「アグン・スシラワティ初来日記念公演 バリ古典舞踏への誘い」にいってきた。
10月14日(月・祝)仙台市福祉プラザ ふれあいホールにて
「アグン・スシラワティ初来日記念公園 バリ古典舞踏への誘い」を鑑賞。
民族ものをナマで聴くのはいついらいだろう、青年文化センターでのブルガリアンボイス、南米のケーナ、サンポーニャなどを中心とした合奏を聴いたのは大学時代だ。宮城県民会館での歌舞伎も。20年以上まえか。自分が不勉強でがっかりくる。民族ものこそ、ナマで聴く機会を無理矢理にでも、っていうと言葉が不適切なんだけど、求めていきたいものである。
自分が高校3年生だったときに、一年上の先輩を頼って桐朋学園大学主催の夏期講習会に参加したことはネットで何度が話題にしている。たとえばTaDa:Ⅰ(「合唱のためのコンポジション第10番 オンゴー・オーニ」より) - ミュージック : musictrack←これの曲目解説にも書いた。そういえば、あのときは桐朋に学ぶピアノ科の方々には、プライスレスにお世話になった。新宿で行われた「ケチャ祭り」にもつれていってもらったのも、その講習会期間中のことだ。なんてすてきなピアノ科学生の先輩方だったろう。現在も皆、ピアニストとして活躍されていることは検索からもわかる。
さて、まもなく開演である。ポメラをいったん閉じることとする。
すばらしかった。
ああ、クラシック音楽の歴史という意味での西洋音楽史にとどめを刺したものの本丸はこれか、ということの思いを改めて感じるとともに、その意味でのボス登場に圧倒される。
強烈なワグネリアンだったという話もあるフランスの作曲家クロード=ドビュッシーはロマン派までのスタイルにけりをつけ新しい時代を切り開いた、歴史上もっとも重要な作曲家の一人である。彼がパリで開催された万国博覧会でガムランをはじめとする民族音楽にであい強烈にインスパイアされたのは有名なエピソードだ。
個人的にはクラシック音楽の技法の発展はベートーヴェンで脳死、ドビュッシーで心臓死だと思っている。ベートーヴェン以降、ドミナント=トニックの文化を背景に作曲をするものは、ドビュッシーの登場までみなベートーヴェンが示した未来に沿って発展したのではないだろうか。現代音楽という言われ方もする20世紀音楽は、実質ドビュッシーが開祖であろう。
魔法使いハウルが火の精カルシファーと契約を交わすために炎を体内に取り込んだように、ドビュッシーはパリ万国博覧会で、ガムランと契約を交わし、体内に取り込んだ。そして、クラシック音楽にとどめを刺した。
自分は、「これが、あの、カルシファーか!」という気持ちで、非常な感銘とともに、ステージを味わった。
大学時代に大学の先輩からカセットテープに録音にガムランを録音してもらって、それなりに聴いたが、ナマできかないとわからないなあ、ということを改めて実感。ナマで見て、聴いて感じたことをいくつか。
・日本の生活、冠婚葬祭にある寺の法事、読経、鐘の音、とすごく遠くでつながっている気がする
・途中に琉球の文化をはさめば、なおさら、バリ舞踊も、日本舞踊との遠い線が引ける。まったく無関係ではない。
・ひょっとこの仮面をつけたどじょう掬いの、動き、とかも、遠く海を渡って、気候、風土にさらされて、ああ、と、なにかのつながりを感じる場面もあった。
今日のステージは 、前半、司会の解説やインタビューも入れて前半60分、後半40分くらいに構成されており、楽器の編成もコンパクトに編成しなおされたもののようで、初めて聞きにきた人にも、十分味わいやすい配慮がされていたことも記しておきたい。
しかし、それでも、スシラワティさんの舞踊はすごい。体から無数の糸がでて、ガムランを自由自在に操っているようだった。
改めて思う。ドビュッシーがどうの、というとき、ガムランについてまったくしらないのは、ぜんぜんだめである。フランスに留学すると同じくらい、インドネシアにも留学すべきだとおもう。なんか、うまい言い方がみつからないけど。