが南へかえりおえたころ

正岡豊の歌集「四月の魚」の冒頭の一首、上の句

アマゾンのレビューに書いたのは卒業文集に寄せたものだったが
文集を手に取った人しか目にしないのがなんとも、と思い、
アマゾンにもレビューとして投稿した。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4896120035/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

よしもとばななの短編の一節を
まるまる転用してる一文もある。

ツイッターで報告したら
https://twitter.com/#!/tadashinichi/status/158169458454700033
「打ち首」ということで了解してもらった。

ばななさん、ごめんなさい。そして。ありがとう。

https://twitter.com/#!/y_banana/status/158182253573320705



自分はかつてここではないどこかに
「山形にないものが仙台にあり、仙台にないものが東京にあり
東京にないものがパリやニューヨークにある」
という「価値観」について「くそったれ」と述べた。



田舎者のルサンチマン丸出しである。いまもある。が、
最近ちょっと思いを改める「考え方/物語」とであった。



東北は物資や人材を首都圏に差し出してきた
被差別地域である、というのは、1つの思想である。



朝日新聞の論壇時評に小熊英二が書いたことが、
そういったものに通じる考えを洗練された筆致で書いている。
http://anond.hatelabo.jp/20110612201144



しかし、ほかの誰でもなくこの自分が、俺自身が、
仙台市に隣接する塩竈市に生まれ、育ち、港町の荒っぽさの
なかで、ピアノを習ったり音楽を志したりすること等にも
起因させてまう、非モテや、地域からの手荒な扱いをうけ、
仙台の高校に、エリート意識をもって進学するも、
そこでコペルニクス的に転回した劣等意識と、
田舎者が、魚くさいよ、的な扱いをうけ、(これはややうけ)
東京の大学を志すも、不合格浪人後、地元の大学へ、という
路をたどってきた。



1980年代がまるまる10代の自分にとって、
中島らも」、も、「じゃがたら」、も、
「シド∩ナンシー」も「岡崎京子」も、
結局は憧れと猿真似の中ですごすことになった。


いや、憧れや猿真似で終わってもいいのさ。


しかし、世の中には本当に、
憧れや猿真似ではなく、生活や、命や、モラルを
削るようにして、80年代、90年代、00年代を、
作り出してきたひとが、いる。



東北の人間はメディア等を通してその上澄みの雰囲気を
愉しんできたのではないか。消費者として無責任に。



先日、卒業生の教え子と、夕飯を食べた。
進学先で迷うその青年に自分は自分の体験を語り、
地方で生きる道を問うた。



しかし。



上京して破滅覚悟(いろんな意味で)やるのでなければ、
やる必然性なんて、どこにもないんだよ、
ということを、思わせるような話にであった。



自分はその青年に、前言撤回を言おうか一瞬、逡巡した。
いや、かなり逡巡したかもしれない。



しかし、どの道を進むかは、彼がきめることであるし、
また、破滅覚悟、というのはちょっと感傷的に過ぎる。



あえて3・11以後の、今、ということを前提にさせてもらえるなら、
無責任な消費者意識でもなく、破滅覚悟の上京生活でもない、
そんな二者択一ではないことを探らなければならない。



青年には自分の二者択一的な限界を、オーバーロードしていってほしい。



俺は俺で俺の限界を突破する道を探るから。