【勉強が何の役に立つのか】

 「勉強が何の役に立つのか」ということは自分も中学生くらいの頃に考えたことがあるかもしれません。実際問題,中学生時代に,あるいは高校生時代に必死になって暗記した複雑で難しい公式の類の中には,社会に出てから直接何かの役に立ったわけではないものもあるでしょう。意地悪な振り返りをすれば,暗記したことの少なくとも半分がそうだった,という振り返りも可能かと思います。「勉強が何かの役に立つかどうか」について,なぜこんな微妙な言い回しをしているのでしょうか。それは,「勉強」というものを役に立つかどうかで判断することに,疑問があるからです。役に立つかどうかで判断すべきではない,と思います。さらにいうならその勉強が役に立つかどうかを,勉強する以前に判断することは無意味だ,とも言えます。
 自分は教師になってから,折に触れてこのことをじっくり考えてきました。「役に立つ/立たない」は人によって違います。また,生きていることの行動の全てに意味を求めるなら,意味のない行動をしないことのほうが,価値が高いのでしょうか。考えたり感じたり痛かったりうれしかったり悲しかったり腹が立ったり安心したり不安になったり,そうした全ての活動や感情の全てに積極的な理由などあるでしょうか。無駄なことを一切しない生き方が最高であるなら,アメーバーのような単細胞生物が命のあり方として人間よりも完全無欠に近いと考えることができるかもしれません。それに比べると人間とはなんと無駄の多い生き物であるかなあ,とも思います。
 それから。
 アメリカの実業家でアップル社の元会長(創業者・元CEO)のスティーブ・ジョブズが生前,スタンフォード大学で講演した際,次のようなことを言いました。
 【点と点を最初から結ぶのはむずかしいことです。後に振り返ったときに初めて、点と点を結んでいた線が見えるのです。だから、いま一見無関係に見える点もいずれは自分の人生の中で大きな線でつながれることを信じなくてはいけません。】
 ジョブズの言うこの「点」を「勉強して身に付けたもの」,線を「身に付けたものを生かしていく行動」と読み換えてみてください。なるほどな,とすごく納得させられるものがあります。「役に立たない」と思っている勉強の結果は,「役に立たない」と決め付けているだけであって,線としてつながっていないだけです。それを生かしてつなげていくのはあなた自身です。勝手につながるわけではない。そして何が役に立つのか,最初から分かっているのだとしたら,誰も苦労しない。それは宝くじのあたりを最初から分かっていてくじを買おうとしているみたいな,あまりにも能天気な話です。
 最後に。
 日本美術を主な領域とするライター・エディターの橋本麻里さんのツイッターでのツイートの一部を紹介させてください。
【「役に立つ」かどうか以前の、人として生まれたからにはできるだけ遠くまで行きたい、という衝動が結果的に人間を(良くも悪くも)ここまで辿り着かせたのだと考えている。】
人間もずっと祖先を辿っていけばアメーバのような原始的な生命体でした。橋本さんの言葉,なんだかぐっときませんか?「勉強する」ということを,勉強をやってみないうちから役に立つかどうか考える,のではなく,考えてみてください。役に立たせる行動は,自分自身の人生において,自分自身がしていくことです。過去の点と点を,自分で,何とかして,線でつないでいってください。創造的な世界は,その行為の少し先に,必ずあるのですから。

※2014年6月に学級通信のこの年度の第7号として発行したものを一部訂正し転載した。